第2話前編:問答の末那斯(初恋クレイジー)


 ――さいの角のように。ただひとり歩め。犀の角のように。妄執の消滅を求めて――



 あれからおよそ500年。


 まだ太陽の熱を残した大地が、現実の輪郭をゆがめていた。

赤い空は心を焼いて、屋根に積もった塵すらにさえも煌めきを与える。


 街に染み付いた弦のさいが、果実の香りと穀物の匂いに商人の怒鳴り声まで乗せて、褐色の風となって駆け抜ける。



 その空気を裂くように、ふいに、女が降りてきた。


さい殷奴インドかぁ、今度はここであ~そぼっ」


 からっぽの顔をした天駆ける美女が無造作に、シュッと降り立ったのは、夕暮れ間近の乾いた都。


 足元の土埃をふわりと舞い上げ、誰しもの視線を集めたその先。

あまりに異質な光沢をたたえる、その女。

ゆっくりと地に、触れていた。


 そうして、絶世の美女が、ふらふらと街なかを闊歩する。

自然、誰もが彼女を振り返る。

こういう時の表情は、意図せずとも高慢になるものだ。


 だが心なしか、その笑顔には屈託があった。


 人が集まる盛り場に繰り出す美女。

老若男女の視線を、一身に集める。

気分は悪くなさそうだ。


「どこかに、わらわの美貌に相応ふさわしそうな、未来の旦那……。

 この国を治める王や王子へと、わらわを導く者はおらんかえ?」


 傲慢と形容しても余りあるような物言いを、肯定するだけの美貌だった。

髪も、睫毛も、眉さえも、風などなくともなびいて揺れる、絹のようなその柔らかさ。


 肌は、まるで光を通す硝子のようで、口元に、誰に向けたか謎の微笑。

衣には一切の汚れなく、透ける羽衣のごときものが、淡く輝きを放っている。


 その美貌は街中で噂になり、次第に大いなる人だかりが出来た。

様々な男が、代わる代わる美女に取り入ろうと試みる。



 美女は悦に浸った顔で、そんな時間を楽しみながらも、「次、次」と、とっかえひっかえに男どもを挿げ替える。


 やがて、ある5人組が、美女の興味を捉えた。

5人組曰く、「すべてを捨てて逃げ出した王子を国王のもとに連れ帰ることが出来れば、あなたが時期王妃になれましょう」、と――。


「どの道、修行に耐えかねて乳粥を食べた王子のことだ。

 美女にでも促されれば、きっと城に帰ってくるに違いありません」

「国王に頼まれた手前、我々も困っているのです」

「至れぬ者には至れぬ者の幸せがあるのだということを伝え、王や女王を幸せにしてやってください」

「喜べ、この国の王子は、まだ若く聡明で、風格に満ちておる。苦行には抗えなんだがな……」


「――聡明で風格を備えた王子様?!」と言って、色めき立つ女。


 くるりとその場で身を翻し――。

人々が瞬きをするような、あっという間に、見た目を少女のように若返らせてしまった。

まさに "天女" 然とした姿。

それでいて、小動物のようないじらしさと無邪気さを振りまくものだから、たちまちの内に、驚嘆の歓声が巻き起こる。


「て、天女様だ……」

「天女様が降りてきたぞぉーーーー!!」

「これから何が起こるか、見ものだ!」

「いってらっしゃい天女様!」

「一発やらせてくれ~い!」

「天女様!」

「すげぇもん見ちまった!」

「おおおおおお」






 そうして宮殿へと連れられ、少女はあっさりと拝謁を果たした。


「お初にお目にかかります、国王様」

「うむ、うむ。

 間違いない。

 こやつらの申す通り、行方不明の王子を連れ帰れば、おぬしが新たな第一夫人となろう」

