第二章 天使くん、頑張る

第9話 天使くん、始動


 県立しらうみ北高校の文化祭は、毎年九月下旬に行われる。

 最終週の週末と大体決まっていて、準備期間は約二週間。

 クラスで二名、文化祭委員が選出され、クラスでの出し物を決め、準備する。定例の委員会への出席や、クラス全体の指揮、予算管理などやることが盛沢山なので、もちろん誰もやりたがらない。

 

「はい!」


 トワは、その委員に元気よく立候補した。慣例では、委員は男女ペアで選ばれることになっている。女子は、誰も手を挙げない。そろりと周囲の出方を窺っているだけだ。

 クラス委員長の姫川さんが、その様子を見て大きくため息を吐く。

 

「天乃くん、立候補ありがとうございます。あと一名は女子から選ぶことになっています。立候補者がいなければ、推薦投票になりますが、良いですか」

 

 姫川さんの声に反応する生徒は、いない。もう一人のクラス委員は三ツ矢だ。声の大きさ、ガラの悪さ、押しの強さで選ばれた。悪ぶってる男子が好きな女子には一定の人気があるらしく、去年は結構バレンタインチョコをもらっていたらしい。全然理解できないけど。


「俺も手伝うからさ、リンカどう?」

「はあ?」


 その三ツ矢がご執心なのが、白崎しらさき凛花りんかという僕の左斜め後ろの席のギャルである。

 校則のギリギリを攻める茶髪で、つけまつげやリップを休み時間ごとに鏡でチェックしている。スマホカバーはカバーというかメイン? というぐらいにゴテゴテしていて、常にインカメで何かを撮っているけれどあれは何なんだろう。

 とにかく、文化祭となるとクラス委員と文化祭委員の連携は必須だし、放課後遅くまで残る。絆も深まりやすい、という三ツ矢の魂胆は僕にも見え見えだ。

 

「めんどい」

「そう言うなって。買い出しとか行けっしさ」

「……ふうん」

 

 僕の斜め後ろで、白崎さんがトワを振り返ったのが分かった。すかさずトワは、ガッツポーズをする。


「ボクと一緒に、頑張ろう!」

「なんあれ。あつくるし」


 物騒な言葉を放ってまた前を向いた白崎さんに、姫川さんが冷静な言葉を投げる。

 

「他に候補者がいない場合、白崎さんと他の方の推薦投票になります」

「は? なにそれ。あたしに決定じゃんそんなの。ミツヤ死ね!」


 白崎さんの言うことはごもっとも。誰も新たに名前を挙げないだろうから、この場合の投票なんて意味がない。

 三ツ矢の思惑通りというわけだ。

 

「ははは! がんばろうぜリンカ!」

「うっざ。はあ~~~~」


 諦めて机に突っ伏した白崎さんに、僕は同情を禁じ得ない。

 見たところ、三ツ矢を好意的に思っている空気がこれっぽっちもないからだ。有体ありていに言えば『脈無し』。なぜなら、白崎さんは歌って踊れるアジア系ポップアイドルグループに夢中だからだ。推しぬいや缶バッジをリュックに付けている。オラオラ系ダンスグループならまだしも、ゴリラ系とアイドルではタイプが違いすぎることぐらい、気づいても良いと思うのだがどうなのだろう。

 

「……では男子は天乃くん、女子は白崎さん。今日の放課後に最初の委員会があるので、出席をお願いします」


 姫川さんの声でホームルームが終わり、脇に座って様子を見守っていた橋本先生が立ち上がった。


「んじゃ、みんな文化祭に向けてがんばろうな~。また、明日」


 締めの言葉の後、先生は僕に目配せをする。どうやら、また職員室に来いということらしい。

 ざわざわと帰りの準備を始める教室をそそくさと出て、僕はスマホを取り出した。廊下の端で立ち止まり、グループトークに簡単なメッセージを入れる。


 ユキ>>『ハッシーに呼び出されたから行ってくる』

 トワ>>『OK』

 

 トワはいつも返事が早い。アンジが未読なのは、また寝ているからかもしれない。

 先生に何を言われるのかドキドキしながら職員室へ向かうと――


「これ、バイク通学許可証な。保護者の印かんもらって、明日持ってきてくれ。校長先生には話してあるから」


 前置きも何もなく、いきなりA6サイズの紙を渡された。

 

「はい?」

「天乃。文化祭委員になったら帰れなくなるだろ」

「あ!」


 そうだった、バス通学だった。最終バスは何時か分からないが、放課後居残りしたら確実にもう走っていない時間だろう。

 

「えっとこれは……僕の許可証ですよね?」

「おう。教師の立場でこれを勧めるのもどうかと思うんだが。事故とか怖いしな」


 どうやら、僕がトワをバイクの後ろに乗せたことを橋本先生は知っているらしい。

 

