●南の暴君 3

「明日ですと?」


 リーガネスが椅子を鳴らして腰を浮かせ、シュザルクは言葉こそないまま瞠目した。重苦しい空気の中、沈黙を余儀なくされてきた家臣達も、互いに顔を見合わせてさざめく。


 新たな当主が放ったのは、大食堂を騒然とさせるに余りある乱暴な宣告だった。


 もっとも、当のベルドリック本人には発端の自覚などない。口端の笑みはそのままに、不躾なほど大きく舌打ちする。


「何故狼狽えるのか理解出来んな。ネイズワースから少なくない領民を他領に移住させたのは何の為だと思ってんだ?」

「これは必定ひつじょうの動揺です、ベルドリック様」


 リーガネスの向かい側、シュザルクは嘆息すると険しい顔を暫定当主に向ける。


「いかな軍備の再編が成されたと言えども、戦にはそれ相応の支度が必要。当主様の御一存で始められる様なものではございません」

「将軍の言う通りです、ベルドリック卿。何より、ガレニウス卿よりの勅命がまだ届いておりません。我等ネイズワースのみで先んじて動くはいささか早計かと」

「そんな細かい話、知った事かよ」


 継がれたリーガネスの説得にも耳を貸さず、ベルドリックは鼻を鳴らした。


「『戦をする』って言い出したのはだろ?言われた通りにやって何が悪いんだよ」


 僅かにざわめいていた大食堂が、一斉に息を呑んで静けさに包まれる。僅かに青ざめたリーガネスが、最早隠す素振りもなくベルドリックをきつく睨む。


「かの偉大なる歯車翁をして何たる暴言……口を慎まれよ」

「はぁ?誰が何を慎むって?吸血鬼に王はいない筈だろうが。寝惚けてるんならベッドにでも戻っとけ」


 どこまでも不敬に、そして尊大に。空になった酒瓶を未練がましく杯の上で振りながら、ベルドリックは続ける。


「いいかお前ら。四大しだいはどの家も眷属を統べるに値する由緒ある血統、あるのは絶対だけだ。例え何十年ぶりに戻って来ようが、俺の様に暫定当主で後見人だろうが、全ての家門は等しく横一線。はなから上も下もないんだぜ?」

「そうであっても看過出来ぬ放言!吸血鬼の祖の一人でもあらせられる卿に、無礼も甚だしいと申し上げておるのです!」

「先人は敬え、か。せいぜい肝に銘じておくさ。……それにしてもシュザルク」


 椅子を倒して立ち上がったシュザルクを、ベルドリックは口角を上げたまま一瞥する。


「一介の将軍ごときが四大相手に随分な口を叩いてくれたもんだな。喧嘩を売るなら喜んで買うが……構わねぇな?」

「本意ではないが……止むを得ません!」


 押し殺す様に言い放ったシュザルクが、腰に佩いた剣の柄を握る。

 対するべルドリックもまた、勢い良く立ち上がり長身を露わにする。

 一触即発の彼等を前にリーガネスも腰を浮かせ、双方を鋭く見据える。


 三人の瞳は赤でみなぎっていた。濁りの無いその色は、吸血鬼が己が魔力を練り上げ、臨戦態勢を整えた証左である。



 人間のそれとは違い、十一門ある吸血鬼の貴族に爵位は存在しない。高位の順に四大、三名家、四爵ししゃくという呼称のみが存在する。

 そして彼等の世界に於ける身分は極めて簡潔である。貴族上位か、貴族以外眷属か。


 彼等の世界では、両者の間に決して越えられない――否、越えてはならない――壁がある。


 将軍位に在るとは言え、シュザルクは貴族ではない。仮に貴族を相手に抜剣したとなれば、例えべルドリックの乱暴な挑発の末であっても、決して赦されぬ反逆。咎人とがびとの烙印を押され末代まで喘ぎ苦しむのは、貴族と相対した側になる。

 

 一方で、規範となるべく立ち振る舞い、眷属の庇護を自らの矜持とするのが貴族の本質である。私闘など言語道断、ネイズワース家のみならず全ての貴族階級を貶める蛮行以外の何物でもない。


