第5話 牽制
「じゃあ次、副委員長を決めようか。今回は男女ペア制でいこうと思います。つまり、女子の副委員長もひとり」
穂積先生の穏やかな声が響いた瞬間、それまで笑いの残っていた教室の空気が一変した。
ざわり――と、目に見えない緊張の波が広がる。
斎藤竜馬と“ペア”になる副委員長。
それは単なる役割分担以上の意味を持っていた。
誰もが、気づいていたのだ。
この春から始まる新たな教室の中で、竜馬の隣に立つということが、どういう“立場”を得るのかを。
斎藤竜馬の横。
それは名誉であり、注目の的であり、そして――周囲からの静かな嫉妬の標的でもあった。
男子にとって竜馬は信頼の象徴。女子にとっては、少し距離を置いて見つめたくなる“理想”のような存在。
その彼と、並び立つことになるのは誰か。
たとえ仕事があろうと、多少面倒であろうと、“そのポジション”には、それだけで価値がある。
「えー……立候補する人、いる?」
穂積先生の一言に、教室は静まり返った。
誰も手を挙げない。
しかし、動いていた。目が。
クラスの女子たちの視線が、互いの様子をうかがうように、鋭く、静かに巡っていた。
「あの子、行くかも」「いや、手を挙げそうな空気してた」
口には出さないが、まなざしが語っていた。
椅子に浅く腰かけ、袖をいじるふりをしながら、斜め前の席の女子をちらりと見る。
ペンをカチカチ鳴らしながら、耳だけをそばだてている。
手を挙げるそぶりをした子に向けて、隣の席から睨むような視線が飛ぶ。
「……ふーん、出るつもり?」
そんな無言の牽制が、そこかしこで巻き起こっていた。
ある子は机の下でスマホを握りしめ、何かLINEを打っている。
別の子は、目線だけで他の女子に合図を送りながら、小さく首を横に振る。
――「やめときなよ」。
その意思表示が、波紋のように広がる。
空気が重い。
その場にいる全員が、「誰かが手を挙げれば自分は助かる」と思っていた。
けれど、「自分からは出たくない」「注目されたくない」「でも出し抜かれるのも嫌だ」。
そんな心理がせめぎ合い、教室の温度が微妙に下がっていく。
まさに、女たちの静かな戦争。
笑顔の奥に隠された本音と疑心。
“空気”という名の同調圧力が、机と机のあいだを這い回っていた。
そんななか、ただ一人、まったく別の温度でその様子を眺めていたのが――鈴木彩だった。
窓際の最後列。
頬杖をつきながら、何も言わず、動かず、視線だけで教室の中心を見ている。
表情は、冷たいというより“醒めていた”。
周囲の女子たちが裏で足を引っ張り合うようにして沈黙を貫く姿を、まるで低予算ドラマの芝居でも眺めるような気配で見ていた。
うっすらと疲れたような、諦めたような表情でため息をつく。
(くだらない……)
誰がペアになろうが、正直どうでもよかった。
それで何かが変わるとも思っていないし、変わると思っている連中の反応こそが、むしろ滑稽だった。
「……いないか?」
再び、穂積先生が問い直す。
その声には、かすかな落胆と、皮肉を含んだ静かな圧があった。
だが、それでも誰も名乗り出なかった。
それどころか、竜馬でさえ視線をめぐらせるが、誰とも目が合わない。
いや――女子たちが、彼の視線を意図的に避けていたのだ。
まるでその“隣に立つ”ことが、恐れ多く、そして危ういことであるかのように。
まるで、選ばれるということ自体が、どこか“断罪”のように受け取られていた。
教室に、短く冷たい沈黙が降りる。
「……決まらないから――あみだくじで、決めようか」
その瞬間、どこかから「えっ……」という小さな声が漏れた。
それは驚きと戸惑い、そして、ある種の“安堵”が入り混じった息だった。
あみだくじ。
それは運任せ。
誰かが立候補する必要もなく、誰かが責められることもない。
責任の所在を“くじ”という不確かな存在に押しつけることで、誰もが心のどこかでホッとする。
「それなら、仕方ないよね」
「たまたま当たっただけだし」
誰にも責められずに済む――その“逃げ道”を得た瞬間、教室の空気はわずかに緩んだ。
しかし、鈴木彩の目は変わらない。
相変わらず冷めたまま、誰よりも静かに、教卓のあみだくじ用紙を見つめていた。
(運なんかに頼らないと決められないなら、そもそも誰もやる資格ないよ)
そう思いながら、彼女は指先で机の角をトントンと叩いた。
それは、次の瞬間、自分に何が降りかかろうとしているかなど、まるで予感していない者の所作だった。
――そして、くじは始まる。
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