第1話:虚無よりの使者(俺のすべて)


――女はとにかく、妖艶だった。

女はとにかく、淫らだった。

女はとにかく、魅力的だった。

女の舞は、途方もない欲望をかきたてる。

女は今日も、この世のものとも思えぬ美しさを、惜しげもなく顕界けんかいに晒す。

そんな女の美貌はやがて、うつつに狂気を孕ませる。

原始のその女は、闇の太陽だった――


 そしてついに、酒をもって池と為し、肉を縣けて林と為し、男女をして倮ならしめ、あいその間に逐わしめる、長夜の飲がなされた。


 今宵、満つる色香は、煙のように立ち昇り、天上の龍をも酔わせんばかり。

熱気に溢れた宮殿の、金銀朱色きんぎんしゅいろの装飾が、妖しく歪んで見えるほど。

柱の一本一本が、うねって渇きを誘うほど。


――狂っていた。壊れて、いた。


 この国の王の面持ちは、本来の、威厳すら備えた、端整な顔立ちも忘れ、今や、陶酔と羨望と疲弊と忿懣ふんまんでいっぱいだ。


 そんな狂った王宮で、君主の視線を残らず平らげ、一身に奪うその女。

肌は白磁か石英か。目元には深い夜の影。

忍ばせてさそう瞳には紅蓮……。

 ――長い髪は、流れる水のように、或いは光線のように、揺れ……。

見る者ごとに、違う色を与えたと云う。


 眼差しを、奪い続ける、その女。

――の人間に、片時たりとも向けさせず。

 国王の頬を、ひとり撫で続ける、その女。

――夜風にすらも、撫でる暇を充てさせず。







「国王。そなたの欲望を満たすことこそ、わらわの使命……」

「なんと、どこまで素晴らしいのだ、我が宝玉よ……」


 国王の口唇も、勿論その女が独占する。

甘やかなる、狂乱の宴。

耽美な音色が、こだまする。


 それが、終焉への行進曲なのだと理解していないのが、たとえその女だけだったとしても、止められる者などいないのだ。


「国王よ、そなたに尽くせて、わらわは幸せじゃ」

「そうか、そうだろう。我も同じ気持ちよ!」

「も~っと、満足させてあげるからねぇ?」


 女の指から伸びる金属質な神経束のようなものが、国王の鼻腔と耳穴に滑り込む。聞いたこともないような喘ぎ声が、宮廷にこだまする。

家臣たちは、背筋も凍てつかんばかりの表情で堪える。


「あっ、あっ、あっ」

「そなたたちも混じらんか?いいぞ~、これは!」

「ひ、ひぃっ、ひ、姫……わわっ!

 わ、我らの知る房中術と姫の秘奥が、あまりにも違いすぎまして、その……」


 世にも恐ろしい、人間離れした形相で侍女どもを睨みつける女。


「わわっ!まままあまずはわ、わわ我々になどにも、もったいなきお言葉賜りましたこと、感謝申し上げます……」


 ここに来てついに、姫と呼ばれる彼の者以外の女たちはみな、腰を抜かし、恐怖のあまり失禁した。

「こ、こここここれにてし、失礼しますれば!お楽しみあそばせませ!」

「失礼します!」

「失礼します!」


「――うつけどもめ……」

「ひぃっ!ひぃっ、ひ、姫を白けさせおって!

 そいつらあっ、みんなああっ、血祭りじゃあ、あっ、あっ!

 いつものように、処せ!」


 返事をする者は、もう誰もいない。


「さすが国王様!

 もう、とっておきの奉仕をして差し上げますわぁ~」


 女の髪が光る細線へと変貌し、国王の孔という孔に侵入する。


「ううぅ~~~、あっ、あっ、ぁ!」

「国王よ、なにゆえもがき、耐えるのじゃ?」

「ふうぅ~~~!あっ、あっ、せっ、せめて、とっ、共に、あっ、果てようぞ……」


 最後の力を振り絞り、火を放つ、かつて国王と呼ばれていた傀儡。


「健気よのう、こんな準備しよってからに。

 わらわは貴様だけのものには、なれぬのだぞぉ?」

「が、ぁ……」

「放散こそ我が喜び。昇る者こそ美しい。

 さぁ、我が腕の中で果てるが、よい!

 ――3んんんんんんんんんん。

 2いぃぃいいいいい。

 1!

