第8話 ――僕たちの誇りを、信じてください

 隣村スコグヘイムの一室を借りて設けた臨時の治療室は、静寂に包まれていた。


 僕と、患者であるビルギット・ソルヘイムが、向かい合って椅子に座っている。

 彼女は英雄と呼ばれた元騎士。

 だが今、僕の目の前にいるのは、過去の亡霊に囚われた、一人の傷ついた女性だ。


「ビルギットさん。これから行う治療法について、改めて説明させてほしい」


 僕はできる限り穏やかな声で語りかける。


 彼女の瞳は不安に揺れ、硬く握りしめられた両手が、その緊張を物語っていた。


「僕が使うのは、『EMDR』という特殊な治癒法を、僕なりに魔法で応用したものだ。君の辛い記憶――トラウマを無理に消し去るわけじゃない。記憶はそのままに、それに伴う心の痛みだけを取り除いていく」


「……そんなことが、本当に……?」


「ああ。僕を信じてほしい」


 僕がそう言って、励ますように彼女の手にそっと触れようとした、その時だった。


「――ゴホン」


 背後から、わざとらしい咳払いが響いた。

 振り返るまでもない。僕の専属メイド、リネアだ。

 その隣では、僕の助手であるヴィルデが、無言で愛用の弓の弦をきりきりと指で弾いている。


 ……なんで君たちがここにいるんだ。


「護衛です」

「アーリング様が万が一、この女に襲われた時のためです」


 口には出していないのに、二人は口を揃えてそう言った。

 思考を読まれているのか、あるいは僕の考えていることが単純すぎるのか。


 ともあれ、二人は「護衛」という絶対に断れない名目のもと、この治療室に居座る気満々だった。

 二方向から放たれる静かな圧力で、息が詰まりまくる。


(やりにくいこと、この上ない……!)


