第7話 天使らしさ


 午後の授業とホームルームを終えた教室は、部活動へ行く生徒と、放課後の寄り道を相談する生徒たちの話し声でざわざわしている。

 

「天使くん、だって」

「やばー」

「休んで準備してたのかな?」

「なんの準備よ」

 

 席に座ってカバンにノートなどをしまっているトワをチラ見しながら、クラスの女子たちは、新しいおもちゃを見つけた子どもみたいに目をキラキラさせている。

 なにせ刺激の少ない田舎の高校だ、変な奴だって大歓迎だろう。本当にヤバイ奴かどうか、品定めしているに違いない。

 

「おい、力になるってどういう意味だよ」


 早速窓際の一番後ろの席を取り囲んだのは、三ツ矢のグループだ。三~四人で深夜でもコンビニ周辺にたむろっているという噂の彼らは、同じ高校だけでなくガラの悪い工業高校の連中とも親交があるらしい。つまり、あまり触れたくないグループだ。


「うん? 困っていることがあれば、助けになるぞ」

「へー。んじゃ一万」

「いちまん?」

「金。出せよ。すげー困ってるから」


 にやにや、へらへら。

 クラスメイトたちは、そそくさと帰りはじめる。誰もが面倒からは遠ざかりたい。当然だろう。


「持ってないぞ」

「あ? 力になるって言ったじゃねーか」

「悪いが、ボクが持っているのは脳みそだけだ」

「んなもんいらねえよ。財布出せ」

「出さなかったら、どうするんだ?」

「殴る」


 僕はその言葉に、恐怖を感じた。

 日頃僕の後ろ頭を叩いているのは、三ツ矢のお遊びだ。これが本当に殴るとなったら――

 

「殴るってよー」

「ギャハハ、死んじゃうって」

「早く出した方がいいよ~」

 

 茶化す周囲のクラスメイトたちも、悪ノリの域を越えているが、誰も止められない。

 逆らったら何をされるか分からないからだ。

 ところがトワは、ひるまずに口を開いた。


「刑法、第二百二十二条。生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する」


 呪文のような文言は、当然あまり聞き取れない。けれども、物騒な言葉というのは分かった。

 

「あ?」

「脅迫罪だ。告訴しようか。殴れば暴行罪も適用できる」

「ああ!?」

「ボクの叔父は、警察官僚だ」


 す、とトワがスマホを取り出す。


「おい」

「同級生に金銭をせびり暴力で脅迫するやつがいると言ったら、叔父がどう動くか楽しみだな。このご時世、未成年なんて関係ないぞ。ボクはやると思ったら必ず刑事告訴する」

「ちっ、冗談だ」

「冗談というのは、お互いをよく知ったもの同士が行って初めて成立する」

「うるせえ!」

「……君はどうやってこの高校に入学したんだ? 一応進学校と聞いていたんだが」

「ああっ!?」


 答えの代わりにガンッと近くの机を蹴飛ばして、三ツ矢は教室から出て行った。

 一緒にトワを取り囲んでいた連中が、慌ててその背中を追いかける。

 様子を見守っていた姫川さんが、三ツ矢本人の代わりに答えを告げた。

 

「推薦。あいつ、中学では野球部のエースだったから」


 やれやれと大きく息を吐く彼女もまた、僕と同様緊張しつつ様子を見守っていたようだ。さすが学級委員長、と僕はその正義感に感心する。


「だった……過去形だな?」


 トワは、けろりとしている。肝が据わっているなぁと、僕は彼にも感心した。

 

「そ。硬球じゃ通用しなくて、すぐ辞めたみたい」

「へ~。だからイライラしているんだな」

「あまり煽っちゃダメよ」

「ご忠告どうも」


 にっこり笑うトワに呆れ顔を向け、姫川さんはもう会話は済んだとばかりにサッとリュックを背負い、教室を出て行く。

 僕は彼女の後ろ姿を目で見送ってから、トワの方を向く――目が合うや、彼はガタンと席から立ち上がり、明るく声を掛けてきた。


「ユキ。ボクの近所なんだろう? 一緒に帰らないか」

「えーと。うん」


 教室にはもう僕とトワ、それからアンジしか残っていない。

 そのアンジは、机に突っ伏してずっと寝ていた。最近寝不足な様子なのが気になりつつ、僕はアンジの席へ近寄り、肩を揺すって起こす。


「アンジ? もう帰る時間だよ」

「んあ……んんん」

 

 アンジはのそりと上体を起こし、目をこすりながら周りをきょろりと見回した。


「あー、わりぃ。寝てた」

「うん、帰ろ。天使くんも一緒にって」

「……おう」


 三人そろって靴箱で外靴に履き替え、校庭を横目に自転車置き場へ向かい、僕とアンジは自身の自転車を押し歩きながら校門を出る。トワは、徒歩だ。どうやって通っているのか聞いたら、バスらしい。かなり不便だから、後ろに乗せてあげるよと言ったら、道交法違反だからと断られた。なるほど、親戚が警察関係者だと色々大変だなと僕は脳内で納得する。

