第7話 部活届け
春の日差しがようやく午後の傾きを帯び始めた頃、教室にはほんのりとしたざわめきが漂っていた。
終礼を終えたばかりの教室は、緊張と弛緩が混ざり合った独特の空気に満ちている。カバンのジッパーが開く音、椅子を引く音、小さな声の笑い――そのどれもが、まだ完全に馴染まないクラスのなかで探るように生まれていた。
黒板には、担任・穂積先生が書いた短い指示が残されていた。
《部活動届け 提出締切:今週金曜日》
教室のあちこちで、机に置かれたB5サイズの申請用紙がカサリと音を立てている。
角の丸まった用紙には、シンプルな項目が並んでいた。
【第一希望】【第二希望】
【所属理由(簡潔に)】
この「簡潔に」という一言が、逆に生徒たちの手を止めていた。
どう書けば“ちゃんとしてる”と思われるのか。先生にどう見られるのか。
些細なことではあるのに、この時期の高校一年生には、そうした小さな選択が意外なほど重たく感じられる。
そんな教室の一角で、斎藤竜馬は無言のまま用紙を見つめていた。
シャーペンは握られているが、まだ一文字も書かれていない。
彼の横顔は、真剣というよりも“まだ決めかねている”静かな迷いに満ちていた。
その背後から、不意に軽い声が飛ぶ。
「で、竜馬はどこ入るん?」
振り返るまでもなく、声の主はわかっていた。
「まだ決めてないよ。中学ではどうしたんだっけ?」
竜馬は用紙の端を指で軽くはじきながら、面倒そうに返す。
「サッカー部だった。つーか、オレら小学校からずっと一緒だったじゃん。忘れんなよ」
「……ああ、そうだっけ」
竜馬はわざとらしく肩をすくめて笑った。
「こら、またそれか。相変わらずの塩対応だな~」
そう言って竜馬の背中を軽く小突いたのは、篠田幸太郎。
短く整えた髪、開けた第一ボタン、そして軽快な身のこなし。
どこか少年っぽさの残る雰囲気をまとった男子で、竜馬とは幼稚園からの腐れ縁だ。
「……にしても、お前ってほんと変わんねぇよな」
「褒めてるの、それ?」
「半分はな。残り半分は呆れてる」
そんなふうに軽口を叩き合える友人は、クラスに何人いるだろう。
まだ始まったばかりの高校生活、友人関係は形成途中。
だが、この二人にはすでに“時間”という強い接着剤があった。
「でもさ、マジで今年のサッカー部は気合い入ってるっぽいんだよ。監督が変わったって知ってる?」
「いや、知らなかった」
「前の鬼部活おじさんじゃなくなって、大学サッカーやってた若い先生になったって。パス戦術とビルドアップ重視で、今年はインハイ本気らしい」
「ふぅん……」
竜馬の目がほんの少しだけ興味を帯びる。
中学時代、彼はクラブチームにも誘われるほどの実力者だった。
だが、派手に見せびらかすことなく、常に自然体だった。
「でさ、斎藤竜馬が入ったら――マジで本気でいけると思ってんだよな、みんな」
「……それってプレッシャーじゃね?」
「いやいや、期待。才能は隠してもバレるんだよ、お前の場合は」
幸太郎はニッと笑って、自分の席へ戻ろうとする。
「……じゃあ、俺も入ろうかな。サッカー部」
その一言に、幸太郎は竜馬の顔を覗き込み、あっけに取られたような顔で目を見開いた。
「即決かよ、お前、悩む時間短っ!いやでも、マジでうれしいわ!」
「悩んでたけど、お前が誘ったからだよ」
竜馬が言葉少なにそう告げると、幸太郎は耳の後ろを軽くかいて、照れ隠しのように笑った。
「……あー、それ、録音しておけばよかった!」
そのやり取りを、周囲の男子たちが黙って見ていた。
羨望とも憧れともつかぬ視線が、自然とふたりに集まる。
クラスで無理に“仕切る”わけでもなく、自然と中心にいる――それが斎藤竜馬だった。
だが、それに気後れせず、当たり前のように対等に振る舞える存在――
篠田幸太郎という名は、この瞬間からクラスの男子の間で“竜馬の一番近くにいる男”として意識され始めていた。
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