第2話 狐憑き-01
~煌~
7歳のときに一目惚れした少女。
ホタルを見せると涙の顔に笑顔をいっぱいに浮かべていた。
その少女ともう一度会いたいと願っていた。
その少女が今、大人になって目の前にいる。
「守るって言ってもね~、この通り何の変哲もない暮らしだからあんたたちの仕事、別にないと思うよ」
親父が帰ってから、ソファに座る彼女のそばに侍る俺たちは半笑いでそう言われた。
それでも、こうしてそばに立てているだけで俺は嬉しい。
親父から、『惺音様の神使になる気はないか』と言われたとき、こんなチャンス二度とないと思った。
俺なんかが惺音と近づく機会があると思ってもみなかった。
すぐに親父の提案を受け入れて。
だけど『惺音様』と言う気にはなれなかった。
俺の中ではいつまでも、あの日の泣きべそを書いていた幼い惺音が惺音のイメージそのもので。
だけどいつの間にかこんなに大きくなっていた…。
綺麗な黒い長い髪はより一層惺音を大人に見せた。
まあ俺と同じだけ成長してるんだから当たり前っちゃ当たり前。
俺は自分の中の稚拙な考えに苦笑する。
それでも、惺音は俺にとってずっと忘れられない人で。
妖は、例外はあれど基本的に生涯でたった一人しか愛さない。
7歳の時に心奪われてから、俺の人生は惺音のものになったんだ…。
そんな惺音は人使いが荒い。
「今すぐ桜が見たい」
「はあ? あと2週間くらいで見れんだろ、我慢しろよ」
「いいからなんとかして!」
というわけで俺と青蘭でありったけの妖力を屋敷の庭の桜に送り込み、開花を早める…。
こんなことしていいのか…?
っつか惺音の妖力なら俺たちがこんな頑張らなくても一瞬だろ…。
だけど、庭に桜が咲いたのを見て惺音は満面の笑顔になった。
その笑顔は幼いあの日と重なり、やっぱり俺の心をとらえる…。
かと思いきや…。
「みんなでお花見パーティーしよ! すぐ準備して!」
またこうやって無茶ぶりを…。
厨房のシェフたちやメイドに頼み、急いで花見の準備をさせる…。
親父もここで働いている人たちも、いつもこんな無茶ぶりに耐えてたのか…。
尊敬…。
シェフやメイドたちが用意してくれた料理や和菓子、お茶なんかを持って庭に並べてやると、惺音は喜んだ。
持っているスマホで写真を撮ってる。
「惺音ちゃんは人使い荒いね~」
青蘭がニコニコと笑いながらそう言うので俺は隣でウンウンとうなずいた。
惺音にキッとにらまれるので、2人で首を縮めた。
そんなある日、今日は4月からの高校入学のために指定の制服業者が屋敷まで採寸に来ていた。
「久しぶり~、今年もありがとね」
「こちらこそ、今年も惺音ちゃんの成長が見られて嬉しいよ」
普通の人間で、惺音の正体も知らないが、惺音とは小さいときからの知り合いの業者らしい。
初老のその爺さんは、何年もこの仕事を一人で切り盛りしてきたんだろうと思わせる。
だが…。
「あれ? 今年は
惺音が爺さんに聞いた。
どうやらいつもは他に何人か来ているらしい。
「そうなんだよ…。ここだけの話、従業員たちが何人か病気になっちまって…」
「病気?」
惺音が聞くと、爺さんは声を潜めた。
「精神病みたいなものなんかね…。みんな同じ病気になるんだからなんかの感染症とかも疑ったんだが…。訳の分からないことを言い出したり、妙な行動をしたり…油揚げを出せなんて言うやつもいたから狐に憑かれたんじゃないかと妙なことも思ったけどね。とにかくそれで、最後にその病気になった奴がビルの上から落っこちて亡くなっちまって…。そこからその病気は止まったんだが、心配でみんなのことは一度休ませてる」
爺さんはそう言って暗い表情を見せた。
俺たちは、爺さんの言葉に顔を見合わせた。
もしかしてそれって…。
「狐憑き…」
惺音がぼそっと口に出した。
爺さんが怪訝な顔で惺音を見る。
惺音は慌てて両手を振って取り繕う。
狐憑き。
それは、主に野生の妖狐が人間に取り憑いて悪さをすること。
本人たちは悪戯のつもりなんだろうが、品性の欠片もないその行動はしばしば神々の間でも問題になってたらしい。
大昔に何度か神々も重い腰を上げてそういう悪い野狐たちの一掃に動いたらしいが、まだこの現代にも残っていることは残っている…。
「功チャン、あたしがもう二度とそんな病気起こさないようにしてあげる」
「どうやって…」
「うーん…悪魔祓いかな?」
不思議そうな顔をした爺さんだったが、それ以上なにも言わない惺音に爺さんも何も聞かなかった。
もしかして惺音、その狐を退治しようとしてるのか…?
