第6話「窓から首ヒョコヒョコ女」
その夜、桜井葵は自室のベッドの上で、いつものようにオカルト系のまとめサイトを巡回していた。枕元には、紡から預かった二つのぬいぐるみがちょこんと座っている。部屋の明かりを消し、スマホの画面だけがぼんやりと彼女の顔を照らしていた。画面をスクロールする指が、一つの見出しでぴたりと止まる。
『八王子都市伝説ファイルNo.8、窓から首ヒョコヒョコ女』
記事を読み進める葵の目が、好奇心にきらりと光った。
「……夜中に窓の外を見ると、無表情な女がヒョコッと顔を出して覗いてくる。目が合うと消えるだけで、実害はないらしい」
記事には、そんな比較的無害な内容と共に、「呼び出す儀式」という項目があった。その手軽さが、葵の冒険心をくすぐる。
『探している人の似顔絵を窓に貼り、「ここにいますよ、入ってください」と三回唱える』
「へぇ、簡単じゃん」
葵はニヤリと笑った。紡のように、特別な力で怪異と渡り合いたい、という純粋な憧れ。そして、彼女ばっかりに怪異との遭遇という「美味しいところ」を持っていかれるのは面白くない、というちょっとした対抗心。半ばゲーム感覚で、彼女は儀式を試すことを決意した。
「ふっふっふ…私だって、怪異とコンタクトできるんだから!」
葵はベッドから抜け出すと、ネットで適当なイケメン男性のイラストを拾って印刷した。それを、少しだけ換気のために開いていた自室の窓に、セロハンテープでべたりと貼り付ける。そして、両手を合わせ、真剣な顔で儀式を始めた。
「ここにいますよ、入ってください。……ここにいますよ、入ってください。……ここにいますよ、入ってください!」
声が、しんと静まり返った部屋に吸い込まれていく。
◇
儀式を終えてから数分。部屋は静かなままだ。カーテンの隙間から差し込む月明かりが、床に置かれたぬいぐるみの影を長く伸ばしている。
「なーんだ、やっぱりガセネタか。つまんないの」
葵は肩を落とし、ベッドにごろりと寝転がって再びスマホをいじり始めた。期待が大きかった分、落胆も大きい。
その時だった。不意に、窓の外に人の気配を感じる。気のせい、と思おうとしたが、それは粘りつくような視線となって、葵の肌にまとわりついた。
まさか、と思いながら葵がゆっくりと顔を上げると、そこにいた。
窓の外、無表情な女の顔が「ヒョコッ」と現れ、じっと部屋の中を覗き込んでいる。その瞳は、何も映していないかのように虚ろだ。噂通りの展開に、葵は恐怖よりも興奮を覚え、とっさにスマホのカメラを向けた。
「お、来た来た!マジで出たし!これはスクープ!」
しかし、次の瞬間、事態は噂とは全く違う方向へと転がっていく。
女の首が、にゅるり、と関節を無視した滑らかな動きで、ありえない長さに伸び始めたのだ。そして、開いていた窓のわずかな隙間から、まるで蛇のように、くねくねと部屋の中に侵入してくる。
葵の顔から、さっと血の気が引いた。
「……え? ちょ、噂と違う……!話が違うじゃん!」
伸びた首は、部屋の中を縦横無尽に動き回り、キョロキョロと何かを探している。そのおぞましくも滑稽な光景に、葵はついに金切り声を上げた。
「いやあああああ!」
ベッドから転げ落ち、床を這うようにして慌ててクローゼットの中に身を隠す。息を殺し、扉の隙間から外を窺うと、首は葵の気配を察知したのか、ゆっくりとクローゼットの方へ近づいてくる。そして、扉の隙間をこじ開けようと、先端の頭部をぐりぐりと、まるでコルク栓を抜くようにねじ込んできた。
「だ、誰か助け……!」
絶体絶命。葵が涙目になった、その時だった。
クローゼットの隅に置いてあった彼女の通学カバンが、淡い光を放った。中に入れていた「厄除け狛犬」のぬいぐるみが、主の危機を察知して起動したのだ。
光は、クローゼットの扉の前に不可視の障壁を形成する。迫ってきた首は、障壁に触れた瞬間、「バチッ!」という激しいスパーク音と共に弾き返された。
それと同時に、狛犬は主である紡に向けて、強い危機信号をテレパシーのように送った。
◇
その頃、古民家の工房で裁縫をしていた紡は、胸の奥で狛犬との繋がりが強く共鳴するのを感じ、弾かれたように顔を上げた。針が、指から滑り落ちる。
「っ…!この感じは…葵!」
「いかん!あの小娘、また何か厄介事に首を突っ込みおったな!」
懐の祖父ぬいぐるみが叫ぶ。
「行ってくる!」
紡は返事もそこそこに、祖父と数体のぬいぐるみを懐にねじ込むと、工房を飛び出した。急いで自転車にまたがり、夜の闇へとペダルを強く踏み込んでいった。
◇
葵の部屋に到着した紡が見たのは、障壁に阻まれながらも諦めずに暴れ続ける首と、クローゼットの中で怯える葵の姿だった。
「これは単なる幽霊ではないぞ、紡!『ろくろ首』の一種じゃ!」
祖父が鋭く叫ぶ。
「強い執着……探し物があるはずじゃ。葵の共感力を借りよ!」
紡は、障壁を維持して少し消耗している狛犬を労うように撫でると、クローゼットに向かって叫んだ。
「葵、しっかりして!怖がらないで!あの首が何を探しているか、何を感じているか、集中して読み取って!」
その声に、葵は震えながらも、必死に首の動きと、自らが窓に貼った「似顔絵」に意識を向けた。
(え、えっと……)
葵の脳内に、切実で、そしてひどく悲しい感情が流れ込んでくる。
『あの人はどこ…?』
『会いたいだけなのに…』
『この絵の人…どこにいるの…』
「分かった!」
葵はハッと顔を上げた。
「この首、私を襲ってたんじゃない!私が窓に貼ったこの絵の人を、ずっと探してたんだ!」
真意を理解した葵は、クローゼットから飛び出し、涙ながらに叫んだ。
「ごめんなさい!あなたが探している人は、ここにはいないの!これは、私が面白半分で、適当に貼った絵なの!本当にごめんなさい!」
その心からの謝罪が届いたのか、首の動きがぴたりと止まる。探し人がいないと悟り、その強すぎた執着の力が抜けたように、床にだらりと垂れた。
紡は、その一瞬の隙を見逃さなかった。
「……安らかに」
紡が力を込めると、ろくろ首は穏やかな表情を浮かべながら光の粒子となり、その場には、首の長い女性が描かれた奇妙な柄の布が一枚、ひらりと残された。
後日。工房で、紡は持ち帰った布を使い、一体のぬいぐるみを縫い上げていた。それは、首の部分が布の伸縮でびよんと伸び縮みする、デフォルメされたろくろ首のぬいぐるみだった。
「……これで、探し物も楽になるかな」
完成したそれを手に取り、紡は小さく呟いた。
「特定の人物や物を探す」能力を持つ、新たな仲間が誕生した瞬間だった。
***
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