第10話
コーネリアに見惚れている間にうっかり相槌のつもりでした返事が元で、オードリックはキャリスタン伯爵家の晩餐に行くことになってしまった。
自分が蒔いた種とはいえ、どうも納得がいかない。これはどう考えても執事による陰謀だと思っている。
寝酒の用意をして私室を後にする執事が、去り際にポツリと呟いた。
「良いご縁になるとよろしいですね」
やっぱり、アイツの仕業か。と、拳を握る。
皆がどう思っているかは痛いほどわかっている。辺境伯爵として、この国の為にも、そして自分自身のためにも早く身を固めた方が良いと思っていることを。
だが、事はそう簡単にうまくいくものではないのだ。
翌朝、執事に仕立て上げられた身なりでキャリスタン家に向かうオードリックは、相も変わらず馬で単身乗りこもうとしたが、それを全力で止められてしまった。
「早馬でもない限り、単身騎乗で伺うなどあり得ません」と、お小言を受け、馬車に押し込まれてしまった。
ついでに執事見習いだと言う男を従者として伴い、土産までもたされてしまう。
「この菓子折りは王都でも有名な菓子店から取り寄せました。これを皆様に。
そしてこちらのお花はコーネリア様にお渡しください。邸宅で美しく咲き誇っていた花だと告げるのをお忘れなく」
面倒なことだと思いつつも、その花を手にしたコーネリアの姿を思い浮かべ、これはこれで良いかもしれないと思うのだった。
慣れない馬車に揺られ着いたキャリスタン家は、死に戻る前と合わせると二度目になる。あの時はただ、コーネリアを誰かに取られたくない一心で、他の事を考えられずに無我夢中だった。
だが今は違う。少しだけ心の余裕もできて、目に見える物が違う景色に映る。
「ああ、ジョルダーノ辺境伯爵殿、起こしいただき心より感謝いたします」
「いえ、こちらこそ。厚かましくもお邪魔いたします」
家族一同、使用人すらも並び迎えてもらうのは、何とも気恥ずかしさすら感じてしまう。
「ああ、これは土産です、皆さんで」
執事から持たされた菓子を、後ろに控えていた従者がそっと差し出す。
どうやら喜んでもらえたようで良かったと胸を撫でおろしていると、自分の手に視線が注がれていることに気が付いた。そこで初めて、握られている花束を思い出す。こんな大柄の傷のついた男に似合うわけもないのだが、緊張で手持無沙汰なオードリックには丁度良かったのだろう。
「よろしかったら、これをご令嬢に」
「え? 私に、よろしいのですか?」
コーネリアは父伯爵の後ろから身を乗り出し、白く華奢な手でオードリックから直接受け取った。自分が持っていた時はなんとも思わなかったが、彼女が手にすると、なんとも野暮ったくも見える。王宮に飾られている花と比べてしまっているのかもしれないが、せめて菓子と同じように王都の店で買った方が良かったのではないか? そう思ったのだが。
「このお花は、辺境伯爵様の邸宅のお花なのですか?」
ほらみろ。やっぱりみすぼらしく見えるんだ。あの、執事め。帰ったらただじゃおかん。と思った。
「お恥ずかしながら、わずかな使用人が見よう見まねで作っているんです。申し訳ありません、このような物をお渡しして」
「いいえ。辺境伯爵様も愛でている物をいただけて、嬉しいのです。ありがとうございます」
ほんのりと頬を染め、笑みを浮かべながら花の匂いを嗅いでいる。
「良い匂いです」と口にするコーネリアは愛らしく、可憐だった。
朴念仁のオードリックにとって彼女の言葉の意味は難解過ぎて、もはや何も考えてはいなかった。ただただ、自分の持ってきた花を見つめるコーネリアを見つめるだけだった。
キャリスタン伯爵家の晩餐はとても豪勢な物だった。普段、このような物は食さないのではないか?と思えるような肉をふんだんに並べている。体力を使うオードリックに合わせた品選びなのだろうことは、さすがの彼でもわかった。
