第6話 協力者!?


「あーと、天乃あまの? なにしてんだ?」


 ホームルームの始まる時間になったからか、教室までやってきた担任の橋本先生が、入口で困惑している。ところがトワは、明るく言ってのけた。


「あ。先生。休んでましたけど、今日からよろしくお願いします」

「おう……え? 体は大丈夫なのか?」

「大丈夫ではないですけど、大丈夫です!」


 輝くような笑顔で言い切った後で教壇からとん、と飛び降りたトワは、満足げな顔で教室中を見回しながら自分の席へと向かう。

 演説を終え、政策は十分言い切ったぞ民衆よ! な政治家みたいで、全然天使じゃない。半そでから伸びた腕はガリガリだけど、頬には気力がみなぎっている。うん、別人だ。僕らがお見舞いに行った後で、生まれ変わったに違いない。もしくは、別人の魂がスコンとあの中に入り込んだか。


「おおう?」

 

 橋本先生は困惑しつつトワを目で追いかけた後、最後に僕を見た。

 バッチリ目が合ったので、とりあえず軽く首を傾げる。何も知りません。むしろ、余計なお世話だったはずなんだけれど、訳が分かりません。言いたいけれど、我慢しておく。

 

「天使とか、あほか」


 背後から不穏なつぶやきが聞こえたけれど、聞こえなかったフリをしておく。

 僕はただ平和に過ごしたかっただけなのに、やっぱり何かに巻き込まれる予感しかしない。


   †


「天乃くんさ、いったい何があったのかな」

「さあな」


 いつものランチタイム。アンジと一緒に体育館裏のベンチに座ってから、ようやく僕は肩の力を抜く。

 

 あれから休み時間ごとに、周囲に「なにか困っていることはないか?」「悩みがあるなら聞くぞ」と聞いて回るトワに、クラス全員ドン引きしていた。

 心境変化にしても振り幅デカ過ぎるだろ!? と僕は困惑の気持ちが抑えきれず、トイレに行ったり本に集中したりして、何とか彼とは接しないようにやり過ごし、念願のお昼を迎えている。

 

 膝の上の弁当箱の中身は、いつもとさほど変わらない。ブロッコリーとミニトマト、厚焼き玉子にから揚げかミートボールか、夕食の残りのローテーション。飽きることもない。僕はそれで満足だし、毎日作ってくれる母親に感謝している。

 

「なるほど、ここにいたのか! 良い場所だな!」

(げっ!)


 平和なランチ場所が、トワに発見されてしまった。

 僕が思わず嫌な顔をしたのに、彼は胸を張る。

 

来栖くるすのお陰で、すぐに見つけられた」

「……俺か?」

「おととい、夢で見た神様にそっくりだから、どうしても目が離せなくてな。すまん」

「は?」

「えぇ……」


 本当に、トワが何を言っているのか、さっぱり分からない。

 ポカンとしている間にも、トワは僕とアンジが座っている真ん中に、細い体を無理やり入れるようにして、腰かけた。

 余裕のあったベンチも、男子高生が三人並んで座ると、狭い。デカいアンジと、細くて華奢なトワと、ぽっちゃり気味な僕。見事に三人三様だ。

 

「えーっとえっと、天乃くん?」

「うん。君はなんだっけ、名前」


 アンジのはすぐ覚えるのに、僕のは――できるだけ存在感を消して過ごしているのだから、良いのか。

 

矢坂やさか幸成ゆきなりだよ」

「ユキ。プリントありがとう」

「え? ああ、うん」


(ユキ、て僕のこと?)


 そんな風に誰かに呼ばれたのはものすごく久しぶりで、動揺する。


(仲良くなっては、ダメだ。もう僕は、

 

 トワの変わりようを酷評して、距離を取る。

 僕は脳内で戦略を組み立ててから、口を開いた。


「なに? あんなに邪険にしてたくせに」

「うん。悪かった」


 毒気を抜かれるって、こういうことを言うのか。勉強になったと思いつつ、僕はペットボトルのお茶を飲む。

 ごくん、ごくん。動揺を全部飲み込む勢いで、喉仏を上下させた。謝られてしまったら、僕はそれを受け入れてしまう。損な性格なのは、重々承知している。

 

