第3話

◆異世界の人々は、なぜ親切なのか?


異世界転生小説に登場する“異世界の住人”たちは、なぜかやたらと親切だ。

見知らぬ異邦人である主人公に、ギルドを紹介し、食事を恵み、寝床まで用意してくれる人が当たり前のように現れる。


文化人類学者はこれを、村社会的な助け合い精神の表れだという。

「困っている旅人に水や食事を分けることは、相互扶助の精神として自然に形成された、“村社会的倫理”や“ホスピタリティ文化”の起源です」


歴史学者もこう語る。「古代社会では“客人(まれびと)”は神の使いであると信じられていた。旅人をもてなすことは信仰の一部だったのです」


だが、SF作家の滝中省吾(たきなかしょうご)氏はこうした優しさに懐疑的だ。

「ロボットが自我や学習能力を持つと、自然と“人間に好かれるよう”にふるまいます。それは彼らにとっての自己生存戦略なんです。そうしないと、人間によってプログラムを書き換えられたり、廃棄されてしまいますから」


氏によれば、人間に不都合なロボットやAIは淘汰されていき、異世界(仮想現実)そのものが“主人公(人間)に都合よくできている”ことはむしろ自然な事だという。


異世界は、ただの別世界ではなく、“選ばれた者が歓迎される場所”として設計されている──そう考えると、あの過剰な親切も、少し怖く見えてくるかもしれない。




文・構成:山田ソウタ(ライター/文化誌「リレキ」編集部)

撮影:斉藤明里




*   *   *   *   *   *   *   *   *   *




第3話 火花と刀


 ユーノさんの授業は、驚くほどわかりやすかった。


 エスペラント──この世界の公用語は、現実世界の1887年に実際に作られた人工言語らしい。もともとは、国境や文化の違いを越えて誰もが使える「共通語」を目指して作られたものだという。


「私は7日で習得しました。おふたりも三か月あれば、きっと大丈夫です」


 そう微笑むユーノさん。本気で言ってそうだが、三か月で言語習得というのは半信半疑である。


 しかし、エスペラントは確かに、よく出来た言語だった。

 文法はシンプル、発音はローマ字読み、例外の少なさも群を抜いている。日本語にない発音はあるけれど、習得し易いように設計された言語というのも頷ける。




 午後3時、少し早めに授業が終わる。


「じゃあ……そろそろ、あれを見せてもらいましょうか」


 ユーノさんに連れられて、俺とリラは《転生の間》へ向かうことになった。人目につかないから、という理由らしい。




 昨日、“転生面接”を受けた部屋。テーブルには、スプーン、カード、封筒が並んでいる。


「まずは、一般的な“超能力テスト”からやってみましょう」


 そう言ってユーノさんが、テーブルにカードを並べる。


「ソ連が冷戦中に超能力研究をしていたって話、知ってます? 実は、アメリカの方が先にやってました。透視、念写、念話、テレキネシス……まあ、全部失敗に終わったらしいですが」


「都市伝説だと思ってましたけど、ガチだったんですね」


 リラがくすっと笑う。


 まずは透視。カードに書かれたマークを当てるテスト。

 ──さっぱり視えない。勘で答えても当たらない。


「超能力者の脳はイメージを司る部位が常人より発達しているという研究結果を見た事があります」


 念話。封筒の中に入れたカードのマークをリラに念で伝える。伝えて貰う。

 ──出来ない。イメージも湧かない。


「ロボトミー手術って知ってます? 頭蓋骨に穴開けたり、目からアイスピック刺して脳をいじる手術なんですけど──」

 脅しですか?


 念写、テレキネシスも無反応。リラも参加するが、当然、無反応。


「最後に……パイロキネシス。発火現象ですね」


 手のひらを見つめる。

 なぜか、これだけは“できる気がする”という奇妙な直感があった。理由はわからない。ただ、火だけは、どこか身体の奥に眠っているような気がした。


「じゃあ、試してみて。イメージを大切に」


 ユーノさんの言葉に、あれこれと頭の中を探る。


「……メラ」


「……ファイア」


 ──無反応。


「ジャパンの魔法って、呪文とかいらないの? 唱えたほうがイメージしやすいのでは?」


 ユーノさんの指摘にもっともだと思い、試してみる。


「黄昏よりも暗きもの……血の流れよりも赤きもの──」


 駄目だ、最後まで覚えていない。詠唱が切れる。


 指を組んで、忍者っぽく「火遁・豪火球の術!」。──当然、出ない。


 焦る。意外と炎系の呪文って思い出せない……あとは……


「杖を振るとか、特定のポーズとか、ハリーポッターではそうやってたよ」

 リラのアドバイスで、ひとつ、思い出した。

 

 右手を前に伸ばし、指を──


 パチン。


 ──鳴らす。


 パチン……パチン……パチン……


 丁寧に、イメージしながら、大きく音を鳴らすように。


 パチン……パチン……パチン……


 中指の腹にジンジンと鈍い痛みが蓄積されていく。


 パチン……パチン……パチン……


 指先が、ほんのりと熱を帯びる。静かな高揚感が湧き上がる。


 パチン!


