第17話「道了堂跡の響く鐘の音」
「ねえ、紡ちゃん。ちょっと聞いてよ。お寺もないのに、毎日夕方になると鐘の音が聞こえる場所があるんだって。不気味じゃない?」
その言葉に、紡の膝の上でうたた寝していた祖父ぬいぐるみが、ぴくりと反応し、勢いよく飛び起きた。
「その場所はどこじゃ!」
いつになく真剣で、焦りすら滲む祖父の様子に、葵はたじろぐ。
「え? えっと…確か、御陵の近く、道了堂跡のあたりだって言ってたけど…」
「道了堂跡…!間違いない! 紡、年に数度の好機じゃ。すぐに行くぞ!」
祖父は有無を言わさぬ口調で宣言すると、紡に矢継ぎ早に指示を出した。
「問答無用じゃ! 畑の野菜で、一番出来のいいものをいくつか見繕ってこい! それから、工房の奥の桐の箱にしまってある、わしが一番大事にしていた上質な反物も持っていく! 急げ!遅れたら次はないぞ!」
「お、おじいちゃん? そんなに慌ててどうしたの?」
「いいから急ぐんじゃ! あれを手に入れる、またとない機会なのじゃ!」
そのただならぬ剣幕に、紡と葵は顔を見合わせ、戸惑いながらも言われた通りに準備を始めた。紡は畑から瑞々しいきゅうりと茄子を、葵は工房の奥から埃を被った桐の箱を、それぞれ運び出した。
◇
夕暮れの道了堂跡に到着すると、苔むした石畳の先には、建物はなく、ただ柵で囲われた空き地が広がっているだけだった。しかし、そこは確かに、清浄な気が満ちた聖域の雰囲気を残していた。
「うーん、やっぱり何もないね。本当にここで合ってるの?」
「そろそろじゃ…来るぞ…耳を澄ませ」
紡の肩の上で、祖父がそわそわしながら呟いた瞬間、ゴーン、という荘厳な鐘の音が、どこからともなく響き渡った。その音は空気を震わせ、地面を揺るがし、腹の底にまで響いてくるかのようだ。
すると、何もないはずの空間が、水面のようにゆらりと歪み、目の前に奇妙な渦――
「これは、一体……」
「年に一度、黄昏時にだけ開かれる、あやかしどもの楽市じゃ!急いで入るぞ!」
「お、大売り出し!?」
祖父に急かされ、三人は恐る恐る渦の中へと足を踏み入れた。
渦を抜けた先は、夜空に美しい藤の花が咲き乱れる、幻想的な空間だった。そこでは、様々な妖怪たちがござを広げ、思い思いの品物を売る「楽市」が開かれていた。提灯の柔らかな光がそこかしこで揺れ、ろくろ首が長い首を器用に使って客引きをし、河童が新鮮で艶のあるきゅうりを売り、一つ目の巨人が香ばしい匂いをさせて団子を焼いている。
「うわー!すごい!本物の妖怪マーケットだ!見て紡ちゃん、豆腐小僧がいるよ!本物だ!」
葵が目を輝かせてはしゃぐ。紡も、人の(妖怪の)多さに戸惑いながらも、職人として、そこで売られている奇妙で美しい素材や道具に目を奪われていた。
「よそ見をするな!目当ては『砂磨き縫い針』じゃ!こっちじゃ!」
祖父に導かれ、一行はひときわ多くの妖怪で賑わう露店の一つに向かう。そこでは、背中の曲がった老婆――砂かけ婆が、古びた道具を並べて店番をしていた。
「婆さん、これと交換で、砂磨き縫い針をあるだけくれ!」
祖父に言われるがまま、紡が持参した上質な反物と瑞々しい野菜を差し出す。
砂かけ婆は、しわがれた手で反物を撫で、品定めするように野菜に目をやった。
「ふぅむ…。この反物は上質だねぇ。あんた、いい腕をしてる。だが、あたしゃ野菜は食わんでね。これだけじゃ、秘蔵の針は譲れないよ」
砂かけ婆のしわがれた声に、目的の針が手に入らないかと落胆した、その時だった。
「おっと、婆さん、その野菜はもしかして現世の採れたてかい?なら、おいらがもらおう」
聞き覚えのある声に三人が振り返ると、そこにいたのは一つ目小僧だった。彼は、自分の店で薬草を売っていたようだ。
「あ!一つ目ちゃん!」
「やあ、この間の。じいさん、その野菜はうちの畑じゃ採れない、いい品だ。おいらが買い取ろう。ほらよ、これが代金だ」
一つ目小僧は紡から野菜を受け取ると、代わりに数枚の古い木札――この楽市だけで使える通貨を渡してくれた。
「おお、助かるぞ、一つ目殿」
木札で無事に砂磨き縫い針を手に入れた祖父が、ふと一つ目小僧が持っている古びた「手形」に気づき、驚愕した。
「その手形は…まさか、お前が今の楽市の…」
「そうだよ。先代から引き継いで、今はこの市を主催してるんだ。驚いた?」
一つ目小僧が得意げに笑う。その和やかな雰囲気をぶち壊すように、葵が彼に突進しようとした。
「やっぱり可愛い〜!抱っこさせて〜!というかその薬草何に効くの!?」
「ひぃ!またお前か!商売の邪魔だぞ!」
「ごめんなさい!お騒がせしました!」
紡は慌てて葵を羽交い締めにし、引きずるようにしてその場を離れる。
◇
慌ただしく楽市を後にし、元の静かな道了堂跡に戻る。紡はジトーっとした目で葵を睨んだ。
「……葵のせいで、ゆっくり見れなかった」
「ご、ごめんてぇ……。だって、可愛かったんだもん…それに、珍しいものがいっぱいで…」
紡はふう、とため息をつく。しかしその手には、目的だった特別な縫い針が、確かな重みを持って握られていた。陽の光に透かすと、針はまるで自ら光を放っているかのように、鋭く、そして美しく輝いている。
この針があれば、もっと複雑で、もっと強力な仲間を生み出せるかもしれない。紡は、その針の感触を確かめながら、次なる創造への意欲を静かに燃やすのだった。
***
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