第2話 それでも傘を差し出してしまった。

あの日、雨は降らないって予報だった。


でも、降った。

昼すぎからぽつぽつと、まるで天気の裏切りみたいに。


放課後、昇降口の前で立ち尽くしていた君を見つけた時、

俺はもう、逃げられなかった。


君は、鞄の中を漁りながら小さくため息をついて、

スマホを見てから、屋根の下でしゃがみ込んだ。


誰かを待ってるのかもしれない。

でも、呼び出すような素振りもなくて、

ただ、濡れるのを避けてるだけに見えた。


そのとき、俺の手には折りたたみ傘があった。

黒い、無地の、何の特徴もないやつ。

前日に母さんが「持っていきなさい」と言って押し込んだやつだ。


──渡そうか。いや、やめようか。


何度も足が前に出そうになって、そのたびにブレーキがかかった。

「変に思われたら」「急に話しかけたら」

そんな言い訳を並べて、逃げることだってできた。


でも──

君の肩がふるえて見えたんだ。

寒かったのか、さびしかったのか。

俺にはわからなかったけど、ただ、見ていられなかった。


だから俺は、

何も言わずに傘を君の横に置いて、歩き出した。


「……え?」


小さく、君が声を漏らした。

けど、俺は振り返らなかった。

後ろ姿しか見せないほうが、かっこいい気がしたから。

いや、違う。

顔を見たら、たぶん、笑ってごまかせなくなると思ったから。


傘を差し出したあと、俺は何もなかったように校門を出た。

空はまだ灰色で、湿った風が制服のすそを冷たくした。

ポケットの中で手をぎゅっと握っていたのを、君は知らない。



翌日。


傘は、学校の傘立てに戻っていた。

水滴もなく、丁寧に畳まれて、まるで「ありがとう」の代わりみたいに。


でも、名前も書いてない。

誰の傘かなんて、わかるわけがない。


君が気づいたのかどうかなんて、聞けなかった。

そもそも、俺だって、言ってない。


だけど。


たとえ、君が何も気づいていなくても。

たとえ、あの傘が“ただの落とし物”だったとしても。


俺は、

君が濡れて帰らなかったなら、それでよかった。



傘を差し出したのは、

優しさなんかじゃない。

臆病で、不器用で、それでも何かを渡したかった、

たったひとつの行動だった。


だから、これは、恋じゃない。

たぶん、恋にすらなれなかった気持ちだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る