 残念ながら、長い吸血鬼の歴史に於いて同様の事例がなかったわけではない。故に、こうしたいさかいの顛末は彼等の間に知れ渡っている。

 他の十門の貴族達から蔑まれ交流を断絶されるのは勿論、合議の末に所領の取り上げや処刑が行われた実例もある。

 また、領主に失望し見限った領民の出奔しゅっぽんが止めなく相次ぐ。


 無論、その先に待つのは家門の凋落ちょうらく



 故に、未曾有の危機に汗を滲ませたアドローは、横に並ぶセラン以下執事達に目配せした。

 その後方、給仕や調理人、庭師までもが息を呑みながらも僅かに腰を落とし、前傾で事態を見守る。


 貴族のべルドリックと自分達眷属との間には、圧倒的なまでの力量差がある。束になったとて、振り上げた片腕ひとつさえ止められないかもしれない。


 だが此処はネイズワース家、眷属を統べる四大貴族のひとつ。万にひとつも蛮行があってはならない。

 もしべルドリックが彼女の命を奪ってしまえば、受け継がれてきた名門が地に堕ちるだろう事は容易に想像がつく。


 居並ぶ家臣の誰もが、いよいよとなれば構わず飛びかかって身を挺し、自身の命をなげうってでも二人を制止する覚悟だった。だが。


「お止め下さい、叔父様」


 震える声と共に、ノイラントがべルドリックの右手首を掴んだ。


「なんだよ、頼りない声出して。そんな体たらくで次期当主が務まるのか?」


 鼻で笑いながら視線を向けたべルドリックが、此処で初めて真顔を見せた。

 まだ幼い双眸は、烈火にも似た深紅で燃え盛っている。

 揺れた声音は、押し殺した怒りが故。



 父様は立派なかただった。誰もが認める存在だった。


 子供だから言うんじゃない。宴で見ていても、父様が皆から慕われている事はすぐに分かったし、当たり前だとも思った。

 それだけの時間を、吸血鬼の世界の為に捧げてきたのを知っているから。


 その父様がいなくなったのに、夜は何も変わっていない。長くいてくれている家臣達は別として、誰も彼も、悲しんでいる様子もない。


 貴族達だってそうだ。父様の代わりに現れた出鱈目な叔父に、どうして誰も何も言ってくれない?


 僕がまだ子供だからか?幼いから、いけないのか?


 ……バカにするのもいい加減にしろ。

 


 礼節をわきまえない野蛮な叔父に。その彼を後見人と決めた大人達に。哀れむ様に向けられる多くの視線に。


 そして、父を失った自分達を置き去りにして、変わらない夜の世界の全てに。


 ノイラントは独り、はらわたが煮え繰り返るほどの憤怒をたぎらせていた。



「叔父様もネイズワースの血が流れているのなら、不躾ぶしつけな真似は、……程々になさって下さい。家臣達に示しがつきません」

「ほう……いきなり大人びた口利きやがる。伊達に姉貴達の血を引いてねぇって事か」


 雄々しくも辿々しいノイラントの諫言に、不敵な笑みを取り戻したベルドリックは「とは言えだ」と口角を上げる。


「暫定だろうが何だろうが、俺がネイズワースの当主である以上、非礼なのはシュザルクだ。剣こそ抜いちゃいねぇが、こいつは確かに『喧嘩を買う』と言ったからな。この落とし前、どう付けさせる」

「……その程度、不問には出来ませんか」


 正論を前に、僅かに勢いを失って萎んだノイラントの語気をベルドリックが聞き逃す筈もない。掴まれていない左手を大きく広げ、首を何度も横に振る。


「その程度?貴族が眷属に好き放題言われて終わり?あっていい話じゃねぇな、どう考えても」

「では……どの様にしたら叔父上のお怒りは収まるのです」


 小さな力が増すのを手首から感じ取ったベルドリックは、芝居がかった自身に興醒めしたかの様に、静かに腰を下ろした。

 ただ、表情は変わらず不遜な笑みのままでいる。


「そうさなぁ……今ここで首を噛みちぎってやったって良いんだが、折角可愛い甥っ子がこうして進言してくれたんだ。顔を立ててやるとするさ」

「叔父様……」

「但しだ」


 声高に続けられたベルドリックの宣告に、ノイラントの安堵は消え去った。


「ノイラント、ここは貴族らしく決闘だ。お前が勝ったら今回の一切は不問だ。だが俺が勝ったらシュザルクの首を撥ねる」

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