第13話 誰かを救うということ


街に到着するころには既に日が傾いでいた。


運び屋のお陰で日が暮れる前に帰ることができたのは僥倖と言えるだろう。


街につくや否や、真っ先に俺たちを迎えてくれたのはミリアだった。


王のお膝元とはいえ、幼い少女が外を出歩くには少し遅い時間だ。


「おにいちゃん…」


不安の色が強くなった顔からは先日よりもひどくなった隈が見て取れた。


…父親の治療は明日にする予定だったが、これは急いだほうが良さそうだ。


「ミリア、お父さんの治療をしたいから家まで連れて行ってくれるかな」


その言葉に少女の顔がパッと明るくなる。


ミリアは急ぎ足で歩くが、幼い少女ということもあり歩幅は小さい。


そんな歩調だったからか、周囲の視線に気づいてしまった。


…見られている、周囲の人間に。


それも一人や二人ではない、道行く人々の多くがこちらを見ていた。


日が沈み始めた重い空気に混じるその視線は好奇か…それとも畏怖か。


キマイラを討伐、そしてサキュバスの討伐まで恐らく伝わっているのだろう。


本来であれば諸手を上げて歓迎されそうだが、その空気はどこかよそよそしかった。


「いったい何なんだ、この感じ」


俺がリアに声をかけるが、返答はない。


ふとリアを見ると肩を抱き震えていた。

その様子は明らかに普通ではなく、顔色が真っ青だった。


「おい、大丈夫か!」


「ご、ごめ…この空気、むりかも…」


周囲の視線に怯えるように、リアは声を絞り出した。


「ミリア、道を変えよう!」


俺はミリアの手を取り、急いで路地裏へ誘導する。


恐らく少女の家は町の西の地区、貧民街の方面だ。


多少治安は悪いが裏路地を通っていけば人の目を避けられるだろう。



人気のない場所で少し休憩したリアは落ち着きを取り戻していた。


「ごめん、もう大丈夫…あの感じ、前の世界のことを思い出しちゃって…」



前の世界というと、転生前の世界のことだろう。



…これは噂話なのだが、勇者として転生してくる人間は前世界で一度死を経験するらしい。


それが突発的な事故であれば仕方ないと思うが、もしそうでないとしたら。


リアのような若い少女が経験する死とは一体どのようなものなのだろうか。


「ミリアちゃんもごめんね、ほら行こっか」


そうして無理に笑顔を作りミリアの頭をなでていた。


その仕草を見て俺は余計な思考を振り払う。


いま、辛いのは目の前の2人の少女なのだ。


だとしたら俺が今できることは思考の海に沈むことではない。


「行こうか」


頭を振り、二人を促し歩き始めた。


ミリアの家に着いたのはそれから数分歩いてからだった。


「ここ!ここがおうち!」


ミリアが指さしたのは年季の入った簡素な木の建屋だった。


壁は木板で覆われており、ところどころ節が浮き、雨に打たれた跡が黒く染みついている。

屋根は粗末な板金で雨漏りの補修がされており、外からは石を重しにした箇所すら見える。


見るからに貧困層の家、という風貌だがこれでもマシな方だ。


王都ということもあり、貧民街の建屋でもさほど酷い作りではない

他の町や村では外で生活している人もいるくらいだ、雨風が凌げるだけいいというものだろう。


家に入ると一人の男がベッドの上に横たわっているのが見えた。


その姿に俺は息を呑む。


痩せこけ、焦点の合わない目。

食事も満足に摂れていないのだろう。


だが問題はそこではない。


彼は動かぬ身体を必死に引きずり、家を出ようとしていたのだ。


「おとうさん!だめだよ、うごいちゃだめ」


「北の…山…山に…行かないと…」


既に何度もそのやり取りを繰り返しているのだろう。


少女は必死に男を寝床に押し戻す。


這う際に地に爪を立てたのだろうか、彼の爪は剥がれ、床には引っ掻いたような爪痕と微かな血痕が残っていた。


リアが隣で口を押え、ひどくつらそうな顔をする。


「魅了ってこんなにひどいものなの…?!」


――何かに取り憑かれたように、理性すらも奪ってしまう。