体を酷使する騎士や兵士にとって、質よりも量。野菜よりも肉。それをよく理解したようなメニューに、オードリックもご満悦だった。
そして気が付けば何故か、コーネリアと共に庭を歩いている自分が恐ろしかった。
オードリックの視界にはつねにコーネリアが居て、思考はほとんど彼女のことで埋め尽くされていた。
考えてもみて欲しい、死に戻る前からずっと想い焦がれていた相手がすぐ目の前にいて、自分に愛らしい顔でほほ笑んでくれるのだから。舞い上がるなと言う方が可笑しいのだ。
「ジョルダーノ辺境伯爵様。その節は、本当にありがとうございました」
少し離れながらも並んで歩いていると、コーネリアはオードリックの頭一つ分以上に背が小さい。こんなにも小さかったのだと、改めて思い返す。死に戻る前、こんな風に並んで歩いたこともなかったと思う。
「ああ、いえ。本当に当たり前のことをしたまでのこと。どうぞもう、気を遣わないでいただきたい」
「そんな訳にはまいりません。あのままでは、お嫁に行けなくなったかもしれないと後で聞かされ、本当にこの感謝の想いをどう表していいかがわからないのです」
震える声で答えるコーネリアの指もまた、微かに震えて見える。あの時のことを思い出し、恐怖から震えているのか。それとも他の令嬢のように、オードリックが恐ろしいのか? 今の彼には、正直よくわからなかった。
「ならば、一つだけ。よろしいでしょうか?」
「はい! 何なりとお申し付け下さい」
「実は騎士の間で流行っている、まじないのようなことがありまして。刺しゅう入りのハンカチを乙女からもらい身に着けると、無事に帰れるという。まあ、迷信のようなことなのですが。もし、もしもです。よろしければ、一枚いただけないかと……」
最後は尻すぼみのような声で口にするオードリック。
若い頃から言われていたおまじない。
何を馬鹿なと、思いながらも、内心羨ましいと思っていたことも事実だった。
きっと、一生こんなチャンスはあり得ないだろう。もう二度と会う事も無いのなら、恥じを偲んで頼んでも罰は当たらないだろうと、一大決心で頼んでみたのだった。
もちろん、断られても良いとの覚悟の上で。
「まあ、そんなおまじないがあるのですね。初めて聞きました。ジョルダーノ辺境伯爵様、私の拙い刺繍でよければいくらでも刺しますわ。どうぞ、もらってください」
コーネリアは優しい笑みを浮かべオードリックを見上げる。
「ありがとうございます。キャリスタン伯爵令嬢、嬉しいです」
きっと、今だけの話だと、そう思いながらも嬉しかった。たとえ口先だけの約束でも、自分のためにと口にする、その言葉が彼の気持ちを温かくするのだった。
「どうか、私のことをコーネリアとお呼びください」
オードリックは、突然の言葉に随分戸惑ってしまった。
そう言えば死に戻る前は、確認もせず勝手に名前で呼んでいたような気がする。
本来であれば、このように言われるまでは家名付きで呼ぶか、呼ぶことの許可を取ってから呼ぶべきだったのだ。
もう二度とコーネリアを不幸にしないために、少しだけ貴族間の礼儀を勉強した結果だったのだが。こうして名前で呼ぶことの許可をもらうと言うのは、存外嬉しいものなのだなと思った。
「では、私のこともどうかオードリックと」
「はい。よろしくお願いします。オードリック様」
はにかみながらも嬉しそうに微笑むコーネリアを見て、無理矢理に婚姻を結ぶのではなく、こうして少しずつ距離を近付けていたなら、あのような悲劇は起こらなかったのかもしれないと思うと、胸が苦しくなってしまった。
だが、その心配ももう終わる。
この晩餐の後には辺境地へ戻り、関わり合いになることはまずないだろう。
そうすれば、自然に彼女はあの晩のことも、自分のことも記憶から消えていくはずだ。寂しい思いとは裏腹に、早くその時が来ればいいのにと、願うオードリックだった。
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