(許すのは、あの日の分だけだ。心まで許したら、ダメだ)


 気合いを入れた僕は、ただ一言「もう、いいよ」と返す。

 するとトワは、聞いてもいないのにスラスラと喋り始めた。


「ボクは、肥大型心筋症を患っていてな。あーっと、心臓が四つの部屋に分かれているのは知ってるか?」


 前を向いたまま急に語り始めるトワの横顔を、僕は横目で見る。真っ白で、華奢で、まばたきする度にまつ毛がバサバサ羽ばたいていた。毛先が眼鏡のレンズにくっつきそう。


「その部屋を隔てる筋肉の壁が、分厚く硬くなる病気だ。ボクのは生まれた時からの厄介なやつで、治療の甲斐なく治らなかった。そのうち死ぬ」


 相槌すら打っていないのにお構い無しなトワに引っ張られ、僕は思わず口を開いた。


「え、と。ほら、その、心臓移植とかは……」

「順番回ってこない」

「あとなんだっけ。なんか機械とか」

「適応基準外」

 

 あまりにもさらりと言うので、へえとしか言葉が出てこなかった。だって、くじに外れたぐらいのニュアンスだ。

 それきり僕が二の句を告げずにいると、トワが自嘲気味に笑う。

 

「なに、と聞かれたから答えるが。自分でもバカだとは思う」

「うん?」


 そこでトワはギュッと目を閉じ、深呼吸をした。

 彼なりに覚悟がいることみたいだと察した僕は、弁当箱とペットボトルの蓋をしっかりと閉めた。


「……おととい、来栖とユキが帰った後、夢に神様が出てきたんだ」


 危うくずっこけるところだった。蓋は閉めておいて正解だ。


「その夢の中で、ある約束をした。ボクが目標達成できれば、死んだ後は天使になれる」


 にこ! と僕を振り向くトワは、確かに白くて華奢で天使みたいだけれど、ちょっと何を言っているか分からない。


「神様との約束だから、内容は言えない」

「へ、へえ」

「だから、来栖。ユキ。ボクがこれからやることに協力してくれ!」


(ん?)

 

「おい。なぜ俺たちがお前に協力しなければならないんだ」

「来栖が言うことも、ごもっともだな。でも、先生に頼まれたってだけでわざわざ病院まで来る、善良でお人よしだから、頼みたい」


(んん?)


「俺たちに何の利益もないんだが」

「ボクが無事天使になったら、君たちが天国へ行けるよう全力でサポートを」

「そんなの誰が保証するんだ」


(んんん?)


「あ、のね、天乃くん」

「天使と呼んでくれってば」


 ふん、と鼻息荒く、トワは腕と足を組む。

 本人は威厳を出そうと思っているかもしれないけれど、華奢で童顔だから、なんだか可愛く見えるのが残念だ。

 

「天使くん……言いづらいんだけど、ほんと、勘弁して。僕は平和に過ごしたいんだよ」

「うん。ならますます、ボクに協力すべきだな」

「意味わかんないって。アンジも困ってるでしょ」

「来栖の下の名前はアンジっていうのか。いい名前だな。天使の日本語版みたいだ」


 いきなり矛先を向けられたアンジは、クリームパンをかじりながら眉間にしわを寄せる。

 食べ物と表情が、まるで合っていない。

 

「おい、なんでそうなるんだ」

「スペルがAngeだ。フランス語で天……」

「それだとアンジュだろ」

「アンジとも読めるってば」

「こじつけんな」


 むすりとアンジが抗議をするけれど、論点がどんどんズレていっている。


「いやえっとね」

「とにかく。ユキとアンジはボクの協力者だから。じゃ!」


 天使くんはそう言うと、スッキリした顔で颯爽と立ち上がるや、意思確認もせずスタスタと去ってしまった。

 もちろん、残された僕たちはポカンだ。


「協力者って、いったい何なんだろう?」


 すがるようにアンジを見てみたら、クリームパンのラスト一欠片を口内に放り入れているところだった。

 

「深く考えたら負けだ。とりあえず弁当食え。昼休み終わるぞ」

「ふぁい」

 

 今日のお弁当のメインおかずは、野菜炒め。昨夜の残りだ。温かいうちは良かったけれど、冷めた今は、ピーマンがいつもより苦く感じた。

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