第11話


 キャリスタン家からの招待の後、邸に戻ったオードリックを執事が待ち構えていた。

なんだかんだと質問攻めにあうが、話すことはない。特段変わったこともなかったのは事実だから、聞かれても答えることが出来ない。

 こんなチャンスは無かったのにとか、本当にこの手の話に疎くてとか。

 どうしてほしかったのかは分からなくもないが、どうしようもないとわかっているのなら余計な期待はしないで欲しいと思うオードリックだった。


 自室に戻り一息つくと、思い出されるのはコーネリアの笑顔だった。

 死に戻る前、彼女の自然な笑顔を見たのは、初めて会った夜会の時だけだったと思い出された。その笑顔と可憐な姿を見て、年甲斐もなく心をときめかせたのだ。

 それが遅すぎる初恋だと認識をしてからは、とにかく彼女を他の男に奪われないように、そんな輩の目に触れぬようにとそれだけを考え、攫うようにして辺境の地に連れて来てしまった。

 それがどれだけ常識はずれなことなのか、彼女に対して非礼であったのかを死に戻った今、やっと気が付いたのだ。

 

「もう、会うことはない。これで良いんだ」


 オードリックは一人つぶやくと、ゆっくりと琥珀色の酒を傾けるのだった。



 翌朝、朝食もそこそこに単身馬に乗ると、辺境の地に向かい旅立った。

 今の時季、魔獣が出る回数は減るが、全くでないわけでは無い。

 辺境の騎士や兵士は優秀な人間が多いが、それでもオードリックが前線で剣を振るう意味は大きい。恋に、令嬢に不慣れでも、魔獣討伐における彼の存在意義は、騎士や兵士の指揮を高めるのに十分過ぎるほどの価値があるのだ。

 馬に乗り風を切りながら、彼の思考は魔獣討伐へと切り替わっていくのだった。


 それから数日。

 王都のジョルダーノ邸は、いつも通り平穏に過ぎていった。

 オードリックに合わせて辺境の地から赴いていた執事や使用人も、彼を追うように王都を後にして辺境の地に向かった。

 王都でのジョルダーノ邸の日常は、管理人と称した老夫妻と、留守番の騎士が交代でいるだけの数名で動かされていた。

 主不在の邸宅に、夜会や茶会などの誘いの便りもなければ、客人が押し寄せることも無い。そんな穏やかな日々の中、それは突然だった。

 先触れの使用人が門を叩く。

 誰だろうかと門内に招き入れれば、それはキャリスタン家からのものだった。


「旦那様はすでに領地にお戻りになられました。執事長も後を追い発たれたものですから、ここには誰もいなんですが……」

「え? そうなのですか」


 すっかり気落ちし肩を落としながら帰って行く使用人を見て、憐れに思うものの、仕方が無いと思っていたら……。



「オードリック様はいらっしゃらないのですか?」


 貴族令嬢自ら、先触れのすぐ後に突然押しかけて来たのだ。

 コーネリア・キャリスタンが。


 留守番の老夫妻は戸惑い、困惑した。

 長い期間、この邸で留守番をしてきたが、こんなことは初めてだったのだ。

 実力主義で身分など気にしないジョルダーノ辺境伯爵家の人間は、真面目で実直、誠実なこの平民の夫妻を信用し、ずっと留守番を頼んで来たのだ。まさかこんなことが起こるなどとは思わずに。


