部誌第14号「新人オーディション」

第53話:夢は、起こらなかった「可能性」


 ──声が、聞こえる。


「夢というのはね、起こらなかった可能性を覗いているのかもしれない」


 誰かが話している。

 頭がぼんやりとして、声が遠いような近いような。


「または、起こったことを『なかったこと』にした時の、残された痕跡」


 わたしは何をしているのだろう。

 ぱちり、と目を開けた。


「あれ、ここは……?」


 校舎の屋上。

 ベンチに座っているわたしの眼の前には冷水衛れいすいまもるさんがいた。

 彼女がわたしに話しかけていたんだ。


「お目覚めかい、眠り姫」


 衛さんは右手をフェンスに手をかけ、遠くを見つめている。

 左手にある籐編とうあみのカゴはなんだろう?


 ふわぁぁ……

 わたしはまぶたをこすり、大きく伸びをした。


 そうだ。見学者の対応で忙しくて、疲れたわたしは神代君に後を任せて休憩していたんだった。


 ……いつの間にか、寝てしまっていたらしい。


「今の話、聞いてたかい」

「えっと……夢がどうとか?」


 衛さんの目がビンゾコ眼鏡の奥で細くなる。


「だからね、知り合いが言っていたんだよ。夢は『起こらなかった可能性』かもしれないとね」


 ──さっきから、この人何の話をしているんだろう? 

 厨二病のポエムみたいで、寝起きの頭に負担がかかる。


「まるでゲームの思い出し機能のように、その記憶を夢で確認しているんだ」

「それ何の小説ですか……。あ、そうだ。何か書かれるのなら、寄稿しません?」


「いや、私は小説の売り込みに来たのではない」


 そう言うと、衛さんは蒜山ひるぜんジャージー牛乳カフェオレパックを山なりに投げてよこした。


「購買で買った物を忘れたうっかり八巻君に、これを届けに来たのさ」

 わたしは軽くキャッチして、ストローを刺し一飲みする。


 上品な甘さが寝ぼけた頭に染みる。


「どうだい。完全に目が覚めた眠り姫は、何か覚えているかい?」


 ああ、そういえば……

 わたし、誰かとやり合って、大変なことになったような気がする。


 神代君と? 六島さんと? 四季ちゃんと?

