第53話揺れる心、揺れる視線

 昼休みの廊下は、春の光で満ちていた。

窓の外では新緑がきらきらと揺れ、遠くから運動部の掛け声が聞こえる。

その眩しさとは裏腹に、私の胸の奥は重たかった。


小田くんからの告白は、もう終わったこと。

あのとき、私は少し俯いて、ためらいながら言った。

「ありがとう。でも、ごめんなさい」

そう答える自分の声が、まだ耳に残っている。


……なのに、湊が言った「そっか」という短い返事が、どうしても心から離れない。

いつもと同じような声なのに、あのときだけはほんの少し、温度が低く感じたから。


「詩?」


後ろから声をかけられて振り向くと、美羽が立っていた。

窓の光を背に受けて、制服のスカートを揺らしながら、柔らかく笑っている。

彼女は、真央と同じくらい気さくな友達だ。


「なんか元気ないじゃん。大丈夫?」


「……うん、大丈夫だよ」


「ほんとかなぁ。湊くんと何かあったとか?」


「な、なんでそう思うの?」


美羽は人差し指を唇にあてて、わざとらしく目を細めてくる。


「だってさ、最近ふたりとも、ちょっとぎこちない感じするんだもん。

前まではもっと自然だったでしょ? 休み時間とかも、よく話してたし」


「……そう見える?」


「見えるよー。周りだって気づいてるって」


美羽の言葉に、私は笑ってみせたけれど、その笑顔は自分でもぎこちないとわかった。

心の中にあるもやもやを、誰かに話したくてたまらないのに、

言葉にしようとすると、喉の奥がつかえる。

――これが、好きって気持ちのせいなのかな。

そんなことを、ふと考えてしまう。


「大丈夫だから」

そう言った私に、美羽は「ならいいけど」と優しく頷き、肩を軽く叩いてから去っていった。



放課後。

黒板の掃除を終えて、誰もいなくなった教室で、私はひとり窓の外を見ていた。

オレンジ色に染まりつつある夕日が、グラウンドの鉄棒を照らす。

ふわりと入ってくる風に、カーテンがひとすじ揺れた。


……私、あのときちゃんと断ったよね。

それなのに、湊のことが気になって、こんなにも落ち着かない。

どうしてだろう。どうして、彼のひと言が、こんなに胸をざわつかせるんだろう。


「……詩」


突然背後から呼ばれて、体がびくりと震えた。

振り向くと、湊が教室の入り口に立っていた。


片手をポケットに入れ、もう片方の手でカーテンをつまむように触れている。

その仕草が、どこか落ち着かない様子を物語っていた。

湊は小さく息を吐き、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「さっき……小田のこと、ほんとに断ったんだな」


その声は低く、でも優しさが混じっていて、私の胸を掴んだ。


「……うん」


湊は一度だけ視線を床に落とし、すぐに私を見た。

いつもの無表情に近い顔なのに、どこか目の奥が揺れている。


「そっか。……ごめん、オレ、変なこと聞いて」


「ううん。ちゃんと言いたかったから」


湊はそれを聞いて、わずかに口元を緩めた。

でも、その笑顔の端に、どこか影がさしたように見えた。


教室の時計がカチリと鳴り、夕方のチャイムが響く。

静かで、どこかやさしい音が二人の間を流れた。


湊は窓の外に目をやりながら、小さくつぶやく。


「オレ、誰かに取られたらどうしようって……考えてた。

でも、そんなこと思う資格あるのか、自分でもわかんなくてさ」


――資格なんて、そんなもの、必要なのかな。

私の胸が熱くなる。

湊がそんなことを考えていたなんて、思いもしなかった。


「……湊」


名前を呼ぶと、彼はわずかに目を見開いて、照れ隠しのように後ろ髪をかいた。


「……あ、いや、忘れて。なんか、変なこと言ったな」


湊は視線をそらし、窓枠に手を置いたまま、指先で軽くとんとんとリズムを刻んだ。

それが、いつもの湊の癖だと気づくと、なぜか胸がいっぱいになる。


私は何かを言いたくて唇を開いたけれど、言葉は喉で止まった。


――「好き」って言ったら、全部が変わってしまう気がする。

――でも、言わなかったら、この距離は埋まらないまま。


夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばす。

カーテンがまた揺れ、ひとすじの風が二人の間をすり抜けた。


その風の柔らかさに、ふたりの距離が、ほんの少しだけ近づいた気がした。

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