 イ、ケ。

 イっちゃぁああ~~……えぃ!」

「うぐ、く、が、がぁっ、あっ、あっ、ああああ」

「経絡を直接捉えた究極の官能じゃ。

 これ以上ない満足じゃろ?どうじゃ?んん?」

「…………」

「――返事がない。とうに屍のようじゃ。

 さ、この国の王が欲望を満たし切ったのじゃ。素晴らしい!」


 満足そうに立ち上がる女。


「あぁっ、使命を果たしたわらわを待つ、称賛の奔流が視える!

 さぁ、我を称えよ!!

 出て来い皆の衆!!」


 しかし勿論、そこに残る者などあろうはずもなく――。

だが、そんなことを気にするような女ではない。


「まいっか。

 ふふっ、明るーいっ!綺麗~~~!」


 いつ頃までか、この宮殿に流れていた音楽が、どこからともなく再現され、、死んだ宴をまるで、幻のように再演した。

ただ一人、燃え盛る炎に映える彼女の影は、天女か、悪鬼か。

瞬きするごとに、その輪郭を変えた。


 新月から生まれたばかりの細い三日月と炎に照らされて、狂ったように。踊る女――。


「――――光あれ!!!」





 それから大分しばらくしたところで、軍勢が押し掛けてきた。


「いたぞぉ!」


「あ~、やぁっと来たぁ!!

 さぁ、美しく献身的で儚いわらわを称えよ!!」

「こいつ!こいつだぁ!」

「こいつが来てから、王の様子がおかしくなったんだ!」

「と、とらえろ!!!」


「――はぁ~~~?

 理解不能……。

 あなた達の国の欲望を満たすために、私は尽くしていたんでしょぉ~?」


 360度ぐるりと首を回し、自分を囲む人間に、妖しい視線を向ける女。


「ひゃぁ~~~~……」

「や、ややっぱり、こ、ころ、ころせ!」


「生意気にもほどがあるだろう~?

 定命の肉袋の分際で、 ”あたしを殺す” 、だぁ~~~?」

「ひ、ひぃいいいい!」

「に、逃げるな囲め!

 う、うわああああああああああ」


 もはや人にあるまじき様相の女を見て、ある者らは硬直し、ある者らは濁流のように逃げ惑った。

だがそんな濁流を割って、一人の男が、女のもとへ向かって来た。


 鋭い知性と勇猛さと、星の寵愛すら匂わせる眼をした男――。


「本当に城が滅んでいたとは、な……」

「あなた誰ぇ?」

「貴様か。天下を散らかしたのは……」


 しばらく見つめ合う二人。


「こっちにいらっしゃいよぉ~、おいでぇ?」


 つかつかと歩み寄られるや否や、バチン!と、ビンタされる女。


「え?

 何するの……、何で?」

「っっっっ!!かっ、てぇ~~~~~!!」


 女を含め、呆気に取られる顔がいくつも並んだ。

ビンタの主は居直って、大声を繰り出す。


「さぁ!こんな化生は放っておけ!

 これより、国づくりが改まる!

 命を無駄にするでない!


 ――行くぞ!」


 大声を上げる男のほか、動ける者などいなかった。

スゥ―――っと、男が息を吸い込む。


「喝あああああああぁぁっ!

 目を覚まさんか!!!!

 ――野郎どもぉおおおおおおおお!!!」


「「「「「う、うううううおおおおおおおおおおお!!!」」」」」



 

 あっさりと引いていった、兵たちの潮騒。

滅び、荒廃した国。

救われず、終わった国。

がらんどうの土地が、ただ、残された。





「わらわはただ、人の欲望を際限なく増殖させるため、効率を鑑みて、人の王を名乗る者に寄り添っただけじゃ……。

 わらわは間違ってなどおらぬ!

 役割も弁えない下位存在の彼奴きゃつらが間違いなのだ!

 せっかくわらわから王へ、報われた余生が贈られたというに……。

 わらわを崇める器量すらないとは」


 誰かに言い訳でもするかのように、独り言ちながら歩き回る女。

取り残された者の時間というのは、どうしてこうも長いのか……。




「はぁ……」




 ため息が耳にうるさいほど、ここには何もない。



 欲望の成就さえ果たせれば、苦しみは消え、すべては満たされるはず――。


「本当に?」


 どこからとも知れず、誰からとも知れずに零れた言葉と、女、だけ。

ぽつねんと夜闇に取り残された。



 薄ら細い三日月が、山間やまあいに沈んでいった。


第一話――――――完

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