「えーっと、なんで知ってるんです?」

「俺の娘は、天乃と同じ病気でな。彼と比べたらだいぶ軽いが、普段から色んな話はしているんだ。文化祭委員になることも、事前に相談された」

 

 へにょりと眉尻を下げる先生は、どこか気まずそうだ。


「……そっか。てん……あまのくん、今も通院してますもんね」


 トワが週に一度、決まって土曜日の午前中に、市立病院へ通っているのは知っている。

 送り迎えはどうしているのかと聞いたら、タクシーで通院しているから大丈夫だと言われた。田舎ではアプリで配車できず、毎週同じ曜日の同じ時間で直接運転手と約束した、と笑っていたことを思いだす。 

 

「おう」

「え。てことは必然的に僕も居残りってことに?」

「そうだな。文化祭委員補助に任命する」

「えぇ……」

 

 プリントを届けるだけのはずだったのに、ここまで巻き込まれるとは予想できなかった。

 陽キャグループと絡まなくちゃいけないようなイベントは苦手だし、家でネトゲしていたいし、本番は適当に買い食いしてダラダラしていたい。


 僕が断れるなら断りたいと思っているのが分かったのか、先生は静かに宣告した。


「矢坂が断るなら、天乃には申し訳ないが、文化祭委員は他の人間を指名しなければならない」

 

(ずるい!)

 

 そう言われてしまえば、気弱な僕が断れる訳がない。


「……わかりました。でも両親がダメって言うかもしれないんで」

「おう。聞くだけ聞いてみてくれ」

 

(ダメって言うわけないよなあ、エリコが……)


 案の定母親は、加入している保険の補償範囲を何度も確認した後で、許可証にハンコを押した。

 ちなみに親父は「俺のバイクが役に立ってる!」と終始ニコニコしていた。やっぱり僕の家は、平和だ。


   †


「ちょっと」

「ん!?」


 朝登校してすぐに、駐輪場でギャルの白崎さんに絡まれる僕は、思わず周囲をキョロキョロしてしまった。


「あんた、えーっと」


 席が近いのに、名前を覚えられていない。しかも一学期の始めでなく二学期に入ったというのに。それが僕のクラスでの存在感だ。

 分かっていたけれど、さすがに動揺して言葉の出てこない僕の代わりに、隣を歩いていたトワが返事をする。

 

「ユキに何か用?」

「ユキ、っていうんだっけ。あのバイクなんなのよ」


 なんなの、と聞かれてもどう答えれば良いのか分からない。

 口が動かない僕をちろりと横目で見てから、またトワが答える。

 

「ユキが、ボクの送り迎えをしてくれているんだ」

「はあ!?」

「バイク通学許可は、もらってあるよ」

「ずるくない?」


 何がずるいんだろう。バイクが楽だと思っているのだろうか。

 運転するのに神経を使うから、僕的にはぶっちゃけ自転車の方が楽だ。後ろに自分でない命を乗せているから、なおさら怖い。羨ましがられることなんて、何もない。


「ボクはこれから帰りが遅くなるだろう。病気で、自転車には乗れない事情がある」

「ふーん」


 じ、と白崎さんは僕の顔を見つめる。

 今度こそ自分で返事しよう、と僕は深呼吸をひとつした。一生分の勇気をここで使う。さながら、ゲームキャラの特別アビリティを発動する気分だ。一日に一回しか使えないやつね。

 

「あの、まだ何か?」

「ううん。意外ってだけ」

「意外?」


 首を傾げたままの白崎さんは、僕の背後を顎で指す。

 

「それ、100cc超えてるでしょ。原チャ免許じゃ乗れないからさ。わざわざ二種取ったのかなって」

「ああ! うん。去年、親父にお下がりしてもらったから取った。すごいね、詳しいんだね、白崎さん」

「兄貴がバイク屋」

「そうなんだ」

「知らない? 13号線の」

「え! いつもそこで見てもらってるよ。すごい親切で、助かってる。白崎さんのお兄さんだったんだね! かっこいいな」

 

 白崎さんは、初めて僕に無邪気な笑顔を見せてくれた。

 ギャルって怖いものと思っていたけれど、話してみたら案外普通だ。


「お兄に伝えとく。リンでいいよ、ユキ。天使くんの送り迎えってことは、文化祭一緒にやるんでしょ」


 普通、というより、一回打ち解けたらだいぶ気安い生き物かもしれない。

 

「ああうん、リンさん。よろしくね」

「リンさんて。まいっか。じゃね」


 くるりと振り返って歩き出す彼女のスカート丈が短すぎて、危うくて。僕は慌てて目線を上げた。

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