第13話 メルフィーとの旅
◆なでしこの朝は、茶化しから始まる◆
「……あー! いたいた! おはよう、ふたりとも~!」
トリノンから北東に向かう中継の村。その宿の広間に、元気いっぱいの声が響いた。
ジュアンドとメルフィーが朝食を終えようとしていたその時――
扉が勢いよく開き、長身で栗色髪をポニーテールにした冒険者・カリンが手を振って入ってきた。
その後ろからは、落ち着いた雰囲気のアイリスと、小柄で元気なミミも続く。
「お、おはようございます……」
メルフィーがわずかに顔を伏せる。
ジュアンドも、「ややまずい」と心の中でつぶやきながら挨拶した。
――しまった、タイミング的に。
部屋の片隅にある簡素な食卓に、ふたりで座っていた。
しかも、なぜか微妙に近い距離感。
昨晩一緒の部屋に泊まったことを、あの三人が気づかないわけがない。
カリンは腕を組んで、にやにやとした顔で彼らの前に立った。
「ふぅーん。なるほどねぇ」
「……な、なにがですか?」
ジュアンドが平然を装って聞き返すが、カリンは悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「昨日の夜、メルフィーちゃん、一緒じゃなかったもんね~。女子部屋に」
「そ、それは……」
メルフィーがあからさまにうろたえる。
横から、アイリスが少し申し訳なさそうに補足した。
「ごめんなさいね。確認するつもりじゃなかったの。でも、朝方にお布団の数が合わなくて……」
「……で、ついでにさっきまでの空気が、こう、ね? 甘かったというか……ねぇ?」
ミミがにやにやと笑いながら、ジュアンドの横に座り込む。
「で、で? どうだったの?」
「な、なにが……?」
「えーっ、聞くまでもないよねぇ。ほら、メルフィーちゃんのその耳の赤さとかさ~」
ミミが軽く身を乗り出して、メルフィーの頬をつついた。
「うわ、熱っ! 絶対赤面中だこれ!」
「うぅ……み、見ないでください……!」
メルフィーは慌てて身を縮めてスプーンでスープをかき混ぜ始める。
ジュアンドは溜め息をつきながら、苦笑して口を開いた。
「からかうのもそのくらいにしてくれ。出発前にそんなテンションで騒がれたら……」
「ん~? じゃあ、ちゃんと説明して?」
カリンが椅子を引き寄せて、腕を組んだまま見下ろしてくる。
「あなたたち、どういう関係なのよ。あんなにそっけなかったのに、昨日の夜だけで?」
「そ、それは……」
ジュアンドが言いかけた時、メルフィーがふっと顔を上げた。
その瞳は、わずかに潤んで、けれどしっかりと強さを宿していた。
「わたし、ジュアンドさんが……好きになりました」
場が、すっと静かになった。
思わぬ直球に、三人娘たちも驚いたように目を見開いた。
「……あ、そっか。うん、そっか……」
ミミが先に反応し、ぱちぱちと小さく拍手した。
「なるほどねー。そりゃ、からかうのもちょっと悪かったかな?」
「ま、ジュアンドくんも――見直したわ」
アイリスが微笑みを浮かべると、カリンも素直に腕をほどいて座り直した。
「ふふ、今後は"お熱いふたり"ってことで距離感考えるわね? ねぇ、ミミ」
「了解っ。夜中のドアの前で耳を澄ませたりしないようにしますっ!」
「やめてくれ」
ジュアンドが顔を手で覆い、ようやく笑いが漏れた。
◆
朝の出発準備をしながら、ふたりは軽く並んで歩いた。
「あの……わたし、ちょっと言いすぎちゃいましたか……?」
メルフィーが気にするように聞くと、ジュアンドはゆっくりと首を振った。
「ありがとう。言ってくれて嬉しかったよ」
「……ふふっ、わたしもです」
なでしこ三人娘のひやかしは収まったが、それでも今朝の空気は忘れられない。
けれど、それ以上に――