「約束ですよ?ふふっ……」

「まずは旅の疲れを癒すため、馳走でも振舞おうかな?」

「お心遣いに感謝申し上げますっ。

 でも、すぐに向かいますわ!」

「そなたの美貌があれば百人力じゃ。

 頼みましたぞ」



 王子のもとへ歩みを進める少女。

しかし、その笑みに温かみがないことを、五人組はちくちくと感じていた。

そんな中、少女が口を開く。


「――王子の正室とかいう姫がいたけど。

 あの、修行僧のようにみすぼらしい女。

 王子にはああいう嗜好があるのかしら?」

「いえ、あれは、姫のご意向で……」

「ふん。

 女としては、わらわが圧倒しているってことね。

 でしょ、お前たち?」

「ま、いろいろ事情があんだよ……」

「姫様のこと、悪く言わせんでくれよな」

「――つまらない男たち!

 もっとわらわを盛り立てなさいよ!」





 そんな風に、誰ともに面白味もない旅路を幾日か重ねた末、少女はついに、王子との邂逅を果たした。


「王子……!

 焦がれておりました。

 噂以上に非凡なまぶしさを感じます!」


 しかし、王子は少女に、微塵の興味をも示さない。


「考え事の邪魔をしてくれるな。去れ」

「冷たいことを言わないでください、私はあなたに尽くしたいのです。

 そんなささやかな私の願い、叶えてくれませぬか?」

「はぁ……。

 では貴様、まず先に俺の願いを叶えてくれないものかな?」

「もちろんですっ、お任せあれ。

 誠心誠意、全霊で、お尽くしいたしましょう」

「――俺には3つの願いがある。

 1つ目の願いは、いつまでも今の若さで年老いないこと。

 2つ目の願いは、いつも達者で、病気で苦しむことのないこと。

 3つ目の願いは、死なない身になることだ。」

「なるほど、素晴らしい願い事です」

「はん。

 この無理難題を聞いてなお、正直に呆れる可愛げもないか。

 ――そも、今の俺にはな。

 たったの短い、若い時期にしか持ち得ないような……。

 そんな美貌だけに人生の重きを置くような……。

 尻軽女を追いかけている時間など、ないのだ」

「……」


 キョトンと立ち尽くす少女。

痛烈な王子の物言いに、五人組も口をつぐむ。

しかし少女は、無邪気な振舞いでその場の沈黙を破った。


「王子様~、思ったより見る目がないんだねぇ?

 わらわは王子様の3つの願い事、すべてを叶えた存在だよ?

 そんなわらわの話を聞きもせずに、追い返そうって言うのぉ?」

「ふん。

 ならばそんなおとぎ話を宣う化生めが。

 俺を誘惑しようなどとは、片腹痛い。

 苦行を捨てて俺が乳粥を召し上げたことと、放蕩無頼ほうとうぶらいに貴様と戯れることとでは、まるで意味が違うのだ。

 今すぐに去れ」

「王子様、そんなこと言わずに、こっちへおいでよ。

 それにわらわが化生だなんて酷い。

 空から降りてきた天女様って言ってよぉ~?」


 クルッと周り、両頬に人差し指を当てて「ニカッ」と笑う少女。

鼻で笑う王子。

ツトトト……と、王子のもとに駆け寄る少女。


「王子様の望む全部。

 ――わらわの、大事なモノ、み~んな、あげちゃうんだよ……?」


 王子の耳元でささやく。


「俺の望みだぁ~?くっくっく。

 では聞くが、人は何故苦しまねばならないのか。

 生老病死の苦しみと、何故、向き合わねばならぬのか――。

 貴様、この問いに答えられるとでもいうか?」

「え?そんなの簡単じゃん!

 寿命がないと根源的な欲が沸かないからに決まってるじゃん!