 わたしが誰かを責めて、言い返されて、関係が壊れて──


『結局君は重要な事をぜんぜん話してくれなかった。なら相棒って、何?』


『彼女はあなたをずっと探していた……でも否定されて……君は酷い人だよ!』


『あの時、あなたは彼を拒絶してたじゃない。わたしが取って何が悪いの!』


『兄妹なのに? わたしは全力で阻止する。あなたから彼を取るから!』


 心に場面が浮かんでくる。

 それはとても生々しくて。


 ──いやいやいや、こんな出来事は起こってないから。

 全部、夢だよね? 寝てる間に見ていた、ただの夢。


「衛さん、おかしなこと言わないでください。ここ現実ですよ……現実ですよね?」

 わたしは『よくある物語のテンプレ』に思い当たり、ちょっと寒気がした。


「……夢オチとか、絶対やめてくださいよ?」


「お、調子が出てきたな。そんなことはないから安心してくれ」

 そう言うと、手にしていた籐編とうあみみのカゴをわたしのひざに置いた。


「忘れ物を届けた代わりといっては何だが、ちょっとお願いを聞いて欲しい」


 カゴのが、もぞもぞ動いている。


「その子たちを預かっていてくれ。購買にいると、その子たち目当てで女子達がたむろして商売にならんのだ」


 カゴの中身が『ぴょこん』と耳を立てた。


 中身が、カゴから顔を出す。

 赤い瞳がじーっとわたしを見つめる。


 黒のウサギと白のウサギ。

 鼻をぴょこぴょこ、口をもぐもぐしてて──



 ……か、かわいい。



「もちろんです! こんなかわいいウサギちゃん達なら、10倍でも預かりますよ」

 わたしは即答していた。


「そこまでは言ってないんだが……」

 衛さんは苦笑する。


「後でマイシスターがお迎えに行くから、その時に引き渡してくれ。ま、風水の調整乱数調整だと思って」


「らんすう? ふうすい?」

 ちんぷんかんぷんだ。


「開運法みたいなもんだが、あまり気にしないでくれ。それじゃあ私は購買に戻るよ」


 衛さんは手を上げ、「全く紫苑しおんの奴……あのタペストリーはもう少し先だと……」「彼女にはウサギに見えるのか」「執筆している世界観察記、寄稿してみるか」などとぶつぶつ言いながら階段を降りていった。


 人のことを見透かしたり、おかしな占いをしたり……。

 今日は厨二ポエムだ。全く、変な人だ。


 それよりも、気になることがある。

 言葉が通じる訳ないのに、ついウサギ達に語りかけてしまう。


「君達の名前はなんて言うの?」

 二羽のウサギは私を見た後、前足を籐編みカゴのへりに置いた。


 よく見ると、手が置かれた辺りにタグがついている。

 まるで答えようとしているみたいな……

 わたしはそこに書かれた名前と思われる言葉を呼んでみた。


「シロタビ、クロタビ」


 すると二羽は、耳をぴょこんと立てた。


 この子達、言葉が分かるの?

 いや、まさかね。


「ちょっとごめんね」


 へりに置かれた前足を手にとってみると、白い子は足がまるで早朝の空みたいに純白。黒い子は足が新月の真夜中みたいな漆黒しっこく


 なるほど、それでシロタビとクロタビなんだ。


「よろしくね、シロタビさん、クロタビさん」

 わたしがそっと頭を撫でると、二羽は赤い目を細めた。


 ああ、かわいい……。

 ずっと触っていたい。


 ……そういえば、見学の対応を相棒に任せっきりだった。

 そろそろ戻ってやらないと。


 わたしはそっとカゴを持ち上げた。

 そして、優しくその子達に話しかける。


「それではシロタビさん、クロタビさん。ご案内いたします」

 カゴをゆらさないよう、ゆっくりと部室へ向かう。


「ようこそ、東高校文芸部へ」


 ◇◇◇


 2年になっても、わたしと六島むしまさんは同じクラスだ。

 神代かみしろ君は別のクラス。1年の時と同じだ。


 六島さんは無口なのをいいことに、学級委員長を押し付けられていた。

 ちょっと気の毒だが、本人はやる気だったのでまぁいいかな。


 で、今日は学級委員長の集会へ行っている。

 時間的に、そろそろ部室へ向かう頃だろう。

 この廊下を通れば、きっと出会う。そんな気がする。


 わたしはカゴを抱えて歩きながら、考えていた。

 神代君のこと、どこまで話していいんだろう。


 かつて神代君は『蔵本』という姓で、六島さんと知り合いだったようだけど、今はそのことを彼女に知られたくないようだ。


 六島さんは『蔵本』が誰なのか知りたがっていた。

 でも、神代君は自分で自分の事を話すべきだと感じる。


 わたしが勝手に話したら──三人の関係を、壊してしまうかもしれない。

 夢で見た場面のように。


 考えれば考えるほど、不安になる。


 その不安が現実を呼んだのかもしれない。

 曲がり角を過ぎたところで、示し合わせたように


 ──六島さんと遭遇してしまった。


 シロタビとクロタビが、カゴの中で耳を立てる。

 赤い瞳がじーっとわたしを見つめている。


 六島さんはお気持ちノートを取り出して、こう書いてきた。

〈カゴ、どうしたの?〉


 何気なく聞く彼女。

 そして、わたしは──。





次回予告:『新人オーディション』

六島と八巻、それぞれの思いは交錯するのか?

そして、部室前には「オーディション会場」と張り紙が。どういうこと?

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