―亡夢― ある町の伝承について

楼源

プロローグ

帰郷

―こんなんだったっけ。


 窓の外に流れる景色を見る。田畑と山に囲まれ、ひたすらに青々しい故郷の光景に私は、遠い少女時代への懐かしさを覚えてた。


 夢をつかもうと都会に出て数年、いつのまにかキラキラとした思いは消えて、ただ虚しくに過ぎる日々を、いつか変化があるだろうという淡い期待だけを抱えて生きていた。


 そんな私が帰郷を決意したのは、かつての黄金時代の記憶を見つけたからだった。


 「はあ…」


 散らかった衣類、捨てられていない空き缶、そして没になった資料の山に囲まれながら、今日もため息とともにヤケ酒を飲む。今回の駆けずり回って調べた内容も、結局没に終わった。


 資料を手に取る。『田舎に潜む怪異とそれにまつわる恐ろしい信仰について』わざわざ高い金出して自費で現地まで行って調べ、なかなか面白い内容(自分では)に仕上がったにもかかわらず、結果は残酷以外の何物でもなかった。

 

今までの労苦は水泡に帰し、今日も今日とて単調な事務仕事。自信も期待も消え失せて、何で記者として働いているのかもわからない。


 紙面に自分の記事が載るなんて、夢のまた夢、その前に現実すらうまくいっていない。酒を飲み干し、立ち上がってベランダへと出る。

外の景色に緑はなく、立ち並ぶ建築物と人口の明かりに埋め尽くされている。


 そんな光景を見ながらライターで火をともし、分かっていながら害のある煙を深く吸い込む。最近はずいぶんと値段も上がり、数少ない娯楽すらも奪われかけている。仕方ないとは思っていても、もうお前たちのようなものはいらないと、この社会から言われているようにも感じて嫌になる。


 ぼーっと夜風にあたっていると、通知音が聞こえた。また仕事の話かなと思いながらスマホを見ると、意外な人物からの通知だった。


 親とは大学の卒業以来、もう何年も連絡を取っていなかったため、何の用だと驚きながら内容を見ると、「コレ、処分してもいい?」という事務的な確認だった。無性に何か裏切られたような感覚を覚えつつも、送られてきた写真を確認すると、学生時代にいろいろやっていた時の資料たちだった。


 あの頃はまだ将来に眩いばかりの憧れを抱き、諦めなんて感情は浮かんですらいなかった。自分も変わったなと、自嘲気味に思いながら写真を見ていた私の手は、ある資料を見て止まった。


 『亡夢伝承なきゆめでんしょうについて』そう名付けられた資料を見て、忘れかけていた記憶が蘇る。大学三年の夏休み、地元に伝わる伝承、ひたすらにのめりこんでいた日々、輝かしい日々のその先に、一人の少女がいた。あの夏の終わりにさよならをしてそれきりだったその顔が、つい最近会ったかのように鮮明に浮かぶ。


 そうだ、あのことがあったからこそ、私は怪奇を信じようと思ったのだ。かつての思い出に縋るように、気づけば私の心は、遠く離れた故郷へと向いていた。


 そして今、その資料を受け取りに行くという建前で、バスに揺られること数時間、私は故郷へと戻った。建前といったのは、もう一つ大切な用があるからだ。


「次は終点、永和町えいわちょう


 アナウンスから少しして、人気のないバス停で車両は止まり、私はそこへと降り立った。冷房の効いた陰る車内から一転、陽光の容赦ないまぶしさと熱が私を襲う。カバンからすぐさま日傘を出し、戻ろうとするバスに背を向けて私は、目的の地へと歩き始めた。


 息を吸う。都会と田舎の空気は違うというのを、あらためて実感する。自然を通って来る風は、さわやかで心地いい感覚がする。久々のはずなのに不思議な安堵感を覚える風景の中を、噛みしめるように一歩一歩進んでいく。そうしてしばらくの故郷を懐かしんだ後、少し速足で進む。


 今回は、思い出に浸りに来たのではない。自分のため、取材のために、一人の少女を訪ねに来たのだ。


 田畑を抜け、あぜ道を抜け、家々を抜け、やっとのことで目的地へとたどり着く。 


 そこには、ほとんど人気のない林の入り口があった。入っていくと、先ほどまでの暑さとまぶしさは和らぎ、涼しい風が通り抜けていく。少し薄暗さも感じるその道を歩いた先に、彼女はいた。


 やや開けたその場所は、放置された公園のようだった。遊具などはあらず、ただ切り株がいくつか並んでいるのみ。その切り株の一つに、目を伏せ、何かを聞きいるように今回の取材の重要人である彼女【三司祈李みつかさいのり】は座っていた。


「お待たせ。」


 声をかけると、祈李君は目を開けて立ち上がり、こちらを見据える。そして、何か面影でも感じ取ったのか、少し懐かしそうな顔をして笑い、


「久しぶり、真那まな


 明るい声で、そう返した。



「思ってたよりは早かったかな」


「自分から頼んで置いて、待たせるわけにはいかないだろう?」


「昔は平気で遅刻とかするような人間だったじゃん」


「昔はね、今は違うよ」


「…確かに」


「何か含みがあった気がするんだけど」


「いや、なんかこう、色々とくたびれてる気がして」


「まあ、うん。そうかもしれない。そういう君は…少し落ち着いた?」


「そうかな」


「うん。昔よりはずっと」


 実際、かつての彼女とは違い、大人っぽくなっていた。いや、昔も落ち着いてはいたのだが、当時はもっと暗いというか、達観しているというか、ともかく、以前とは違う表情をしていた。


「それで、さっそく始める?」


「君がいいなら」


 彼女は笑って頷いた。私はカバンからボイスレコーダーを取り出し、録音を開始する。


「記録、伝承に関する取材…っと、これで良し。それじゃあ、話してもらっていい?」


「ありがとうね、わざわざ来てもらって」


「いやいや、むしろ意外だったよ、君がこっちにいるなんて」


「毎年、この時期は帰省してるんだよね」


「へえ、意外だな」


「そういうそっちは?久々っぽいけど」


「もう三年は帰って無かったかな」


「まあ、あんま思い入れなさそうだもんね」


「まあね。って、私の話はいいんだよ、それより」


「ごめんごめん。で、どこから話せばいい?」


「えっと、じゃあ、出会いからでお願い」


「わかった。確か、夏休みの始めくらいだったかな」


 そうして二人で歩きながら、彼女はその記憶を話し始めた。


 それは、今となっては、はるか遠い夏の記憶。


 祈李君と、それからもう一人。今ではもう会うことのできない少女が主役の、とある奇跡の物語。


 彼女だけが知っている、ひと夏の儚いお伽話だ。

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