第4話「下げ坂の絶叫、共感の目覚め」
まだ人と会うことに強い抵抗がある紡にとって、人のいない深夜は貴重な息抜きの時間だった。古民家の周辺に広がる、月明かりだけが頼りの暗い夜道を、一人静かに散歩する。作務衣の懐には、窮屈そうに執事ぬいぐるみと、今日生まれたばかりの厄除け狛犬が収まっていた。
「ふむ…夜の散歩も悪くはないが、ちと冷えるのう」
懐の中から、祖父のくぐもった声がする。
「……静かで、いい」
そんな他愛ない会話を交わしながら、紡は近道だという「下げ坂」と呼ばれる、木々に囲まれた薄暗い坂道に差し掛かった。その時、ぞわり、と冷たい指で肌を撫でられるような悪寒が走る。それと同時に、坂の下の方から、甲高い少女の悲鳴が闇を切り裂いた。
「きゃああああああっ!」
紡はびくりと肩を震わせ、恐怖でその場に縫い付けられたように立ち尽くした。
◇
無視は、できなかった。
紡は意を決して、悲鳴のした方へと駆けつける。坂の途中、彼女は信じられない光景を目の当たりにした。
血に濡れた男の生首が、ゴロゴロと骨が軋むような不気味な音を立てながら、重力に逆らって坂を「上って」いる。そしてその先では、自分とさほど歳の変わらない制服姿の少女が、腰を抜かしてへたり込んでいた。
「ひぃ…!こ、来ないで…!」
(何、あれ……)
少女――
「危ない!」
狛犬のぬいぐるみは葵の目の前に着地すると、淡い光の結界を自動的に展開する。ゴロゴロと迫ってきた生首は、見えない壁にぶつかり、「バチッ!」という音と共に動きを止められた。
「え……え?」
葵が目の前の出来事に呆然とする中、紡は生首の怪異を布に変えようと、意識を集中させる。
(あの時と同じように……この気配を、布に……!)
しかし、紡の力は、その強固な怨念に弾き返されてしまう。土地の概念から生まれた「気配」とは違い、この怪異には、強い未練と意志があった。
「くっ……!効かない…!」
「ただの概念ではない!強い未練を持つ魂じゃ!」
懐から顔を出した祖父が、鋭く助言する。
「力をぶつけるだけでは無理じゃぞ!それは『成仏』させねばならん!未練を読み解く『共感力』が必要不可欠じゃ!」
「共感力……?そんなの、私には……」
他者との関わりを絶ち、心を閉ざしてきた紡にとって、怪異の心を読み解くことなど到底できるはずもなかった。焦りだけが募っていく。
その時だった。
結界の中で恐怖に震えていた葵が、生首が結界に阻まれて動けないのを見て、少しだけ冷静さを取り戻していた。彼女は、持ち前の尽きせぬ好奇心で、必死に生首の動きを観察し始める。
「……あれ…?この首、私たちを襲いたいんじゃなくて……」
震える声で、しかしはっきりと、葵が呟いた。生首は、結界を破ろうとするでもなく、ただひたすらに、結界の向こう側――坂の上を目指そうともがいている。
「ただ、この坂を上りたいだけに見える…!」
その言葉が、雷のように紡の心を打った。
(坂を、上りたいだけ……?)
葵の恐怖越しの、しかし純粋な視点を通じて、紡の心に、生首が抱える切実な想いが流れ込んでくる。
――家族の元へ帰りたい。ただ、家に帰りたい。
その無念だけが、この首を動かしている。
紡は、生首に向かって、自然と手を合わせていた。
「……もう、大丈夫ですよ。あなたの想いは、ちゃんと届いてますから。安らかに、お眠りください」
紡が心から成仏を祈った瞬間、生首を覆っていた禍々しい怨念は浄化され、穏やかな光と共に、一枚の古びた布へと変化した。初めて「成仏方式」で怪異を布に変えた瞬間だった。
◇
結界が消え、坂道に静寂が戻る。
助かった安堵よりも、目の前で起きた一連の超常現象への強烈な好奇心で、葵は目をキラキラと輝かせていた。
「す、すごい!今のは何!?あなた、何者!?そのぬいぐるみ、喋ったよね!?魔法?超能力!?」
駆け寄ってきた葵に矢継ぎ早に質問され、紡はたじたじになりながら後ずさる。
「え、あ……その……」
内向的な織紡師と、外交的なオカルトマニア。
二人の少女の、奇妙で騒がしい関係は、こうして幕を開けた。
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