7-3

2024年 8月〇日 


「あの時は、自分でも信じられないくらい泣いてたなあ。」


 ひどく懐かしそうな声色で、彼女はそんなことを言う。その瞳の奥に、当時の景色が映っているような気がした。


「本当に、嬉しかった。それまで自分が生きてきた意味が、初めて生まれたような気がして、やっと、自分で自分を認めてあげられた。」


「まさしく、澄希さんは君にとっての救い人になったって訳か」


「ちょっと仰々しい気もするけど…いやでも、確かにあの時の私にとっては、そうだったかもしれないな」


「実際、外野から見てもあの頃から君は変わったよ。良くも悪くも、だけど。」


「え、そうだったの?」


「むしろ自覚なかったことに驚きなんだけど」


「確かに色々と隠さなくはなってたと思うけど、そこまで?」


「あくまで私視点の話ではあるけどね」


「そっかあ、私、そんなに変わってたんだ。」


「うん。なんというか、少なくとも…諦めは、無くなってたかな。」


 そう彼女に言ったところで、諦めという言葉が、自分の中でこだました。


 あの頃は、彼女が人生を諦観していて、私は何かが変わることを求めて亡夢伝承を追い続けていた。


 でも、今はどうだろう。正直、祈李君がどこまで変わっているのかはわからない。


 ただそれでも、諦めることも、成し遂げることもできないまま、今もなお叶うかすらわからない掠れた希望に縋り続ける私よりは、ずっといい人生を送っている事のだろう。


「…真那?」


 名前を呼ばれ、顔を上げる。


「え、ああ、ごめん。どうかした?」


「いや、何か急に黙ったから」


「ちょっと、考え事してた」


「そう、それならいいんだけど。まあ、それはさておき、そろそろ続き話していい?」


「あー、えっと…」


「え、駄目なの?」


「ああいや、そういうわけじゃないんだけどさ」


 私は、そのことを彼女に尋ねるか少し悩んで、それでも気になって、それを聞いた。


「続きを話す前にさ、一つ聞いてもいいかな」


「質問によるけど、何?」


「君があの時、心を許していたのは誰?」


「うーん。多分、澄希さんだけ」


「じゃあもうひとつ、信用してたのは、誰?」


「澄希さんだけ、っていうところだろうけど、もう一人いたよ」


 そういうと祈李君は、静かに私の方を指さした。


「…それはまた、ずいぶん意外な話だね」


「そうでもないよ。だって真那、私のこと助ける気なんてなかったでしょ」


「やっぱりわかってたんだ」


「そりゃあね。そんな度胸も勇気もない事は知ってたし」


「ひどい言い草だなあ」


「事実を言ってるだけだよ。それになにより、真那は、私と同じだったからさ」


「…どうしようもない、ね。確かに思ってた。だからこそ、何とかしようと思ってた。どうにか逃げ出せないかって、ひたすらに模索してた。だからあの頃の私は君に、そして何より亡夢伝承に救いを追い求めた。まあ、結果はこの通りだけどね。」


「でも、まだ諦めてないんでしょ?」


「他ならない君という前例を知ってしまったからね。希望があるかもしれないとわかったら、人間は嫌でもそれに縋ってしまう」


「それで、今でもそれを追いかけ続けてるわけだ」


「まあでも、これで最後にするつもりだよ」


「それはまたどうして?」


「なんせ、これはただの悪あがきだからね。私は、もう十分やったよ」


「そう…。って、いつの間にかずいぶん話が逸れてたね」


「どうせこんなところ使わないから平気だよ」


「そう、ならいいけど。じゃあ、そろそろ続きを話そうか」


「うん、頼むよ」


 そういうと、彼女は深呼吸をする。それもそうだ、ここまではただ幸せになっていくだけの話だったのだから、いくらでも明るく話せる。


 でも、ここから先は違う。八月の後半、夏が盛りを迎えると同時に、終わりへと向かい始める頃。苦しくって辛くって、思い出すだけでも疲れるような思い出を、自分の口で語るのだから。


「変わり始めたのは確か、お盆の初めの頃だったかな」


「ああ、確かにあの頃はひどかった」


「自分で言うのもあれだけど、そりゃあそうなるよ。ずっとずっと欲しかった存在ができちゃったんだもん。誰だって、依存したくなる」


「まあ、確かにね」


「でも、それが良くなかったんだよ。依存するってことは、その人がいなきゃダメになる。そのくせ自分自身は、何一つとして変わっていないんだからさ」


 ほんのりと嘲りが混ざったような声でそういってから、彼女は語り始める。


 それは、めでたしめでたしで眠りについた子供たちは読むことがない、御伽話の続き。


 曖昧になった原作を大人達が調べてああだこうだと語った結果、夢が夢でなくなってしまった話。実はこうだったのだと嬉々として語り、自らがかつて抱いた幻想を打ち壊していく、そんな話を。

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