 あなた達に寿命があるから欲望があってー、だから生命は増殖してー、だから宇宙は拡がることが出来るんじゃない」


 その場にいた全員が絶句し、硬直した。

皆が目を合わせる。


 一瞬の間を置いて、ただ王子だけが、女のもとへ向かった。


「いやぁ、これはこれは申し訳ない。

 まさかまさか、本当に天女様がお出でだったとは。

 大変失礼仕りました。

 失礼ついでに伺いますが、天女様のお名前は?」


 少女の前にひざまずき、王宮の生活で備えたであろう、見事なまでに洗練された振る舞いを示し、手を取る王子。


「王子様、カッコいい~!

 んっとねぇ、王子様の好きに呼んでいいよっ」

「そうだなぁ、俺を真理へと導く、天女様――。

 ということで、末那斯マナシ様と、呼ばせてもらいましょう」

末那斯マナシ?……変なの!

 でも、それでいいよー?

 おいでおいで!」

「では失礼して……」


 いざなわれるがまま、膝枕で問答を繰り返すことを決意する王子。


「お兄さん達も、どーぉ?

 麻に耽るなんて比べ物にならないほどの、悦楽の極みを供与できるのだけど……」


 末那斯の指や髪から、鈍く、明るく光る繊維の束が、伸びる。


「わ、我々はこれにて、失敬させていただく!」

「失敬!」「こ、これにて!」


「あ~諸君。

 帰ったら父上に、王子はまたまた、“もう少し待つように言っていた“と、伝えおいてくれないか」

「承知仕った。しかし王子、くれぐれもご無事でな――」

「ありがとよ。ダメな王子でごめんなぁ~。

 でも、もうすぐ帰れそうな気がしてきた」

「ふふ。ダメな王子様なのぉ、あなた~?」


 覗き込むように微笑みかける末那斯。

王子には、温度のある笑顔を見せるようだ。


「あぁ。目的の為に、一度すべてを捨てている。嫁も子供もだ」

「えぇ~、かわいそうじゃ~ん」


 ケラケラ笑う末那斯。

静かにため息をつく王子。

王子の眼には、 "正解" とでも言わんばかりの「美」を張り付けたような末那斯の容姿は、ひどくつまらなく感じた。


 しかし、その完成された存在に、これから立ち向かうのは面白い。


「私は悪い王子です。

 よろしく頼みますよ、末那斯様」



 かたや五人組はというと、思わず、城に向かって全速力で駆けていた。



「すごい瞬間に立ち会ってしまった!すごい瞬間に立ち会ってしまった!」

「何だったのだ、あれは!」

「今となっては最早、あの時間の全てがまやかしだったのかも知れぬとさえ、思わん!」

「ならば戻るか?」

「確かめようというのか?」

「いいや、王子を突き放す訳ではないが。

 正直、戻りたいなぞとは思わぬ……」

「私もだ」

「いやいや王子のことだ、あんなに恰好つけておいて結局、美女とねんごろになりたいだけなのでは?」

「いくら王子とて、あのような冥府の住人とも思しき怪異と戯れるかな?」

「そもそも、王子は無事でいられるだろうか……」

「はぁ。城へ帰って、何と報告したものか……」

「うむ、誰か、妙案はあるか……」

「ありのまま伝えるのか?」

「……」


 しかして話しているうち次第に、女に滾らされた熱は引いていき、トボトボと歩みを遅める五人組……。




 一方、王子。

常緑の高木こうぼくが、天高くまでをツボミで彩る、林のほとり。


「――末那斯様。

 聞いての通り、こんなダメダメ王子の俺だ……、が!

 すべてを捨ててでも。

 末那斯様との対話を選ばせていただくことにした」

「わぁ~、それってちょっと素敵かも……!」


 両手を広げて天を仰ぎ、頭を左右に揺らしながら、膝の上に王子を抱く少女。

今にも歌い出さんばかりの喜びようだ。


「今日は、曇ってるけど、素敵な一日!」

「雲の上には、我々ふたりの心にも似た、青空です。

 視えるだけが、すべてではないのですね」

「やっぱり王子様、素敵……!」






第2話 続く


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