第15話 石積みの部族の予言

 わたしやコーレがまだ目を覚ます前、アカリは一人でテントの外に出た。

 空はまだ夜の色が濃く、無数のテントからなるオアシスも静まり返っている。

 陽光が染み出した紫色の空の下、篝火が揺れ、訓練を兼ねた若者の見張りが岩場から見下ろしてくる。

 アカリが片手を上げて挨拶をすれば、小さく頷かれた。


 何かに呼ばれた気がして、アカリはオアシスの外に出た。

 見張りは止めず、誰かにつけられている気配もない。一人分の足音だけが岩場の隙間にできた道に響く。


 やがて、いくつかある分岐を曲がった。

 正確な道順を知るのは案内人だけで、加護のない者はオアシスに辿り着くことはできない、とミシュアには警告されていた。アカリも例外ではない。しかし、そんなことは忘れたと言わんばかりの歩みだった。

 その足が止まる。

 道の奥には小さな泉があり、草地があった。そして一人、ダードが腰を下ろして待っていた。

 いや、一人ではない。まるで岩のように見えた姿が起き上がり、赤い狼となってダードの傍に立った。

 不思議と、狼の姿はテントで見たよりも一回り大きかった。


「ここを嗅ぎつけるとはなぁ。どうやった」

「魔法使いは必要な時、必要な場所にいるものさ。こればっかりは変えようがなくてね、どうしても導かれてしまうんだ」


 ダードは鼻を鳴らして笑った。信じていないようだ。

 アカリもそれを当たり前として受け入れている。期待していないのだ。


「俺がいつからお前を待ってたかわかるか?」

「ん? 知らないよ。もしかして、明け方に魔法使いがやってくる、とか誰かに言われてたりするのかな」


 見たことも聞いたこともないことを、まるで知っていると言わんばかりに述べるアカリを、ダードは不気味なものを見る目で見た。


 アカリからすれば、こんなのはいつものことだ。

 魔法使いはいつも必要な時、必要な場所に現れる。

 その運命が確かである以上、アカリが明け方に目を覚ましたのも、何となく散歩に出る気になったのも、この泉まで勘だけでやってきたのも、全てそういうことだ。疑うべくもない。

 ここに来ることが運命で、必要を保証されたことなら、あとは簡単。ダードの存在も、この場所にいることも、この時間であることも、全て意味を持つはずだ。

 あとは逆算すればいい。見張りの反応、この場所の辿り着きにくさ、後をつけるのではなく何となくたどり着いたという事情……。おそらく、予言のようなものをされたのでは、ダードはそれを確かめるためにわざわざ夜の間にここに来て待っていた。見張りに、アカリが外に出ることを止めないように伝えていた。アカリにはそんな風に想像できた。


「生憎と何かを知ってるかと言われれば、何も知らないよ。単に、これがわたし達の生業というだけだからね」


 不思議との折り合いに運命を用いる者。

 己という白紙に運命を綴り、目に見えず、耳に聞こえず、手に触れぬものと踊る者。

 それが魔法使いだ。


「それで? 魔法使いを試して何をするのかな。用がないなら、テントまで送って欲しいんだけど」

「戻りたきゃ自分で戻ればいいだろ」

「何を言ってるんだい。わたし一人じゃ道に迷ってしまうよ」


 ダードは舌打ちすると首を振った。

 こいつとはいくら話しても無駄だ、と勝手に割り切られた時、人はいつもそんな態度になる。


「石積みの部族に予言の石碑がある。いつか、王の眠る地を探して魔法使いがやってくる。かのものを導くは案内人の責務である、ってな」

「その石碑は初代王が残したの?」

「ああ。王は石積みの部族に予言の石碑を与えた。そこにはあらゆる部族に、その時が来たらわかるように責務を刻んでいた……そうだ」

「曖昧だね。見たことはない?」

「ない。予言の石碑を残すことは石積みの部族の責務だし、時が来るまでそれは秘密にされるものだった。伝えるのもあいつらの責務だ。俺がそれを知ったのは、部族の最後の生き残りだとかいう二人組が、それを伝えに来たからだ」

「最後の生き残り……滅びたんだ」

「ああ。こればかりは王も見通せなかったのかもしれないが、石積みの部族はもう百年以上前に滅族したことになっている。生き残りがいたことには驚いた。砂漠の影の仕業だ、と噂されてるが、そのあたりは何も言わなかったな……。本当はどうだったんだか」

「砂漠の影というのは、シュオラーフと組んでいる部族だっけ?」


 ダードは嫌そうに顔を歪めた。


「あれは部族と言えるようなものじゃない。裏切り者の紋章師が偽りの紋章を与えただけの、形だけの集まりだ。魔獣と変わらない邪悪な者達だ」

「ありがとう。人と話す時は気をつけるよ」

「そうしろ。とにかくそれ以来、王の眠る地、アルカースを探すのは一族の義務というだけでなく、いつか来る魔法使いの助けになるための責務となった。……生憎と、見つけられてはいないがな」

「まあそれは、そういうこともあるよ」


 アカリの気楽な答えに、ダードは眉間の皺を深くした。


「……いいのかそれで」

「人の手でできることをした上で手が届かない時こそ、魔法使いは手を貸すものだよ。それに、予言通りなら、アルカースを見つけることは案内人の責務ではないかもだ」

「なんだと?」

「王の眠る地に導くのが案内人の責務、なんでしょう? アルカースの場所を特定するのはこちらの務めで、辿り着くには案内人の導きが必要……そういうことかもしれない」

「馬鹿な。案内人でも見知らぬ土地に人を導くことなどできん」

「そうだね。そこに、初代王の仕掛けがある、とわたしは睨んでるけども……」


 ダードは顔を歪める。意味がわからない、と吐き捨てたいのを頑張って飲み込もうとしているような、苦い顔だ。

 アカリはそこから視線を外すと、狭い空を見上げた。すっかり青空だ。


「夜が明けているね。そろそろ行こうか」

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