第二章 討伐庁

第14話 箪笥の中の書類


フィン=フォーゲルは柔らかい日が差し込む静かな部屋の中、読みかけの本を手に取りカウンターに座る。


今日もいつも通り──いや、いつも以上に暇だった。


固定客は数人いるが、まぁ日中のこの時間には来ないだろう。


少し渋いお茶を啜りながら本を開きかけ──


ふと隣のテーブルに目をやる。



そこにはテーブルにだらしなく体を預け、すうすうと寝息を立てる少女がいた。


口を半開きにし、無防備に眠るこの少女──



彼女が今回の勇者、坂木莉愛だと一体誰が信じるだろうか。


「…君は一体いつまでここにいるんだ」


持っていた本で軽く小突くと、少女はうめき声とともに身体を起こし、不貞腐れた顔でこちらを見る。


「…だって、一緒に来てくれる人、ぜんっぜん居ないんだもん」


「それはそうなんだけどな」



サキュバス討伐から既に3度日が昇っている。


この間、俺もリアも遊び呆けていた訳ではなく、勇者の旅仲間を探していた。


だが、サキュバス討伐したあの日、街に帰った俺たちに向けられた視線の正体に直ぐに気づかされることになる──




「……あの子か?」


「おう、あれが勇者様だよ。北の山に行ったって話だが──」


「戻ってきたってことは、サキュバスを──」


「俺には無理だわ。あんな若い子がねぇ……」



街ゆく人の言葉は人の姿をした魔物を斬ったリアへの畏れ。


ひょっとしたらサキュバスと関係を持っていた町民も居るのかもしれない。


否が応でも耳に入り不快感を覚えるが、直接文句を言ってくる人は居なかった。


彼らだって理解しているのだ、これ以上サキュバスを看過していたら街全体が危険だったことを。


だから表面上感謝はするのだが──


「え?旅の仲間を探してる?いやぁ...俺は遠慮しとくわ、あんたについてける気がしねぇって」


この調子である。

表立って非難も称賛もしないが、関わり合いになるのはごめん被る、といったところだろう。



重苦しい空気が店内に流れる。


──この状況を想定できなかった俺が甘かったのだ。


「サキュバスを討伐して功績を上げれば良いって言ったのは俺だ...すまん」


俺はリアに頭を下げる。


これが大男の勇者であればこんな評価になっていないだろう。


元気で可愛らしい少女が人を無慈悲に斬った、そのギャップこそが町民の目には恐怖に映るのだ。


キマイラをたった一人で圧倒したという噂もその異質さに拍車をかけているようだった。


「別に怒ってないよ、勝手について行ったのはこっちだし…でもどうしよっかなーって」


リアは唸りながら机にだらりと倒れ込む。


俺はこほんとひとつ咳ばらいをすると、リアに向かって人差し指を立てる。


「そこで一つ提案なんだが、俺と隣町に行かないか?」


ぴくり、とリアの肩が動く。


「ここから西の森を抜けて平原を歩いた先に隣町がある、俺の幼馴染もそこにいるから多少顔が利く」

 

