第19話「首無し地蔵、破られた封印」
穏やかな朝だった。小鳥のさえずりが、開け放たれた工房に心地よく響く。
「……え?」
戸口のすぐ脇に、ぽつんと、何かが置かれていた。それは、苔むして古びた、地蔵の首だった。その穏やかであるはずの表情は、まるで耐えがたい苦痛に耐えているかのように、固く歪んでいる。朝の静寂を切り裂くような、不吉な存在感だった。
紡の懐から、執事ぬいぐるみが顔を出し、それを見て絶句した。
「なっ…!これは…!この地の守り神、身代わり地蔵様の首ではないか!」
「身代わり地蔵…?」
「うむ。この土地に降りかかる厄災を、その身に引き受けてくださる、ありがたいお地蔵様じゃ」
祖父は、普段の落ち着き払った様子とは違い、明らかに動揺した声で続けた。
「その首が、自らの意思でここまで飛んでくるなど…よほどのとてつもない厄災を退けた衝撃に違いない。それほどの力が、この地に迫っておるということじゃ。…紡、胴体を探し出し、何が起きたのかを確かめる必要がある」
◇
居間に呼び出された
「む、むりむりむり! 絶対無理! 首無し地蔵に関わると呪われるって、八王子じゃ超有名な話なんだよ!触るなんてとんでもないって!」
いつもの好奇心はどこへやら、本気で怖がっている。
「たわけ! 地蔵様が人を呪うなどありえん! 土地を守ろうとしてくださった方を、逆に怖がるとは何事か!」
祖父が呆れ果てて怒鳴る。しかし、葵は首をぶんぶんと横に振るばかりだ。紡は、そんな葵の手を取り、有無を言わさず地蔵の首に触れさせた。
「いやあああ!」
葵の脳内に、ノイズ混じりの不気味な単語と、心臓を鷲掴みにされるような不吉なイメージが、濁流のように流れ込む。
「……くぼ…?……さい…しゅう……? だめ、よくわからない…。でも、この森の、ずっとずっと奥の方から、すごく嫌な、冷たい感じがする……」
葵をなんとか説得し、三人は森の奥へと向かう。進むにつれて、空気が重く、淀んでいくのを感じた。鳥の声は聞こえず、風の音すらも吸い込まれるような、不気味な静寂が支配している。ふと、紡は祖父ぬいぐるみの様子がおかしいことに気づいた。まるで何かに引かれるように、特定の方向をじっと見つめ、布でできた体が小刻みに震えている。
「おじいちゃん?」
「……こっちじゃ…こっちへ、行かねばならん…」
祖父は、自らの意思とは関係なく、ある一点を指し示し始めた。その琥珀色の瞳からは、焦燥と、そして深い悔恨のような色が滲み出ていた。三人は、その不気味な導きに従って、さらに森の深部へと足を踏み入れる。
やがて、一行は異様な光景が広がる場所にたどり着いた。
巨大な岩が、まるで内側からの強大な力によって爆砕されたかのように、真っ二つに割れている。その割れ目の中心に、一体の地蔵が鎮座していた。――首のない、胴体だけの地蔵が。周囲には、強大な力が解放された残滓が、まだビリビリと大気を震わせている。
「……やはり、封印は破られたか」
祖父が、絶望的な声でつぶやいた。
「混沌の王、『
「空亡……?異形衆の、首魁…?」
初めて聞く敵の真名に、紡は息をのむ。祖父は、これまで決して語ろうとしなかった、自らの死の真相を、重い口を開いて語り始めた。
「わしの死因は、老衰ではない。数年前、復活しかけていた空亡を、この地蔵を霊脈の要とし、わしの命と全霊力と引き換えに、あの大岩ごと封印したのじゃ。じゃが、それもついに破られてしもうた…」
その言葉に、紡はずっと心の隅に突き刺さっていた棘のような違和感を、震える声で口にした。
「じゃあ、お父さんとお母さんの事故は……あの、不自然な地面の窪みは……」
その問いに、祖父は言葉を詰まらせる。深い苦悩の表情で、ぬいぐるみの頭を垂れた。
「……紡、すまなかった。お前の両親の死は、ただの事故ではない。全ての元凶は、わしがあの時、空亡を完全に封じきれなかったことにある。わしの…わしの力が足りなかったせいで、あの子たちは、封印から漏れ出した空亡の力の犠牲になったのじゃ…!」
祖父は、両親が空亡に殺されたという直接的な表現を避け、自らの責任として語った。その言葉は、紡に新たな、そしてあまりにも重い苦悩と、巨大すぎる謎を与えるには十分だった。頭が真っ白になり、立っているのがやっとだった。
告白を終え、役目を終えた地蔵の胴体が、カタカタと震え始める。そして、紡が持ってきた首と共に、静かに光の粒子となって崩れ始めた。それは、祖父がこの地に遺した、命そのものの残滓だった。
(この力を……おじいちゃんの想いを……逃がすわけには、いかない…!)
紡は必死に手を伸ばし、溢れ出す清浄なエネルギーを、織紡師の力で一枚の布へと変換していく。それは、悲しくも、どこまでも温かい光を放っていた。
◇
工房に戻った紡は、無言で、手に入れたばかりの布を手に取り、一体のぬいぐるみを縫い始めた。デフォルメされた、穏やかな表情の地蔵のぬいぐるみ。その一針一針に、両親への想い、祖父への想い、そして空亡への憎しみを込めるように。
その背中を、葵も祖父も、ただ黙って見守ることしかできなかった。
完成したぬいぐるみは、どんな攻撃でも一度だけ完全に防ぐが、その代償に首がぽろりと飛んでしまうという、まさに「身代わり」の能力を宿した、悲しくも頼もしい守り手となった。
***
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