この朝を一緒に笑えたことが、ふたりの間に残った。
ジュアンドとメルフィー。
照れ笑いとからかいの先にある、温かくて少しだけ前進した、そんな関係がそこにあった。
◆境界の町ミラノンにて――ふたりの別れ◆
朝靄の立ち込める街道を、六人は歩いていた。
ジュアンドとメルフィー、そしてなでしこ三人娘のカリン・アイリス・ミミ、それに荷車を引く太っちょの商人オスベル。
トリノンから北東へ三日。
森を抜け、丘を越え、小川にかかる石橋を渡って――
ようやく、国境の町・ミラノンが見えてきた。
「うわぁ……思ったより大きいのね」
先頭に立っていたミミが、小さな声で呟いた。
木造と石造りが混ざった町並み、白い煙を立ち上らせる工房、門前で荷を運ぶ人々の姿。
トリノンと違い、開かれた雰囲気のこの町は、北の交易の要として賑わいを見せていた。
「ドラゴン騒ぎがなければ、こっちまで回ることもなかったんだけどね……」
ジュアンドがぼそりと呟くと、メルフィーがそっとその腕を見た。
無言だったが、その視線には、ほんの微かな寂しさが宿っていた。
荷物の引き渡しも無事に終わり、オスベルが分厚い手で報酬袋を差し出した。
「いやー助かりましたよ。途中のあの沼地では、ゴブリンがまた出るかと……」
「大丈夫ですよ。こっちには“なでしこ連隊”がついてましたから」
カリンが得意げにウィンクし、アイリスとミミがにっこりと笑った。
ジュアンドとメルフィーは少し離れた場所にいた。
町の外れにある、風車小屋の裏手。
風が静かに吹き抜け、野花が揺れている。
「……ねえ、ジュアンドさん」
「うん」
「国境、越えるんですよね。フリューゲンへ」
彼は頷いた。
ずっと目指していた場所、目指すべき目的地。
それがこの先にある。
「でも……私は、行けません」
メルフィーの瞳が揺れた。
「トリノンに、母がいます。……父はゴブリンに殺されて、家を守ってくれる人は、私しかいないんです」
ジュアンドは言葉を失った。
知っていた。彼女が抱える重さを。
だが、こうして正面から「別れ」を告げられると、思いのほか、胸が締めつけられた。
「わたし、本当は……もっと一緒に旅したかった」
メルフィーは俯いて、小さく笑った。
「昨日、皆で並んで歩いた時、すごく幸せだったんです。風も気持ちよくて……ずっと、こんな日が続けばいいなって……でも」
彼女の肩が、すこし震えていた。
「わたしたちは、同じ方向を見ていなかったんですね」
ジュアンドは、唇を結んだ。
利害の不一致――。
それは恋を終わらせる、もっとも平凡で、だけど現実的な理由だった。
「……それでも、メルフィー。俺は、君に出会えてよかった」
「……わたしも」
ふたりは、見つめ合った。
涙はなかった。
でも、どこか胸の奥に火を落としたような、静かな痛みがあった。
ジュアンドが、そっとメルフィーの手を取る。
「……ありがとう。いろんなものを、くれたね」
「私も……たくさん、もらいました。強さも、勇気も、あたたかさも」
風が吹いた。
彼女の髪が揺れ、指の先で、彼の手を撫でた。
「さようなら、ジュアンドさん」
「……じゃあな、メルフィー」
手を離す。
その一瞬が、とても長く感じられた。
メルフィーは、ゆっくりと背を向けた。
ふり返らなかった。
ただ、肩を落とし、けれどまっすぐに歩いていった。
ジュアンドは、背筋を伸ばして彼女の背中を見送る。
――たとえ一緒にはいられなくても。
その愛が本物だったことは、何ひとつ、疑う余地はなかった。
この別れが、どこかの再会に繋がるなら。
そう信じながら、彼はフリューゲン王国の隣国シュイス公国の関所へと、歩き出した。
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