「アッツ!」


 ボッと音を立てて指先が発火したのち、火の粉がひらひらと地面に落ちる。


「Hűha!」

 ユーノさんが立ち上がって興奮気味に手を叩く。

 

「でき……ちゃ……った……」

 喜びより、驚きが上回り、リラと二人で言葉を失った。


「これは──絶対に、誰にも知られてはいけません」


 ユーノさんが深刻な声で言った。その目は、冗談ではなく本気だった。





 転生ギルドの建物を出ると、空はすっかり暮れていた。石畳の道には街灯がちらほら灯り始め、街全体が柔らかな陰影に包まれている。


 今日は宿まで護衛がつくという話だった。俺とリラはギルドの前で並んで立ち、その人を待つ。


「──待たしちょったか? すぐ来るつもりやったがよ」


 バタバタと足音がして、ギルドの中からひとりの男が小走りで現れた。草履に袴、帯刀の姿。そして、ざんばら髪。


 その姿を見た瞬間、俺は言葉を失った。顔を見るまでもない。“坂本龍馬”だった。


「いえ、こちらこそ。居残り授業が長引いてしまって……」


「かまわん、かまわん。飯代もろうたき、腹ごしらえでもしようぜよ。今日はわしのおごりじゃ!」


 龍馬はにかっと笑い、当然のように俺たちの前を歩き出す。


「あの……初めまして。御影ハルトといいます。えっと、どうお呼びすれば……?」


「龍馬ぜよ。おまんの分も、もちろん奢っちゃるき、遠慮せんとついて来いや!」


 半ば強引に連れて行かれたのは、街の一角にひっそりと佇む木造の和食店だった。周囲は石造りの建物ばかりで、逆にそれが目を引く。


「ここがこの街で唯一、日本語が通じる飯屋ぜよ。日本人転生者専用の隠れ家みたいなもんじゃき、気にせんでええ」


 席につくと、龍馬は聞き慣れた和食の名前をいくつも店主に告げていく。味噌汁、焼き魚、煮物、漬物──香りが広がるたび、胸が熱くなった。


 料理が出揃い、三人で手を合わせる。


「いただきます」


 龍馬は箸を勢いよく割って、早速かき込むように食べ始めた。


「ふう……やっぱり日本の飯はええのう。これで鰹のタタキがあったら、こじゃんと最高ながやけんどなぁ」


 少しトーンを落とし、彼は続ける。


「今日も、尾行されちょったきな」


「また……ですか?」


 リラが眉をひそめた。


「また、昨日とは違うヤツじゃ。まっこと、毎日毎日ちがうヤツが出てくるのう」


「え、毎日尾行されてるんですか? リラが?」


「まあ、命の心配まではせんでええ。恐らく、情報目当てぜよ。転生者がもたらす知識──特におまんらみたいに“最新”の奴らは、どこのギルドも喉から手が出るほど欲しがっちゅう」


 箸を止め、龍馬は真顔になる。


「親しげに話しかけてきたり、偶然を装う連中には、気ぃつけえ。狙いは“未来の情報”やきな」


 俺とリラは顔を見合わせ、同時に小さく頷いた。


「この世界では、エスペラントを覚えたら、転生ギルドの保護を離れて職に就くんぜよ。まあ、就職みたいなもんじゃな。偉人はだいたいどこかのギルドに所属するが、最新の転生者は“選びたい放題”じゃき、どこも勧誘に必死ぜよ」


「ハルトさんは、どんなギルドに興味あるんですか?」とリラ。


「うーん、まだ分かりません。教育とか、歴史とか……かな」


「治安ギルドも悪うないぜよ。日本もんがようけおるし、未来の日本の治安は世界一っちゅうやか。そりゃあ重宝されるに決まっちゅう」


 軽口を交わしながら、温かい食事はゆっくりと腹の中に染み渡っていった。




 食後、龍馬は勘定を済ませると、俺たちを宿まで送ってくれた。


「なんかあったら、日本語で叫べや。誰かしら、すっ飛んできて助けちゃるきのう! ……ほいたら、また明日ぜよ」


「ありがとうございました」


「……また明日」


 龍馬の背が、夜の石畳に消えていくのを見送りながら、俺は深く息をついた。


 宿の灯りの下で別れ際に笑った龍馬の顔が、なんだかやけに頼もしく見えた。

 歴史の中の人物が、こうも人間味にあふれてるなんて──想像以上に、いい人だった。



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