第25話「座標」
■2023年7月31日 23:00 ブレインランド・プロモーション/社長室
7月31日の午後11時を少し回った頃、細川は美喜雄、エリーの二人と共に、ブレインランド・プロモーションの二代目社長・大泉京子と対峙していた。
細川はニシユルの集団自殺事件と人工知能Ishtarの関連性について、自分たちが何らかの確信に迫りつつあることを仄めかしながら京子の出方を窺った。
そして、京子が細川たちに見せた態度や反応は、松浦亜聖が自信を持って語っていた「精度の高い勘」が、仮説や疑惑以上の何かであることを示唆していた。
細川はIshtarの直近1年分のログデータが入ったSSDを手渡すことを条件に、宝田舞の居場所について、京子から聞き出そうとしていた。
「細川さん、宝田舞は本当にあなたのことだけは覚えていると言うのね…それならいいわ。彼女がどこにいるか教えてあげる。その代わり、それはこっちに渡してもらう」
細川は静かに頷きながら京子にSSDを差し出した。
京子は指で摘まんだSSDを忌々しげに眺めた後、スマホを取り出して画面を操作しながら「36°22’42…」と、唐突に数値を読み上げ始めた。
「彼女はそこにいる。葉月さんと一緒に」
「…どういうことでしょうか」
戸惑う細川をよそに、美喜雄は自分のスマホに京子の読み上げた数値を入力していた。
「GPSの座標ですね。長野県と群馬県の県境近くの山の中です。航空写真で見ると病院のような施設が確認できます」
「そこはもともと父が所有していた私有地なの。今はブレインランド名義になっているけど。細川さん、PICPって聞いたことない?」
「ピーアイシーピー…何でしょう。わかりません」
「そう、まあいいわ。宝田舞は今、そこにいます」
細川は京子に尋ねた。
「マイマイを治療するために、その施設へ連れて行ったんですか?」
「そこは病院じゃないの。どちらかと言えば学校と言った方が近いかもしれない。今はただの空き家だけど、昔はアイドル養成所として使っていたらしいの」
「アイドル養成所? そんなものが長野の山の中に? 聞いたこともないです…」
京子はタバコを吸いながら続けた。
「もうずっと前の話よ。1990年代に父が作ったものらしいけど、すぐに放棄してしまったみたい。ちょっと不便すぎるものね、長野の山の中では」
件のSSDを手に入れ、細川から「Ishtarのことについては忘れる」という言質を得たこともあってか、京子の様子に先ほどまでの動揺はなく、すっかり落ち着き払っていた。ただ、それだけの理由でここまで饒舌になるだろうか。美喜雄は妙な違和感を感じていた。
「ますます分かりません。そんなところにマイマイを連れていって何を…」
「あそこにはちょっとした野外ステージがあるの。そこであの子に最後のライブをしてもらうの。ライブといっても観客は入れずにWebで生配信をするだけ。彼女の体調も万全ではないから、せいぜい2、3曲だと思うけど」
今度は細川が取り乱した。
「ライブ? 本気ですか? あの子が今、どんな状態なのか、あなた方もよく知っているはずです…冗談はよしてください」
京子は細川を小馬鹿にするように笑った。
「あなたが言ったように今のブレインランドは火の車よ。会社を何とかするためにはこれしか手段がない。ただね、今回の件は単純なビジネスの話だけじゃないの。本心ではなかったかもしれないけど、確かに彼女たちは “伝説になります” という言葉を残してこの世を去った。私も彼女たちの物語にピリオドをつけてあげたいし、本当に伝説になってもらいたいと思ってる。そのためには、生き残った宝田舞に…西新宿ゆるふわ組名義で最後のライブをやってもらう必要があるの」
細川は静かに言った。
「それも、Ishtarの指示ですか」
「アレは関係ない。でもね、私たちは本気でやってる。だから宝田舞をあそこへ行かせた」
美喜雄が京子に聞いた。
「そのライブは、西新宿ゆるふわ組名義でのラストライブは…いつ行うんですか」
「明日よ。スピードが大切なの」
明日は8月1日。翌日の8月2日は2年前に宝田舞がニシユルに正式加入した記念日となる。Ishtarが7月31日に次いで活動停止を提案した日付だ。やはり、ブレインランドと大泉京子は今でもIshtarの意思決定に従っている。そして、8月1日のライブが終わった後、宝田舞に何らかの危険がおよぶ可能性が高い。美喜雄の背筋に冷たいものが流れた。
美喜雄は続けて京子に尋ねた。
「今日の夕方頃まで、宝田舞は私の後輩である南野陽康と一緒にいたはずです。高校2年生です。彼も今、そこにいるのでしょうか」
「知らない。葉月さんからはそんな話は聞いてないわ」