『恋の病』などと言えば軽く聞こえるが、その実態はこれほどまでに凄惨だ。


「リア、薬を作る。手伝ってくれ」


「…うん」



作業自体は難しいものではない、薬は作り方が決まっているため手順さえ間違えなければ失敗はしない。

サキュバスから得た角と血液、それに道具屋で調達した薬草と、魔樹から採取した葉。


俺が次々と素材を出して混ぜ合わせるがリアは素材のどれもこれもを見たことが無いのだろう。


何か手伝おうと手をおろおろとさせるが、できることが無いと分かるとすごすごと引っ込める。


「慌てないで大丈夫だ、君には最後の仕上げをしてもらうから…よし、できたぞ」


そう言って、粘度のある真紅の液体が入った瓶を差し出す。


「えっと……このグロ…赤いのをどうすればいいの?」


サキュバスの血液を並々と注いでいるところを横から見ていたからか、一瞬嫌そうな顔をするが、それでも何かをしたいという意思が見える。


「そこに魔力を注いでくれ、俺には出来ない」


「私、魔力なんかないよ!!魔法なんて使ったことないし!!」


そんなはずはない。


勇者としての彼女の体には明らかに魔力が満ちている。


「君には魔力がある、神の加護の影響か分からないが…他の人よりずっと多い」


「で、でも注ぎ方なんて……」


「悪い…感覚的なことは俺にも分からない。魔力がないからやったことが無い」


リアは一瞬申し訳なさそうに口を噤み、やがて真剣な顔で瓶を持った。


「……やってみる」


両手で瓶を包み、目を閉じて集中する。



何も起きないかと思った瞬間――リアの手元が揺らいだ。


蜃気楼のように歪み、青い光が瓶に注がれていく。


真紅と蒼が渦巻きながら混ざり合っていく様は、まるで意志を持っているかのようだった。


「…これは…すごいな」


赤と青が流動的に動き混ざり続ける瓶を見て俺は陳腐な感想を漏らす。


過去に何度かこの薬の調合を見たことがあるが、ここまで美しかっただろうか。


「で、できたかな??」


不安そうな顔をして聞いてくるリアに、俺は笑いながら力強く頷く。


「ああ、完璧だ…!」



完成した薬を男の口に含ませる。


暴れられたら厄介だと思ったが、もうそれほどの力も無いのだろう。


殆ど抵抗なく飲ませることができた。


数瞬後、彼は苦しげに呻きながら胸を押さえ、のたうつ。


「おとうさん!」


「ミリア………? 私は……」


男は顔を上げ──その目がミリアを真っすぐに捉える。


ただそれだけでミリアの目に涙が溢れていく。


自分は目の前にいるのに、決して自分を見てはくれない。

幼い少女にとってそれがどれだけ辛かったか、想像するだけで胸が痛くなる。


「わたし、わかる?」


「ああ……ミリア。すまない、私は――」


言い終わる前に、ミリアは父親にしがみつき、声を上げて泣き始めた。




俺とリアは部屋を出て、木造の建屋に背を預ける。


背中から少女の泣き声が静かに聞こえるなか、二人で空を仰いだ。


「…よかったね、フィン」


「ああ、君のお陰だ、ありがとう」


今回は勇者の力なしでは救えなかった。


俺ひとりでは助けるどころか、たどり着く前にキマイラの餌になって終わりだっただろう。


リアは優しく微笑んでいる、それは勇者ではなく少女の笑顔だ。


サキュバスを討伐してからずっと顔色が優れなかったが、ようやく笑顔が戻ったことに安堵の息をつく。


俺はあの時に伝えた言葉をもう一度口にする。


「リア、君は誰かのために戦ったんだよ」


「…うん」


降りる沈黙。


リアは何かを堪えるように首を振り、少し宙を見上げ──そしてその目から一筋の涙が落ちる。


ずっと堪えていた何かが崩れるように、一度堰を切ったそれは止まらない。


声を上げることもなく、ただ静かに。


ずっと張り詰めていたものが、音もなく崩れ落ちていく。


俯いたまま涙を流す少女の肩が、わずかに震えていた。


リアとミリア、二人の少女の涙が夜の帳に溶けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る