それでもリアは突っ伏したまま動かない。


「隣町にはこの街より強い人達が集まるから、悪くない提案だと思う」


「城下町よりも強い人?」


意外、といった声だ。


確かに直感で言うと城下町から離れた町村は腕の立つ人がいなさそうに思えるが、それは間違いだ。


「地方は王都の庇護なんてないからな、自分のケツは自分で拭けって場所ばかりだ。だからこの街に住んでいる人より魔物と戦ってる」


リアは音がしそうなほど勢いよく身体を上げ、こちらを見る。



その顔は──真顔だった。



「それ……最初に言えばよかったんじゃ……?」


数日あったんだからどこかで言ってくれればよかったのに!と叫ぶリアに俺は呆れ気味に答える。


「ほとんど何もせず、ベッドの上で時間を浪費しただけのやつが何を言う」


「あー!覗いてたんだ!!ひどい!!」


リアはサキュバス討伐の心労が祟ったのだろう、しばらくは宿に籠もりきりだった。


ちなみに覗いたのではなく、宿の主人に様子を聞いただけである、風評被害も良いところだ。


「で、どうする?」


「いくよ!いくしかないでしょ!」


聞くやいなや俺は膝を叩き立ち上がる。


「そうと決まれば出発の準備だな」


隣町へは森を抜け、平原を進む。


広大な森を進むが人の往来は多く道は整備されているため危険は少ない。


だが途中で野宿を挟み、3日ほどの行軍になるだろう、ある程度の準備が必要だ。


それをリアに伝えると承知したとばかりに大きく頷く。


そして周囲に視線を巡らせ、タンスを睨むように見つめていた。



「おい、どうした」



俺がそう声をかけようとした途端、リアが唐突にタンスを開け放つ。


あろうことかその中を物色している。

その様は勇者ではなく完全に盗人のそれ、早くやめなせなければ勇者の沽券に関わるだろう。


俺はリアの肩を掴み後ろに引く。


「急に何してるんだ、勇者らしくもない」


するとリアはこちらを振り返り、笑顔で勇者の証を見せてくる。



…だから何なのだろうか。


タンスを漁ることと勇者の証を提示することの繋がりが俺には見えない。


「人の家のものを勝手にいじるのはやめたほうが良い、君の元いた世界ではそれが普通だったとしてもだ」



俺がそう言うとリアはさもびっくりしたかのような顔をした。


「勇者は他人のタンスを漁る権利があるんじゃないの?!」


「そんな権利があってたまるか!」


あまりに横暴な権利だ、どこの世界にそんなルールが有るのだろうか。


俺は呆れながら言う。


「俺は色々と準備しないといけない事がある、店を離れるから君も準備を進めてくれ、タンスはいじるなよ」


食料の調達はもちろん、数日店を開けるのだ。


後から文句を言われても困るので客に魔道具をまとめて売りつけてくる必要がある。


そしてミリアにも、魔道具をいくつか渡しておこうと思っていた。


いくつかの魔道具を袋に詰め、盗人、もとい勇者に釘を刺すと俺は店を後にした。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「もう、行ったよね……?」


私──坂木莉愛は、やる。


やると決めたらやるのだ。


フィンに「タンスは漁るな」と釘を刺されたけど、タンスの底、衣類の陰に奇妙な箱が隠してあるのを見てしまった。


もちろんそれは、年頃の男の子特有のちょっとアレな隠し事…と言う訳じゃない、たぶん。


なぜか、『この箱を絶対に無視してはいけない』と感じた。


ひょっとしたら、私をこの世界に転生させた神様が何かを伝えようとしているのかもしれない。


箱を取り出し、一度深呼吸をしてから蓋をそっとずらす。


羊皮紙の匂い。インクの滲み。胸がちくりと痛む。ごめん、ちょっとだけ。




そして──私は紙束を手に取った。




『魔道具の再定義:記録型魔式媒体と非生体魔力源による無詠唱発動機構』


著:フィン=フォーゲル/提出先:王都ゼルビア魔術ギルド記録局


――従来の魔道具は「素材依存型」。

――本稿は詠唱の情報(幾何・音韻・位相)を紙へ固定し、外部魔力で無詠唱発動を可能にする。

――供給魔力は生体由来に限定されない(魔石等で可)。

※走り書き:「流通管理を先に。安全策なしの公開は不可」



……なんだろ、これ。


難しい言葉が並んでいて読むだけでも目が滑る。


ただ、ところどころの走り書きや図から、これはフィンの巻物の仕組みだと分かる。


詠唱を省いて魔法を発動。魔石の魔力で起動。誰でも使える──

うん、フィンが持っていた巻物の特性とぴったりだ。



「あれ?なんか紙が挟まってる」


ページの途中で、別紙が糸留めされていた。



【王都ゼルビア魔術ギルド・危機通達第17-β号】


本研究は、魔法行使の統制を根本から損ない、既存の防衛・教育制度を一挙に瓦解させる危険を有するものである。


魔法とは本来、長年の修練と資格によってのみ扱いが許される“社会管理下の戦力”であり、本研究は無差別な殺傷力を大衆に拡散する行為に等しい。


本稿に記された魔道具は、年齢・知識・倫理を問わず使用可能であり、特別な訓練も不要である。


――もし明日、無知な子供が街角で当該魔道具を使ったとして、誰がそれを止められるのか。


よって、下記を厳守せよ:

1.研究の即時停止

2.既存試作品および資料の公開、配布の停止

3.ギルドによる適切な管理下への移行


これに応じない場合、押収・拘束・公示断罪 を含む措置を執行する。


『秩序の維持は、あらゆる叡智に優先される』


──王都ゼルビア 魔術ギルド




指先が冷たくなる。


初めてフィンに会った時に覚えた違和感。


私は彼の作る魔法の巻物を見てこう尋ねたはずだ。



──これ、すごく便利そうだけど、他の店では売って無かったよね?



その返答は……なんだったっけ?



そのとき、表の床板がぎぃ、と鳴った。


心臓が跳ね、私は紙束を慌てて元の位置へ戻す。


……深呼吸。大丈夫、まだ帰ってきてない。たぶん。



フィンは何をしようとしているのだろう。


魔力の無い人を助け、救うこと、それが彼の目的だと思っていた。


でも、本当の目的が別にあるとしたら──



私の心臓はどくんどくんと早鐘を打っていた。

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