爺さんは一通り採寸を終えて帰って行った。
帰ったあとに、惺音は俺たちを集めて言った。
「あたし、功チャンに迷惑をかけた狐のこと、許さないから」
「退治しようとしてんのか…」
「当たり前」
「でもどうやってするんだよ。死んでから何も起きてねえってことは姿をくらましてるってこと。俺たちにはどこにいるかも分かんねえよ」
俺がそう言うと、惺音は驚くことを言った。
「閻魔に会いに行く」
「はあ…?」
「閻魔なら千里眼を持ってる。死んだ人もいるならなおさら事情を分かってるはず。そこで閻魔と話して居場所を聞き出す」
惺音の言葉に、俺は「仕方ねえな…」とつぶやいた。
惺音がそこまで決めてるなら、神使の俺には何もあらがえない。
ただついていくのみだ。
なのに…。
「惺音ちゃーん、それ、俺も行かなきゃだめ?」
青蘭が片手をそろーっと上げてにこっと笑顔で聞いた。
「閻魔様ってよく知らないけど怖い人でしょ? 俺、そんな人のとこ行きたくないんだけど…」
こいつはほんとに…。
神使契約結んだばっかりだろ!
「青蘭! いいから行くぞ!」
「え~ん」
というわけで、嫌がる青蘭を連れて、俺たちは庭に出た。
「どうやって閻魔様のところに行くの?」
何も知らない青蘭に、惺音が答える。
「あっちの世界に閻魔の政庁があるの。そこに行く」
「え~、あっちの世界行くの? 俺体力使うからやだな~…」
「あたしの妖力で連れてってあげるからわがまま言わないで!」
惺音はそう言って耳と尻尾だけ出して狐の姿になった。
それから、尻尾から毛を何本か抜いて、俺と青蘭に配る。
妖の世界。
それはこちらの世界と似て全く非なる世界。
同じ大地にあるにはあるが、こちらのものはあちらに見えないし、あちらのものも当然こちらには見えない。
そして、その妖の世界への行き方は2通りある。
1つ目の方法は、一番オーソドックスだが、自分の妖力の源――俺や惺音の場合は狐玉――を持って息を吹きかけて移動する方法。
これをすればすぐに世界は入れ替わる。
だが、二つの世界を行き来することは並大抵のことではないので、これはかなり体力を消耗するやり方。
もう1つは、複数の妖をひとりの妖がまとめて連れていく方法。
ひとりの妖の身体の一部(髪の毛でも尻尾の毛でもなんでもいい)を持ち、その上でその妖が1つ目のやり方を行えば、妖の身体の一部を持つ者はまとめてあっちの世界に行くことができる。
つまり、惺音は自分の身体の一部…尻尾の毛を俺たちに持たせることで、まとめてあっちの世界に送ろうとしてくれてるんだろう。
惺音くらいの妖力の持ち主なら行き来でそう簡単に体力は消耗しない。
ありがたくその恩恵にあずかるか…。
惺音が狐玉を取り出して、ふっと息を吹きかけた。
たちまち世界が変わる。
惺音の屋敷の庭だったそこは、こっちの世界での俺の親父の屋敷の庭。
そして、俺たちの姿も変わっていた。
背中くらいの長さだった惺音の黒髪は、身長よりも長い赤髪に。
そして、人間の世界では黒い短髪だった俺の髪は、白髪で惺音と同じくらいの長さ。
長い髪には妖力が宿る。
耳と尻尾もついていて、これが俺たちの完全体の狐の姿だ。
一方、青蘭は髪の長さはほとんど変わらない。
変わってるのは青に染まった髪と、立派な大きい青い翼。
「あと、ズボン履いてて見えないけど長~い尾がついてるよ。そこに妖力が宿ってるの。見る?」