「は、はい。ご主人様はすでに出立されておりまして、とっくに領地に着いていると思います。執事長も、もう向こうに着いていると思いますが」


 平民の彼らにとって貴族令嬢と話すことなど、皆無に等しいのだ。


「そんな……。私、オードリック様とお約束をしたんです。刺しゅう入りのハンカチをお渡しするって」


 綺麗に梱包されリボンのついた包みを握りしめるコーネリア。その目には薄っすら涙が浮かんでいるようにも見える。

 こんな令嬢を前にして、どうしたものかと邸の残された者たちは思案していた。


「わたくし、行きます!」


 俯き、切なそうにしていたコーネリアが顔を上げ、瞳を輝かせるようにして叫んだ。

 そこに居合わせた者が皆、キョロキョロと目を合わせオタオタし始めた。


「あ、あの。お嬢様、それはどういう?」

「言葉のとおりですわ。オードリック様に、この刺しゅう入りのハンカチをお渡ししに参ります!」

「え? いや、それは、でも」

「何か問題でも?」

「え? はぁ。問題というか、何と言うか。ジョルダーノ家の領地は遠いですし、魔獣が発生する恐ろしい場所で、ですね」

「遠いのなんて問題ありません。馬車で行くのですから、歩いて行くわけではありませんし。魔獣だって、オードリック様が討伐して下さっているのでしょう? ならば大丈夫ですわ」


 すっかりその気になっているコーネリアは、ウフフと声がもれそうなくらいに浮かれているように見える。そう、まるでピクニックにでも行くかのように。

 これはマズイと感じた老夫婦は、留守番の騎士とコーネリア付きの使用人に目配せをする。


「キャリスタン令嬢様。ジョルダーノ家の領地へは、我々でも単身馬で二晩以上かかります。馬車で行くとなると、ご令嬢の御身を考えるに五日はかかると思われた方がよろしいかと? まずはご自宅に戻り、伯爵様にご相談をされる方がよろしいのではないでしょうか?」


 騎士が姿勢を低くし、伯爵令嬢であるコーネリアに提案をしてみた。

 その真意は、こんな突然の思い付きで何を言っているのやら? 家に帰って父親に叱られて来い! である。

 キャリスタン伯爵や夫人に強請ったところで、まずは反対されるだろう。仮に娘の我儘を聞き届け辺境地へ向かったとしても、その間に騎士の一人が馬で連絡を入れに戻れば良い。それなら向こうの準備も整うだろうとの判断だった。

 だが、そこに居合わせた者の考えが甘いことに、愕然とするのだった。


「家に帰って相談なんてすれば、反対されるに決まっています。それではいつまで経っても、このハンカチをお渡しできないわ。

 このハンカチは、ジョルダーノ様から直接お願いされた物なのです。

 刺繍入りのハンカチを令嬢から貰い身に着けると、無事に戻れるというおまじないなんですって。だから一生懸命、一針、一針無事を祈って刺したんです。

 オードリック様のご趣味がわからないから、全部で十枚。色も絵柄も色々作りました。これを持って討伐に行っていただきたいのです。一刻も早くお渡ししたいの!」


 最後は叫びにも近かった。

 まるで恋する乙女が恋人へと渡すかのごとく、熱のこもったその演説に居合わせた者は皆、心を射貫かれてしまった。

 まさか、あの旦那様にこんな日が来るなんて、と。


「しかし、ご準備は何もされていらっしゃらないように見受けられます。何でしたらジョルダーノ家の馬車でお連れすることもやぶさかではございませんが、しかしながら侍女の一人も付けずに出立はありえないかと? それにご実家にご連絡は入れていただきませんと……」

「それなら大丈夫です。侍女は一人我が家の馬車に待たせております。何があるかわかりませんから、常にいくらかの持ち合わせは用意してあります。着替えなどは道中の町で買えばいいのです。馬車の旅にこんなドレスは窮屈ですもの。もっと身軽な物を買えば良いのだわ。ね?」


 貴族令嬢にして、この行動力と判断力はなんとする? 聞けばまだデビュタントを迎えたばかりだとか? それなのにいやはや、まったく。と、ため息交じりに息を吐けば、そこにはワクワクした顔で見上げて来るコーネリアが居た。

 見上げられた留守番の騎士は困惑を通り越し、すでにあきらめの境地に達していた。

 しかたない。ここまで言われて連れて行かないわけにはいかないだろう。

 それに、我が主にとって、こんなチャンスはたぶん二度と、いや金輪際無いに違いない。そう思ったら、答えは一つ。


「わかりました。それでは私が責任を持って、ジョルダーノ家の領地までご案内いたします」


 そう、答えるしかなかったのだった。



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