第32話 絶望

 雨宮は冷たい風を受け、身震いをしながら目を覚ます。どうやらここからの脱出方法を考えているうちに寝てしまったようだ。


(ずいぶん呑気なことだな……)


 自分で自分のことを責める。この異常事態のせいなのか、どうも弱気になっているようだ。外を見てみればすでに真っ暗になっていた。


(とんだ年越しになっちまったなぁ……)


 迎えたくはない新年の迎え方をしている。雨宮もまさか、人生の中において獄中で年を越すとは思わなかった。

 雨宮はふと、目の前の独房に目をやる。こんな深夜だが、誰かしらと会話しないと気が参ってしまうと感じたからだ。薄暗い月明かりの中、目を凝らして目の前の独房に目をやるが、そこに男性の姿はなかった。

 その時、通路の奥にある入口の鉄格子が開く音がした。雨宮は慌てて寝たふりをすると、通路の反対側、目の前の独房まで複数人の足音が響く。そして独房の扉が開き、何か重い物を投げ捨てたような音がした。


「結局、コイツも口を割らなかったな」

「国家反逆罪に外患罪まで罪をかぶった男だ。覚悟がちげぇ」

「だが、コイツの口が割れるまで拷問ができるなんて、神は素晴らしい人間をこの世に授けてくださったな」


 そういって憲兵たちは、笑いながら独房を後にする。

 足音が遠のいたのを確認すると、雨宮は恐る恐る反対側の独房を見た。

 そこには、昼間見た男性が横たわっており、手から大量に出血している姿があった。いや正確には、指の付け根からだ。本来あるはずの指は無く、代わりに赤く血塗られた包帯が巻かれていた。


「っ……!」


 雨宮は思わず息を飲んだ。その音が聞こえたのか、男性は頭をこちらに向ける。


「おう……、恥ずかしい所見せちまったな……」


 その声はかすれ、弱弱しかった。


「これが憲兵のすることだ。所詮は拷問することしか能がない、狂信者どもの遊び場さ……」

「そ、そんな……」


 雨宮は想像を絶するであろう痛みを想像してしまい、意識を手放してしまった。

 次に気が付いた時は、すでに朝方であった。おそらく新年の元旦だろう。

 その時、独房の扉が叩かれる。驚きつつも、扉のほうをみると、少し装いの違う憲兵が立っていた。


「飯だ。今日は新年だから、珍しく温かいパンを配給する」


 そういって適当にパンを放り投げられ、それは床へと落ちた。


「お前、新人だろ? 教えといてやるが、例え床にスープがこぼれようとも全力ですするのがここでのマナーだ。感謝しろよ」


 そういって憲兵は次の独房へと消える。

 その言葉が意味することは一つ。「憲兵のすることは絶対」という、シャバのルールが通用しない世界である。


(こんな場所で拷問されるその時を待つというのか……?)


 雨宮がそれを想像した時、あまりにも隔絶された世界に己が浸食されそうになった。脳裏に恐怖の二文字が飛び交い、その先に待つ絶対的な痛みという想像を絶する生命的な危機に怯える。

 そんな雨宮が、ふと目の前の独房を見ると、そこには白い塊があった。あの男性の遺体である。両手からの出血により、血液がほとんど体外に流出したのだろう。血の気のない肉塊が転がっていた。

 そこに配給の憲兵がやってくる。


「おっ、コイツ死んでやがる。おい! 麻袋持ってこい!」


 警備のために立っていた憲兵が、どこからか麻袋を持ってくる。そして独房の中に入り、遺体を雑に麻袋へと入れ、そのまま引きづって連れて行った。

 その光景に、雨宮は思わず自分の未来を見た気がした。すなわち、最後の血の一滴が落ちるまで延々と苦しみながら拷問を受けると言う姿だ。

 雨宮の視界がグラグラと揺れ始める。自分の死が近いことを悟るのが、こんなにも辛いことだったなんて、想像もしなかった。呼吸は乱れ、胃の中の物が食道まで込み上がってくる。

 それを抑えるのにたっぷりと時間を要する。収まった時には、床に落とされたパンはすっかり冷たくなっていた。

 食欲が失せた雨宮は、思わず床に寝転んだ。まるで生きた屍のような気分だった。

 それから何度か憲兵から配給を貰うものの、全て床に投げつけられる。そしてその全てを雨宮は手にしなかった。

 数日が経過すると、配給担当の憲兵は雨宮の独房に来なくなった。配給が必要ないと判断されたのだろう。幸い、雨宮の腹も空腹を感じなくなっていた。

 独房に投獄されてから1週間ほどが経過する。雨宮にとっては時間などどうでもよくなっていた。もはや意識は薄れ、自分がこの時代にいる目的すら忘れそうになっていた。

 その時、独房の前に憲兵がやってくる。


「レオニダス・ホイター、出ろ。釈放だ」


 その言葉に、雨宮は思わず顔を上げる。その言葉でようやく腹の虫が鳴きだした。

 憲兵は、全身の力が入らない雨宮のことを両脇から支え、丁重に駐屯地の外へと連れ出す。駐屯地の入口には、見覚えのある人物が二人、知らない青年が一人いた。


「ホイター君!」

「レオ! 大丈夫!?」


 ヌルベーイとイリナだ。投獄される前からすっかり変わってしまった様子に、大変驚いている。

 その後ろで青年と上級階級の憲兵が話をしていたが、ホイターの姿を見て雨宮の横へと立つ。


「この度は冤罪で投獄させてしまい、申し訳ありません。補償金は彼に預けましたので、どうかこれでご容赦ください。学院の宿舎までお連れ致します」


 そういって憲兵は雨宮のことを丁寧に抱えながら、カラーニン科学学院の学者寮まで運んでくれた。

 寮の自室のベッドへと運ばれた雨宮は、イリナからスープを貰って少しずつ飲む。


「レオ、独房で酷いことはされなかった?」

「それはなかった……。ただ、酷い光景は見た……」

「そうか、それは大変だったな。彼の力がなければ、ホイター君は憲兵たちに拷問によって殺されていただろう」


 そういってヌルベーイは青年の方を見る。


「あ、あの、ヌルベーイ先生……。彼は誰ですか……?」


 雨宮が聞く。


「あぁ。ホイター君は初めて会うんだったな。彼こそがホイター君が欲しがっていた逸材……、ゼンフリード・マルス・マーリン君だ」


 そういって青年━━マーリンが前に出てくる。


「初めまして、ホイターさん。お会いできて光栄です」


 これがマーリンとの出会いだった。

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