部誌第11号「動乱(ゆれ)る」

第42話:知らんぷりする女の子(達)


 2月11日、わたしは百貨店のデパ地下にいた。

 えーと、別に特別な理由があるわけじゃないよ。


 ただの義理チョコを買いに来ただけだ。


 わたしは、神代君がどんな顔をしてチョコレートを受け取るのかを見たい。

 できることならば、がその顔を見たい。独占したい。


 ……ううん、それはダメ。

 首を振ってその考えを追い払った。

 あいつに渡すのは義理。完全に義理。


 100パーセント義理だ文句あっか?

 この間の勝負は神代君の負け。

 本気チョコなんてあげるわけないでしょ!


 ……いけない、よくわからない理由で頭に血が上っていた。


 こんな時はこれよ。


 わたしは肩に掛けたキャンバストートから蒜山ひるぜんジャージー牛乳カフェオレのパックを取り出すと、ストローを刺してちゅーっと一口飲む。


 ふぅ、生き返る。

 全く……デパートの地下じゃなくて、わたしの心が動乱ゆれているれているじゃないの。



 なんて一人小芝居をやっていると、ちょいちょいと肩をたたかれた。

 誰だろうと振り返ると……。



〈奇遇〉



 そこには、お気持ちノートを持った六島さんがいた。

 立っているだけで読者モデルっぽい。


 アイボリーのコートに白いブラウス、グリーンのツイードマキシスカート。

 うん、冬の中にちょっぴり春を感じる。


「き、奇遇ね」


 そして、彼女の手には高級そうなチョコレートの箱が握られている。

 値札を見ると……三千円!?


「六島さん、それ……」


 六島は慌てたようにチョコレートを背中に隠した。

 そしてお気持ちノートを見せてくる。


〈義理〉


 今、六島さんをペロペロしたら嘘の味がするだろう。

 義理で三千円のチョコなんて買わない。


「うん、そうだよね。わたしも義理だし」

 とは言え、人のことは言えなかったりする。


 わたしは自分の手にある二千八百円のチョコを見せた。

 六島さんの目がかすかに見開かれる。


〈高い〉


「アハハハハ……」


〈服もそれなりに決まってる〉


 今日のわたしは紺のショートトレンチに白のニットと黒のテーパードパンツ。

 デート用1軍とは言わないけど、1.5軍くらいのラインナップ。


「ま、まぁ、お互い様ってことで」


 六島さんがこくこくと頷く。

 そんなわたしたちの前に、金髪の影がさっと現れる。


「あ、マキ姉ぇに六島姉ぇ! 奇遇だね〜」


 神代君の妹、四季ちゃんだった。


 明るいベージュのパーカーに、デニムスカートと白いスニーカー。

 髪は淡いピンクのシュシュでポニーテールにしている。


 そして、彼女が持つカゴにはチョコレートの材料らしきものが山のように……。


「四季ちゃんそれ、どうしたの」

「うん。手作りチョコを作ろうと思って」


 さらっと言ってのけた。この子は本当に素直だ。

 兄の神代君とは似ても似つかない。


「三年連続で失敗しちゃってて。今年こそちゃんと渡すんだ」

「ちなみに誰に渡すの?」


「兄ぃに義理で渡すに決まってるじゃん。マキ姉ぇは?」

「……義理よ」


「六島姉ぇは?」

〈義理〉


 全員知らんぷりしてるけど、わかってる。


「ふーん?」

 四季ちゃんが首をかしげる。


「義理にしては高いよね。まあいいか。じゃあわたし、もうちょっと材料買うから!」

 そう言って、四季ちゃんが去って行った。


 わたしと六島さんにきまずい沈黙が流れる。


「と、とりあえず、レジ行こうか?」

〈それな〉


 レジを待っている間、わたしたちは見つめ合った。

 いや、視線がぶつかり火花が飛んでいた。


〈明日、どちらが先に渡す?〉

「先に渡すのは……」



 ◇◇◇



 2月14日、文芸部の部室に向かう廊下。


「よし、勝負よ六島さん」

 わたしは六島さんにそう告げた。


「お絵かき尻取りで勝った方が先にチョコを渡す。いい?」


 六島はこくりとうなずくと、お気持ちノートを渡してきた。

 わたしに先行を譲るようだ。


「それじゃあ、わたしから。しりとりの『り』で始まる絵……」


 わたしはノートにりんごを書いた。

「『ご』か、『こ』で続けて」


 六島は考え込んで、なんだかよくわからない点々を描いた。


〈ごま〉


「じゃあ……」


 わたしは帽子を書いてそこに丸と"M"と書く。


「『真理夫』よ。次は『お』」


 六島はまた点々を描いた。


〈おとと〉


 方言で稚魚のことらしいけど、点々だけ書くのズルくない?

 ならばと、わたしも点々を書く。


「えーと、『と』で……『とびこ』」


 六島さんは『あっ』という顔をした。

 でもすぐに元のポーカーフェイスに戻るとまた点々を書いて……


〈こな〉


 気づけばお互い点ばかり描いていて、全然勝負がつかない。


「これじゃあ永遠に終わらないじゃない」

 六島も困ったような表情をしている。


「まあ、とりあえず部室に行きましょうか」

 彼女もこくこくと頷く。



 部室のドアを開けようとしたところ、中から知らない女性の声が聞こえた。

「あなたが今の部長さんなんですね。文芸部が続いていて安心しました」


 わたしと六島さんは慌ててしゃがみ込み、扉に耳をやって様子をうかがう。


「はい、僕は第35代部長の神代一希かみしろいつきです。あの、オタミさん……でしたっけ? 僕、チョコ貰うの初めてなんですけど、本当にいいんですか?」


 そーっと六島さんと一緒に扉の窓ガラスから中を覗くと、神代君が二十代くらいのおだやかそうな女性からチョコレートを受け取っていた。


 肩にかかる落ち着いた栗色の髪に、160センチくらいの背丈。

 ふんわりとした白いブラウスに、ややクラシカルなブラウンのマキシスカート。

 縁のない丸メガネをかけて、化粧っ気は控えめ。


 彼女が微笑んだ瞬間、空気が少し変わった気がした。

 まるで他の世界から吹いてきた風のように。


 ……こんな先生、東高にはいなかった。どこの誰だろう?


 というかわたし達より先にチョコレート渡さないで欲しい。

 六島さんを見ると、唇を噛んでいた。


 わたしも六島さんも、心が揺れていたようだ。


「ええ、乙多見紫苑おたみしおんです。この5月から教育実習でお世話になるのですけど──」


 しおん……その名前に聞き覚えがあったのだけど、どうしても思い出せない。


「今はただの東高卒業生。そして、ここの元部員ですから」


 ──ピキーン!


 神代君が『今僕に電撃が走った』って顔をした気がする。

 彼の目がきらりと光り、突然立ち上がった。





次回予告:『期待している女の子(達)』

迷推理を披露する神代。だがそれは乙多見先輩から完全にスカされていた。

そして、八巻と六島のチョコはあんなことに。


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