第22話「再生の誓い」
傍らで、
「紡ちゃん…少しでもいいから、何か食べよ? このままだと、本当に倒れちゃうよ」
紡からの返事はない。葵は、唇を強く噛みしめた。どうすれば、この分厚い殻に閉ざされた親友の心に、自分の声が届くのだろうか。
「……今は、そっとしておくしかない。あやつは今、わしらの声も届かぬほど、深い、深い闇の中におる」
棚の上で、祖父ぬいぐるみが、小さな、そして悲痛な声で呟いた。創造主である孫娘が心を失ってしまったことへの、深い絶望がその声には滲んでいた。
「でも…!このままじゃ、紡ちゃんが、本当に壊れちゃう…!」
葵は、日に日に憔悴していく紡の姿と、何も変わらない工房の惨状を見て、ついに堪忍袋の緒が切れた。悲しみと、怒りと、そして親友を救いたいという必死の想いが、彼女を突き動かした。
「……もう、見てらんないよ」
目に涙を浮かべながら、彼女は近くにあったゴミ袋を掴む。そして、床に散らばった鎧武者の、かつては凛々しかった布の残骸を、わざと乱暴に掴んで袋に詰め始めた。
「こら、小娘!何を!」
「こんなもの…! 紡ちゃんを苦しめるだけなら、もういらない! こんな悲しい思い出、私が全部捨ててあげるから!」
葵は涙声で叫びながら、作業を続ける。その手は、悲しい決意に震えていた。
ガサガサと布を袋に詰める、その乾いた、無神経な音。その音が、虚無に沈んでいた紡の耳に、初めて届いた。
紡の瞳にかすかな光が戻る。血の気の引いた顔で、葵の信じられない行動を見つめている。
「……やめて」
か細い、蚊の鳴くような声だった。だが、葵は手を止めない。次は、僧侶のぬいぐるみの、清らかだった布を掴む。
「やめて…!」
紡は、もつれる足で立ち上がると、獣のような叫び声を上げて葵に掴みかかった。二人は床に散らばった布の上にもつれ合うように倒れ込む。
「やめてって言ってるでしょ! 返して…! みんなを、返してよ…!」
涙声で懇願し、自分から布を奪おうとする紡の腕を、葵はぐっと掴み返した。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、魂を振り絞るように、紡の目を見て叫んだ。
「これはただの布切れじゃないでしょ! 紡ちゃんが一個一個、名前を付けて、大事にして、一緒に戦ってきた仲間なんでしょ!」
「空亡なんかに負けて、こんなところで終わらせていいの!? だったら! 紡ちゃんがもう一度、命を吹き込んであげてよ! この子たちのこと、一番分かってるのは紡ちゃんでしょ!」
葵の魂からの叫びが、紡の心の最も柔らかい場所に、深く、深く突き刺さる。紡の体から、抵抗する力が抜けていった。
彼女は、床に散らばった仲間たちの残骸をかき集める。鎧武者の布、僧侶の布、夜行さんの布……。その一つ一つを胸に抱きしめて、ついに、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「う……うわああああああん……!ごめんね…ごめんね……!」
それは、両親が死んでから、ずっと心の奥底に封じ込めてきた、魂の慟哭だった。葵は何も言わず、ただ泣きじゃくる紡の背中を、優しく、何度も、何度も、さすり続ける。自分の涙も、紡の背中にぽたぽたと落ちていった。
◇
長い、長い時間が過ぎ、夕日が工房を赤く染めていた。
泣き疲れた紡は、赤く腫れた目で、葵に向かってぽつりと呟いた。
「……ありがとう」
そして、震える手で、傍らに落ちていた「砂磨き縫い針」を拾い上げる。それを見た葵は、涙を拭って、にっと笑った。
「うん! 私も手伝う!綿を集めるの、任せて!」
葵は、散らばった綿を拾い集め、布の種類ごとに糸くずをより分け始める。
紡は、針を強く、強く握りしめた。
(空亡が消したのは、ぬいぐるみたちを動かしていた「概念の糸」だけ。でも、私と葵、そしてみんなとの間に結ばれた「思い出」や「絆」は……この、胸の奥にある温かい繋がりは、何一つ消えてなんかいない)
紡は、もう一枚の、自分の針に糸を通す。その瞳には、絶望を乗り越えた、力強い光が宿っていた。
(この「絆」を、新しい芯にすればいい。前よりも、もっと強く、もっと温かい仲間として、みんなを生まれ変わらせる)
紡は、仲間たちの修復・再創造を開始する。それは、絶望からの再生を誓う、力強い第一歩だった。隣には、その作業を молча 見守るのではなく、一緒に手を動かしてくれる、かけがえのない親友がいた。
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