第14話 お国入り③ 吉宗、ついに城下入り
和歌山の町は、かつての賑わいを取り戻しつつあった。
整えられた家並み、立ち並ぶ露店、市場のざわめき――。
だが、よく目を凝らせば、瓦の色が違う屋根や、壁の継ぎ目が目に留まる。
すべてが元通りになったわけではない。あの震災の爪痕は、まだ町のそこかしこに刻まれていた。
それでも、人々は前を向いていた。
懸命に立ち上がり、歩みを進めてきた三年。
その積み重ねが、確かにこの町を生き返らせていた。
その朝——。
城下町の入口にあたる大門に、ひときわ緊張が走った。
門の前には、槍を持った門番と、控える役人。
そこへ、先導の男が馬を駆り近づいた。
「——紀州藩主、徳川吉宗公ご一行!」
名乗りを受けて、門番が慌てて姿勢を正す。
「殿のおな〜り〜ッ!」
声を張り上げる門番。仲間と共に素早く門を開け、地面に膝をついて頭を垂れる。
先導の馬が通り抜けると、その後ろには籠を中心にした小規模ながら整った行列。
家紋を染め抜いたのぼりが風に揺れ、町人たちもざわめく。
その先頭にいたのは、久通——吉宗の腹心であり、信頼の厚い家臣。
「殿、いよいよ紀州城下町でございまする」
吉宗の籠の簾がわずかに持ち上がった。
中から静かな声が響く。
「……ようやく戻ってこれたか。長かったのう」
静かに、しかし確かな足音で、行列が動き出した。
先頭を進むのは久通、その後ろには数名の家臣。そして、中央の籠。
飾り気はない。むしろ簡素。しかし、その中に誰が乗っているのかを、町の者はすでに察していた
「……殿様じゃ!」
「ほんまに、お戻りや!」
そして、誰からともなく、道の両側に人が集まり始めた。
肩に泥のついた職人。桶をかかえた水売り。頭巾を取って手を合わせる老婆。
町人たちは、次々と道の両脇に膝をつき、頭を垂れた。
中には涙を浮かべ、額を地につける者もいる。
その様子に、籠の中から吉宗が声を発した。
「――頭を上げよ。いつも通りにせよ」
「この地の者が、私を見ぬでどうする。顔を上げて、よう見ておれ。私は戻ったぞ」
驚いたように顔を上げる町人たち。
次第に歓声が起こる。
「殿様……! よう戻ってくださった!」
「……おかえりなさいませ!」
籠の中で、吉宗はその声を聞いていた。
(ああ……私は、帰ってきたんだ)
震災以来、江戸で出来る限りのことをしてきた。人を集め、物資を運び、商家に頭を下げ、浪人に手を差し伸べ……財布の紐などとうに切れていた。
それでも、目の前の人々が笑っている。生きて、ここに立っている。
(それで十分……これで、よかった)
吉宗は籠の簾を上げ、顔を出す。
「皆の者、帰ったぞ!」
拍手が起こった。涙を拭く者もいる。中には土下座して拝む者までいた。
(主婦だった私が、まさかこんなふうに人に頭を下げられるなんて……いやいや、こんなのテレビでもないよ!)
心の中で突っ込むが、表情はきりりと引き締める。
そのまま籠は和歌山城へと進み、城門に着くと、すでに家老たちが整列していた。
吉宗の乗った籠が門前に至ると、すかさず一人の家老が進み出て、深々と頭を下げる。
「殿のご帰国を、臣下一同、心よりお待ち申し上げておりました」
その声に合わせるように、全員が一斉に頭を垂れた。
籠の中から現れた吉宗は、静かに地面に降り立つと、皆を見回し、ゆっくりと口を開いた。
「――長きに渡り、留守を預かってくれたこと、まことに大儀であった」
家老たちは深く頭を下げ、顔を上げたその眼差しには、安堵と決意の光が宿っている。
「さっそくであるが、復興の進捗を聞かせてくれ。今の紀州がどうなっておるか、この目で確かめたい。明日は町を見て回るつもりだ」
その言葉に、家老たちは再び姿勢を正し、声を揃えて応じた。
「ははっ!」
その声に、家老たちがいっせいに頭を下げる。
吉宗は、ちらりと城下を振り返った。
町の空には、ゆっくりと陽が傾き始めていた。壊れた屋根の隙間から差し込む夕陽が、民の姿を照らしている。
(これからが本番だ……財政は火の車。復興費も足りない。でも、もう逃げない。)
「わしは、この地を救うために帰ってきた。みなの苦しみを、少しでも和らげるために、働く覚悟じゃ」
誰にともなく、そう呟いた。
風が吹いた。
それは、城と町を結ぶ風。ひとつの新しい時代の、始まりの風だった。
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