第3話 3章:笑えない理由

夜の職員室は、いつもよりずっと静かだった。

廊下の蛍光灯の白い光が窓にぼんやり映っている。

残っている同僚たちは小声で雑談しながら、それぞれの仕事を片付けていた。

俺も、進路指導の書類を前にしたまま、気づけば手が止まっていた。

――時計の針の音がやけに耳につく。


「先生、進路指導室を使われたんですか?」


不意に声をかけられて、視線を上げた。

他クラスの担任二人がこちらを見ている。


「ええ。志乃原に呼ばれまして」


口元だけ愛想で笑った。

別にやましいことはない。

でも、相手の表情にかすかに浮かんだ意外そうな色が、胸の奥をざらつかせた。


「まだ2年になったばかりだというのに、志乃原は本当に真面目な生徒ですよね」

「そうそう。成績もいいし、授業も意欲的に取り組んでますよね」

「そういえば深見先生の授業でも…」


適当な相槌を打ちながら、二人の言葉が空気をすり抜けていくのを聞いていた。

ただの、誰かを持ち上げるための軽い世間話だ。


やがて話題は、クラスの進路傾向や推薦枠の話へと移っていった。

教師同士の井戸端会議。

耳には入っているのに、頭にはまるで入らない。


志乃原が真面目、か。

――そう映っているんだ、あいつは。

淡々とした口調。

無駄のないノート。

成績表に並ぶ高得点。

どこから見ても、絵に描いたような「優等生」だろう。

でも。

俺は知ってる。

あいつのノートの中身を。

感情を切り刻むように分析する目を。

「好き」を定義しようとして、血の通わない言葉を並べていたことを。


真面目、か。

あの子が自分を殺して、理屈だけで立っているのを、あの二人は知らない。

笑えなかった。

声も出なかった。

胸の奥が冷たくなる。


――3年前。

思考が勝手に、あの頃へ引き戻されていく。

あの子と俺が「観測」していた、あの時へ。






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