 しかし、今は目の前の患者に集中しなければ。

 僕は背後の二人を意識から追い出し、もう一度ビルギットに向き直った。


「大丈夫。君を一人にはしない。僕が、君の心に寄り添い続ける」


 僕の瞳を、ビルギットがじっと見つめ返す。

 やがて、彼女は意を決したように、こくりと一度だけ、力強く頷いた。


「……わかりました。あなたを……信じます。アーリング殿」


 その返事だけで、十分だった。


「よし。では、始めようか」


 僕はゆっくりと立ち上がり、部屋のカーテンを閉めて光を遮る。

 薄暗くなった部屋の中、僕は指先に意識を集中させた。


 ほわり、と柔らかな光の玉が生まれる。


「ビルギットさん、リラックスして。そして、この光だけを目で追ってほしい」


 僕は光の玉を、彼女の目の前でゆっくりと、左右に動かし始めた。

 規則正しく揺れる光を、彼女の瞳が追う。

 次第に、彼女の呼吸が深く、穏やかになっていく。


「さあ、心の扉を開くんだ。一番辛かった、あの記憶の場所へ……」


 僕の導く声と共に、ビルギットの意識が過去へと深く沈んでいく。

 同時に、僕もまた『神の瞳(ディアグノーゼ)』を発動させた。


 彼女の痛みを、僕も共有するために。

 彼女の地獄を、僕も共に歩くために。


 ――次の瞬間、僕の意識は、治療室の静寂から、地獄の喧騒へと移った。


◇◇◇


 ――地獄だった。

 僕の脳裏に、ビルギットの絶望が、まるで僕自身の体験のように流れ込んでくる。


 『ファフナー渓谷』は、オークの軍勢が仕掛けた、巧妙な罠だった。

 王国軍本隊は分断され、私たち――ビルギットが率いる第三部隊は、殿(しんがり)として、絶望的な状況で敵の大群を食い止めなければならなくなった。


 空を黒く染める矢の雨。

 大地を揺るがし、鼓膜を破らんばかりのオークの雄叫び。

 信頼する部下たちが、仲間たちが、まるで藁人形のように、次々と薙ぎ倒されていく。

 血の匂いが鼻腔を突き、吐き気を催させた。


「隊長! ご決断を!」

「このままでは全滅です!」


 副官たちの悲痛な声が、ビルギットの――いや、僕の耳に突き刺さる。

 わかっている。

 このままでは、本隊はおろか、私たちもここで犬死にするだけだ。


 選択肢は、二つしかなかった。

 全員で玉砕するか。

 それとも――。


 ビルギットは、地図を睨みつけ、歯を食いしばる。

 その奥歯が砕けんばかりの力が、僕の顎にも伝わってきた。


 渓谷には、細い脇道がある。

 そこを使えば、本隊の一部は、かろうじて離脱できるかもしれない。

 だが、そのためには、誰かが囮になって、オークの主力を引きつけ続けなければならない。

 それは、死を意味する任務だった。


「……僕が、行きます」


 その声に、ビルギットは、はっと顔を上げた。

 声の主は、まだ若い、騎士になったばかりの少年だった。

 いつもビルギットを「姉上」と慕い、その屈託のない笑顔は部隊の太陽だった。


「僕たちが囮になります! 隊長は、皆を連れて逃げてください! 隊長こそ、王国に必要な英雄なんですから!」


 彼の言葉に、彼を慕う若手の騎士たちが、次々と同調する。

 「僕たちに任せてください!」と。

 その瞳は、覚悟を決めた、あまりにも真っ直ぐな瞳だった。

 その純粋な忠誠心が、刃となって心を抉る。


 ビルギットは唇を噛み締める。

 口の中に、鉄の味が広がった。

 指揮官として、非情にならなければならない。

 より多くの命を救うために、一部の命を切り捨てる。

 それが、戦場の理だ。


 頭では、わかっていた。

 だが、心が、それを拒絶する。

 私を信じ、慕ってくれる、まだ未来のある若者たちを、この手で死地に送れというのか。


 僕の胸へ、彼女の絶望が奔流のように流れ込んでくる。

 苦しい。

 息ができない。


 逡巡する彼女に、少年は笑いかけた。

 それが、彼の最期の笑顔だった。


「隊長。――僕たちの誇りを、信じてください」


 その言葉が、最後の引き金になった。


 彼女は、命令を下した。

 喉から、震える声が絞り出された。


「……若手部隊は、陽動を開始。……本隊は、これより撤退する」


 地獄だった。

 背後で上がる、彼らの最後の雄叫びを聞きながら、泥水をすする思いで、私たちは渓谷を脱出した。

 たった一つの命令で。

 何十人もの、未来ある若者たちの命を、見殺しにしたのだ。


 英雄なんかじゃない。


 私は、ただの人殺しだ――。


 ビルギットの罪悪感が、巨大な鎧となって僕の全身を締め付ける。

 これが、彼女を苛み続けた地獄の正体。


◇◇◇


「――はっ……! はぁっ、はぁっ……!」


 意識が、現実へと引き戻される。

 目の前には、同じように肩で息をし、全身にびっしょりと汗をかいているビルギットの姿があった。


 僕自身の精神も、彼女の地獄を追体験したせいですり減り、ひどい疲労感に襲われていた。

 まるで、僕自身が何年もあの渓谷を彷徨っていたかのようだ。


 ビルギットは、呆然と自分の手のひらを見つめている。


「……今のは……私の、記憶……」


「そうだ」と僕は、喘ぐ息を整えながら答えた。「どうだい? 今、あの時のことを思い出して、胸の痛みはどうかな?」


 彼女は恐る恐る、自らの記憶を反芻しているようだった。


 僕は固唾をのんで、その変化を見守る。

 僕の【神の瞳】には、彼女の心の内部が手に取るように視えていた。


 再び、あの地獄の光景が彼女の意識に映し出される。

 だが――どうだ。

 いつもなら、その記憶と連動して彼女の心臓を締め上げていた、どす黒い【罪悪感の鎧】。

 その表面を覆っていた無数の鋭い棘が、今は先端が丸みを帯びているように視える。


 彼女自身も、その変化に気づいたのだろう。

 恐る恐る記憶に触れていた彼女の表情が、はっとしたような驚きに変わる。


「……痛みが……和らいでる……? なぜ……記憶は、こんなにはっきりしているのに……」


 か細く、震える声で彼女がそう呟いた。


 僕は息を整えながら、その疑問に答える。

 ここが、治療の最も重要な点なのだから。


「ビルギットさん。君の心の中で、あの渓谷での記憶は、時間が止まったまま『今、起きていること』として、生々しい痛みと共に凍結されていたんだ。思い出すたびに、君はあの地獄を何度も再体験していた」


「……はい……その、通りです……」


「僕がやったのは、その凍りついた記憶の時間を、再び動かしてあげることだ。僕が作り出した光の玉の左右の動き。あれを目で追いながら辛い記憶を思い出すと、君の脳は、記憶を整理し直す作業を強制的に始める。バラバラに散っていた記憶が、ようやく『過去の出来事』として、あるべき場所へとファイリングされていくようなイメージかな」


 僕は、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。


「記憶そのものは消えない。だが、それにこびり付いていた『今、まさに体験しているかのような』生々しい痛みや恐怖は、少しずつ剥がれていく。記憶が、ただの『思い出』に変わっていくんだ。これが、君が感じている痛みの緩和の正体だよ」


「記憶が……思い出に……」


 ビルギットは、呆然と僕の言葉を繰り返す。


 その瞬間、彼女の瞳から、ぽろ、と一筋の雫がこぼれ落ちた。

 それは、すぐに次から次へと溢れ出し、大粒の涙となって彼女の頬を濡らしていく。


「あ……ああ……っ」


 嗚咽が漏れる。

 それは、何年も流すことのできなかった、悲しみの涙だった。

 自分を責めることしかできず、部下たちのために泣くことすら許されなかった彼女が、ようやく流せた涙だった。


 僕は泣きじゃくる彼女のそばに膝をついた。


「そして、僕が君の地獄を『神の瞳』で共有しながら光を導いたから、君の心は最も安全な道を辿って、記憶の再処理を始めることができた。これが、第一歩だ。君を縛り付けていた【罪悪感の鎧】は、今日、初めてひび割れたんだよ」


 僕の言葉に、ビルギットは涙に濡れた顔で、しゃくりあげながら僕を見上げた。


 さて、ここからが本当の治療開始だ。


――――――――――――――――――

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