第26話すこし、手がふれる距離で

その日は、生徒会からの依頼で、教室掲示用の資料を印刷しに行くことになった。

たまたま時間が空いていた湊と一緒に、印刷室に向かう。


「こっち、持つよ」

湊が自然に私の分まで資料を手に取った。


「ありがとう。でも、これくらいなら……」


「いいって。詩、無理しすぎるとすぐ顔に出るから」


「……そんなに顔に出てる?」


「出てる」


くすりと笑う湊の横顔が、少しだけ大人びて見えた。

思わず、胸がきゅっと鳴った気がした。


印刷室は静かで、機械の音だけが控えめに響いていた。


資料を取り出して、ふたり並んでホチキスで留めていると、

ふとした拍子に、私の指と湊の手が触れた。


「……あ、ごめん」


「いや、俺の方こそ」


その瞬間、ほんの一秒。

だけど、私の心臓は一気に跳ねた。


手の温度が、まだ指先に残っている。

言葉がうまく出てこなくて、私は思わず資料に目を落とした。


「詩って、昔から変わらないよな」

不意に湊が、ぽつりとこぼした。


「え?」


「頑張りすぎるとこ。真面目すぎるとこ。あと……」


「あと?」


「たまに顔に出るくせに、平気なふりするところ」


私は照れくさくなって、下を向いた。

心のどこかで、「見ててくれたんだ」って、少しだけ嬉しかった。


「詩はさ、言いたいこと、言えないタイプだろ」


「……なんで分かるの」


「そりゃ、幼なじみだからな」


“幼なじみ”その言葉が、どこか引っかかった。


(もう、その言葉だけで片づけないで)


けれどそれを口にする勇気は、まだ持てなくて。


「……ありがと。湊」


そう言っただけで、精一杯だった。


その日の空は澄んでいて、

教室に戻る途中、吹き抜けた風が、少しだけ春の匂いを運んできた。


“手がふれた”あの瞬間が、

私の心の中に、そっと残っていた。

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