天使の約束 ~トワside~


『どうせ死ぬのに、プリントなんかもらってどうするんだよ!』


 ああなんて酷いセリフだろうか。

 ボクはいつだってそうだ。自分の気持ちをうまく表現できない。早く死んでしまいたい。優秀な兄のスペアとして生まれたくせに、役に立たないボクは、もういらない存在なのだから――


 せっかく来てくれたクラスメイトを冷たく追い出して、微睡まどろんでいたボクはやがて眠りに落ち、夢を見ている。


『ずいぶん、ひねくれているな』


 そんなボクの耳に突然聞こえていたのは、男の声だ。


「!? だれだ!」


 慌てて周囲を見回すが、真っ白。

 真っ白だとわかるぐらいに明るいものの、とにかく真っ白だ。

 立っている僕の三メートルほど先に、男が立っているのが分かった。黒髪で、白い布を体に巻いているだけ。顔はぼんやりしていて、よく見えない。


 低くて地を這うような太い声で、男は答える。


『お前の今までの行動・言動を全て見てきた者だ。考えていることも、分かっている』


 ボクがその存在を認識していなかったというのに、全てを把握しているということか。

 

「神様?」


 ぽろりと出てきた単語に、男はふっと笑いを漏らしただけで、否定も肯定もしない。そのことが余計に真実味を増す。


「何の用ですか?」

『満足する死を、迎えたくないか』

 

 今度はボクが、鼻で笑ってしまった。


「全部見透かしたうえでその言葉を選ぶって。ヘタクソですね」

『っ』

「あれ、自覚ありですか?」

『ごほん。わたしのことはいい』

「変な神様。ボクみたいですね」

『お前みたい、とは』

「できそこない」


 会話に疲れたボクは、床に座って膝を抱えた。

 夢の中では、体は疲れないけれど、精神的には疲れると学んだ。


「どうでもいいんで、早く殺してくれませんか」

『お前の寿命は、まだ残っている』

「もういらないんで、早く殺してくれませんか」

『そういうわけにはいかない』


 淡々とした口調が却って人を苛立たせることがある、ということを神様のくせに分かっていない。

 けれども、そんなできそこないの神様の方が、ボクにはお似合いだ。

 

「そういうわけには? なにかしなくちゃならないんですか?」


 絶望的に会話が成り立たないので、ボクがフォローしなくちゃならないのが面倒だけれど。

 

『今のままでは、魂に良くない』

「知ったこっちゃないですけど」

『世界のことわりには、あまり良くないことだ』


 いい加減、イライラしてきた。

 

「ボクにとっては、どうでもいいです」

『そうだな。だがそういう魂が増えすぎて、人は滅びの道へと向かっている。それもまた理かもしれんが』

「だから、なんですか!? さっきからウダウダと……こっちが聞かないと何も喋らないくせに、要求はあるんですよね!? さっさとしてくれませんか」

 

 はあ、と神様は大きく息を吐いた。


『すまない。こんな風だから、わたしはもうこの存在を保っていられなくなってきている。だからお前に後を引き継ぎたいのだ』

「は!?」


 ばさり、と彼の背後からとても大きな白い翼が生えた。

 突拍子もない提案と、非現実的な存在のコンボで、さすがのボクもパニックに陥る。


「え? てことは、ボクが、神様になる????」

『……死にゆく『善人』を導く存在、だな』

「んじゃ、天使?」

『はあ。なんでもいい。とにかく、わたしの代わりにソレになって欲しい』

 

 膝を抱えたまま、ボクは首をひねる。


「なんで、ボク?」

『見た目だな』

「あっは!」

『人は見た目を重視するだろう。どうやらわたしには威圧感があるらしい。おまけに、説明も下手だ』

「自覚ありなのに、直さないんですか?」


 顔は霧がかかったように分からないけれど、困ったような顔をしているのはなんとなく分かった。


『わたしのことは、もういいのだ。お前をこの役目にするのに、足りないことがある』

「ええと、まだ受けるとはお返事してませんけど」

『お前のことは、全て見えている』


 ――ボクとしたことが。


天乃あまの透羽とわとして、人の役に立つ』

「な!」


 ボクが驚きに顔を歪めるのもお構い無しに、神様は淡々と続ける。

 

『今、お前が心から望んでいることだろう。死に瀕してさえも人のためをまず考える。そんな心根だからこそ、両親とは関係なく、医者を目指していたのだろう? 合理主義の父とは真反対だな』

「ほんっとに! デリカシー皆無!」


 人の心の奥底までズカズカ入り込んできて、本人ですら無自覚なことを言葉で表現してみせるなど、無神経以外のなにものでもない。なるほど、こういう役目は本当に向いていないようだ。一刻も早くボクが引き継がねばならない。


『そうは言っても透羽よ。自身が心から望んだことを叶えてこそ、この存在になれるのだ』


 ――また、心を読まれた。

 

「へえ。叶えるだけで、みんななれるんですか?」

『いや……たまたまおまえの願いで、必要分の善行が貯まるというだけだな。あとは推薦が必要だ』

「あっは! そっちの世界も世知辛いんですね。ノルマとか推薦とか。まあ、わかりました。こうなったら、みんなに愛される天使になってやりますよ。演習ってことで」

『見ているぞ』


 ――ボクが、死ぬまで?


『もちろんだ。その時には、わたしがこうして迎えに来る』


 その言葉で、ボクの心の奥底からは隠しきれない喜びが満ち溢れてくる。

 

「ああ、なんて嬉しいんだろう! 約束ですよ? ってどうせ夢なんでしょうけどね」

『約束だ。夢ではない。約束のしるしを置いておくから、起きたら確かめるがいい』

「約束の、しるし?」

『ああ。期待している』


   †


 病室のベッドの上で目覚めた、ボクの手の中には――真っ白な羽根がひとつ、握られていた。


「これ……! はは。なんて分かりやすい……ああ、本当に?」


 ボク自身を見て、期待して、死ぬまで待って。

 迎えに来てくれる?


「うん。なら……約束通り……ボクは、天使になるよ!」

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