青蘭はそう言ってズボンを下ろそうとする。
「見ねえよ!」
俺はそう言って青蘭の頭を殴った。
惺音は顔を赤くしている。
「あっそう。それより洋服じゃ窮屈~。着替えない?」
「じゃあ一回家の中に入ろう。どのみちこの服じゃこっちの世界では勝手が悪いしね」
そう言って俺たちは屋敷の中に入ることになった。
屋敷の中は、親父はいなかったが働いている従業員が笑顔で迎え入れてくれる。
「人数分の着物用意して」
「かしこまりました」
惺音の言葉にうやうやしく礼をするのは女中頭。
ほどなくして、俺たちには和服が与えられた。
俺と青蘭はすぐに着替え終わるが、惺音の着付けをしばし待つ。
しばらく待って出てきた惺音はすげえ綺麗。
藍色の着物が黄色い耳と尻尾を際立たせて、可愛さもある…。
「可愛いな…」
思わずぼそっと言う言葉。
「へっ…? な、なに言ってんの!?」
俺がちょっと言っただけなのに、顔を真っ赤にしながら怒ってそう言う惺音がますますかわいいと思った。
「なに~? 煌くんってそういう感じ?」
ニヤニヤしながら俺に耳打ちする青蘭。
俺はそんな青蘭をとりあえず殴る。
青蘭は頭を押さえて口を尖らせた。
「殴ることないじゃん…」
このうるさい男をどうにかしたい…。
それから3人で閻魔の政庁までの道をたどった。
辺りはもうすっかり暗くなっている。
こちらの世界の方が夜は長い。
閻魔に無事に会うには、死者でないことを証明する生者の証が必要。
生者の証は妖によって違うが、俺たちは稲荷神の庇護の元にいるので、稲荷神の証である稲穂を持って入らないといけない。
青蘭にそれを探しに行かせる。
俺たちは政庁の脇にある受付と警備の役目を果たす詰所の大屋根の上で待つことにした。
でも閻魔のところに行ったって、そう簡単に応じてくれるとは思えない。
そんな簡単にこちらの話を聞いてくれるような人ではないはず。
「なあ…惺音」
「なに」
「なんでお前がそこまですんの?」
俺がそう言うと、惺音が俺の顔をじっと見た。
「大切な人のためだから」
「大切な人…?」
「うん、功チャンは、親のいないあたしのために小さいときからなんでも話を聞いて、たくさん遊んでくれて、色んなことをあたしにしてくれた。その功チャンが困ってるなら…あたしは何でもしてあげたいよ」
惺音はそう言って少し涙をにじませた。
その涙に、俺は少し分かってしまった気がした。
小さいときから親がいなかった寂しさ、強気にわがままを言う理由。
惺音は…孤独なんだ。
初めて会ったあの日もそう。惺音は孤独に一人耐えている。
俺は惺音の涙を見て、無意識にそっと腰元を引き寄せた。
俺が、この子を守りたい。
初めて会ったあのときとはまた違った感情。
俺がどうしようもなく弱いこの女を守るんだ。
「な、なにしてんの!?」
惺音が俺の行動に慌てて体を離そうとする。
俺は構わずさらに強く引き寄せる。
「俺に…お前のこと、守らせて」
「あ、当たり前じゃん、神使なんだから…」
「俺のこと…好きになれよ」
俺がそう言うと、惺音は目を大きく見開いた。
それから意味を理解し、顔を真っ赤にした。
「は、はあ!?」
俺の腕の中で、うろたえて、暴れて、照れている惺音があまりにも可愛くて。
俺は月明りの下、そんな惺音に笑みがこぼれて仕方なかった。
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