第3話 空と海


「………………また、親父さんに何か言われたのか?」


「ふふっ、長月先輩って何でも知っているんですよね、私のこと。………ほんと嫌になっちゃうな……バッテリーを組むと……プライバシーとか、無いんですかね?」


 その問いに水無月がポツリポツリと答え始めたのは、西の空が茜色に染まり始めた頃だった。


「お父さんに………興味がないって言われました。私の……女のする野球ゴッコに、付き合う時間など無いって言われました」


「………………」


「そんな時間があるなら、兄の……サポートをするようにとのお達しです。マッサージや自主トレの手伝い、道具の整備。女のお前にも、支えられることは幾らでもあるだろう…て、要するに自宅での兄のマネージャーをやれって事です」


 俺は黙って、水無月の話しを聞いていた。


「………酷いですよね。私だって、ずっと野球をやって来たのに……女ってだけで、見向きもしてもらえないんです。確かに……高校から男女別になるけど、甲子園には行けないけど…だからって………


 黙っていないで、何か言って下さいよ、長月先輩ぃ………」


 夕焼けに照らされた頬が、テラテラと光を湛えている。俺には、声も出せずに泣いている水無月を黙って見つめるしか出来なかった。きっと、家でもそうやって涙を流しているんだろうな。


 水無月を取り巻く家庭の事情は複雑だ。何が複雑かって……親父さんは、野球の強豪校である海王第一学園中等部の野球部の監督を長年務めているし、そして一つ年上の兄貴は、その野球部の四番バッターを務める野球一家。

 

 俺が彼女の家庭事情を知ったのはバッテリーを組んだからだが、その家族達の存在は前から知っていた。 海王第一学園を率いる名将――水無月監督。そしてその御曹司である水無月海みなずきうみ。この二人の存在は、あまりにも有名だからな。


 野球に全てを捧げる親父さんと、「怪物」との呼び声高い天才兄貴の存在が、彼女を苦しませ続けているんだ。


「もう………野球辞めようと思います…私。でも、やっぱり……やっぱり……野球が好きだから……辞めたくないです。どうしたらいいか分からなくなってて………考えている内に、この場所に立っていました。それで……何だか、どうでもよくなっちゃったんです。全部がもう、どうでもいい………」



 夕日を背にした彼女が、ニコリ――――と笑う。


 二つの瞳から零れ落ちる光が哀し気に、彼女の向日葵みたいな笑顔を曇らせる。



 一歩、また一歩と俺から遠ざかる様に後ろ向きに歩き始めた彼女を見て、俺はマズイ……と思った。この橋の欄干は低く、その気になれば簡単に向こう側へ行けてしまうからだ。俺は咄嗟に彼女へと駆け寄り、腕を掴んで引き寄せた。



「うう……うぅぅ―――う、うわあぁああぁぁ――ん!」



 水無月…空は―――、俺の胸の中で、わんわんと泣き始めた。





    ⚾️ ⚾️ ⚾️ ⚾️ ⚾️ ⚾️



  海王第一学園中等部  対  佐倉西中学校


      二回表――海王第一の攻撃



 一回裏の攻撃を三者凡退で終えた俺達は、対戦相手の攻撃を迎え撃つべく守備に就いたのだが……異様な空気感に襲われていた。


『四番―――サード・水無月くん……』


 その名が響くと否応なく、球場の空気がピリリ……と緊張感を孕む。


 左のバッターボックスに立ち、静かにバットを構える奴―――水無月海。その堂々たる佇まいに、威厳すら感じる。流石だ……「怪物」と恐れられるだけのことはある。


 だが、この瞬間を俺達は最高に楽しんでいる。―――なあ、空。


 コクン―――

 俺の出したサインに頷く、空。



 視線を交わし合った俺達は、静かに闘志を全開にした。

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