 

 だいぶ涼しくなってきた夕方の風を感じつつ、僕はぼそりとトワに言った。


「焦らなくても、もうすぐ文化祭があるよ」

「文化祭?」

「うん。うちの高校は、毎年九月の終わりにやるんだ。十月は体育祭があって、十一月に修学旅行。二年生は、行事続きだよ」

「へえ」

「きっと模擬店とか出し物とかで、知恵を借りたい機会はいっぱいあるんじゃないかな」


 ところが僕の意見に、トワは顔を曇らせる。


「……どうかな」

「え?」

「ボクは、今まで勉強しかしてこなかった。エンタメには疎い」

「ぶっふ。エンタメて」


 思わず吹いた僕は悪くないと思う。けど、ものすごく睨まれた。


「仕方ないだろう。両親共医者で、医者になるのが当たり前だったんだ。だから」

「天使くんの家、ご両親いないのは、病院に勤めているから?」

「いや。都内にいる。あの家は祖母が昔住んでいたもので、今はボク一人だ」

「は?」


 病気を抱えた息子を、田舎で一人暮らしさせている。

 僕にはそれがどういう事情なのか、さっぱり分からない。


「医者だから、ボクの体のことは、よくわかっている。もう治らないから」

「いやいや、それどんな理屈なの!?」

「良いんだ。実家には兄もいるし。ひとりの方が気楽だ」


 トワの横顔は、穏やかで、なんの悲しみもない。

 そのことが、僕には余計に悲しかった。諦めていると感じたからだ。


「天使くんって、どれぐらい賢いの?」

「ん? なんだ唐突に。どれぐらい、を表現するスケールとして正しいかは分からないが、偏差値は75だった」

「……ちょっと聞いたことがない数字ですね……」

 

 ぶふ、と背後を静かに歩いていたアンジが吹いた。


「ユキナリは、キャパオーバーすると敬語になるんだな」

「バラさないでください、アンジさん」

「さんづけヤメロ」

「なるほど。敬意を払いたくなるということか」

「冷静に分析しないでください、天使さん」


 僕は、どうしようか考える。

 この世間離れしすぎている秀才くんには、常識というものを教えた方が良いかもしれない。

 でも自ら他人に関わるのには、躊躇する。また僕は、という恐怖がある。


 頭の中を、過去の出来事がフラッシュバックする。

 机に座る僕を取り囲む、昨日まで仲の良かったクラスメイトたちが――口々に暴言でもって僕を責め立てるのだ。


『偽善者』

『良い人ぶって』

「なあ、ユキ。ボクに世間というものを、教えてくれないか」


 トワの言葉が、僕を現実に引き戻した。

 僕はパチパチと瞬きを何度かして、眼前のアンジとトワを交互に見る――もう逃れようがないかもしれないなと半ば諦めながら、改めて無愛想なクラスメイトを見上げてみた。

 

「アンジ、どうする?」

「仕方ねえだろ。毒を食らわば皿までだ」

「やっぱそうか~」


 僕とアンジの会話に、トワが目を見開いて抗議する。


「ボクが、毒だっていうのか!?」

「なあ。手始めにモールでも行くか。ユキナリ、バイク出せるか?」


 トワを無視したアンジの提案に、僕は大きく溜息を吐いた。

 喜ぶに違いない。けれどもやっぱり、面倒だ。

 

「あのですね、天使くん。東京と違ってしらうみ市の公共交通機関は、ほとんどないわけですが」

「ああうん。バスも一日に数本でびっくりした」

「はい。ですので、十六歳になったら原付免許を取る人、結構多くてですね」

「原付……バイク?」

「その通り。僕には親父からのお下がりで、100ccのスクーターがありましてですね。そのために去年原付二種免許取ったんで」

「原付二種免許とは、なんだ?」

「合法的に二人乗りできるんです」

「え!!」


 キラキラした笑顔でトワがアンジを振り返ると、アンジは眉間にしわを寄せつつ口角を上げている。

 仕方ねえよな、と態度で言っているようにしか見えない。


「あーけど、ユキナリは予備メット持ってねえから。トワ用の買わないとならん」

「買う! どんなの買えばいい?」

「ハーフメットはやめとけ。フルフェイスまではいらんけど、ジェット」

「ジェット?」

「説明がめんどくせえな」

 

 がしがしと頭をかくアンジに、僕はSNSアプリのグループトークを作ることを提案した。


「これで、どれが良いか送ってあげたら?」

「しゃーねぇな……」

 

 早速僕が、『よろしく!』と書かれたアニメのスタンプを送ると、トワは心から嬉しそうな顔をした。


「うわあ! ボクこれ、初めて使う……おもしろいね!」

 

 こういう風に世間ずれしていない彼は、まさに天使くんなのかもしれない。

 

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