嘘だ。美喜雄は口まで出かけた言葉をグッと飲み込んだ。冬美の話によれば、南野と舞は秋葉原のメイド喫茶を一緒に出たという。その後、二人は行動を共にしているに違いなかった。いくら南野が舞のアンチであったとしても、今の彼女を一人にするようなタイプの人間ではない。
「さあ、宝田舞の居場所は教えたわ。明日の朝一番にでも会いに行ってあげたらどうかしら。今の彼女はあなたのことしか覚えていないのだから」
京子は宝田舞と細川を会わせたがっている。二人を会わせることで、舞の記憶を刺激したいと考えているのかもしれない。
「細川さん、それと後ろの二人にも言っておくわ。Ishtarの件、宝田舞の件、長野の養成所の件、明日のライブの件、すべて他言無用よ。もし、この話が漏れるようなことがあれば…」
細川が京子の言葉を遮って言った。
「わかっています。私が入院中のマイマイを誘拐したことは事実ですから」
「ちょっと待ってよ! 私は関係ない。私は巻き込まれてるだけなんだけど」
これまでの話に一切反応しなかったエリーが、今になって声を上げた。
「あら、あなた…どこかで見たことがあるわね」
京子がエリーの顔をまじまじと見ながら記憶を探っている。
エリーは顔を伏せながら呟いた。
「何言ってんだか…私、おばさんのこと知らないし」
エリーに「おばさん」と言われ、京子は明らかにムッとしていた。
「はいはい思い出したわ。あなた、松浦亜聖さんのお孫さんね?」
祖父の名前を出されたエリーは反射的に京子を睨み返していたが、それ以上は何も言わなかった。
「あなたも大変だったでしょうね。わかるのよ。私の父もアイドルオタクだったから。まあ、いい年をした大人たちをオタクなんて言葉では片付けたくないわね。あの人たちは…ただのロリコンの変態よ」
細川が京子に意見した。
「お父様のことをそんな風に言わないでください。私は京太郎社長にどれほどお世話になったかわかりません。アイドルへの接し方、プロデュース、マネジメント…仕事のことはもちろんですが、人としての生き方も教えていただいたと思っています」
「あの男が “人としての生き方” なんてものを語ってたとしたら悪い冗談だわ。ハハハハッ」
京子の顔は怒りに満ち満ちていたが、声だけで笑っていた。
「まあいいわ。それよりあなたたち、さっさと長野に行く準備をしたほうがいんじゃない? ああ、それから、そこのロン毛のお兄さんね」
京子は美喜雄に向かって顎をしゃくりながら言った。
「あなたはさっき、私たちがあの子たちを殺したような言い方をしてたけど、そんなのは小学生の妄想レベルよ」
細川、美喜雄、エリーの三人がブレインランドの社長室を後にしたのは、8月1日の午前0時過ぎだった。
三人は細川が運転する車に乗り、一先ずエリーを送り届けるべく、彼女の実家がある練馬へと向かっていた。
「マイマイの居場所もわかったし、いろいろなことが明らかなになりそうです。藤本君のお陰です。本当ありがとうございます」
「やめてください。でも、あんな適当な芝居が上手くいくとは思いませんでした。SSDに入っているデータなんてバックアップが取ってあって当然なのに。そんな話に乗ってくるなんて…」
「京子社長も余裕がないんだと思います。あの人が独りでいるときに話せて良かったです。周りにブレーンが一人でもいたら、こんな滅茶苦茶なやり方は通用しなかったと思います。興行中止保険の件もほぼほぼハッタリですし」
「でも、彼女が宝田舞の居場所を我々に話したのは、単にSSDが欲しかったからだけでなく、細川さんを彼女に会わせたかったからですよ」
「そういうことになるでしょうね。何にしても正気とは思えません」
「それと…南野とはまだ連絡が取れません。恐らくは宝田舞と一緒に長野に連れて行かれたかと」
「南野君のことも心配です。明日、朝一で長野に向かいましょう」
気だるそうな声を発し、エリーが二人の会話に割って入った。
「ちょっといいかな…」
美喜雄が後部座席を振り返って言った。
「どうした羽田。君も一緒に行きたいのか? ただ、これ以上に君を巻き込むわけには…」
「行くわけないでしょクソロン毛! これ以上あなたたちに付き合ってられないわよ!」
「じゃあ何だ?」
エリーは溜息を吐いてから返答した。
「練馬じゃなくて、前田の家に送ってもらえない?」
「そうか…前田さんと君はそういうアレだったか。さっきは随分嫌がっているようにも見えたが」
エリーは後部座席から美喜雄の乗る助手席の後ろをバンバン蹴り飛ばした。
「そんなわけないでしょ! あんなクソ野郎、死んでもごめんよ!」
三人が社長室を去った後、京子は電話を掛けていた。
「細川文雄がそっちに向かうわ…ええ、とりあえず丁重に迎えてあげて。あの子、細川のことだけは覚えてるらしいの…ええ、そうよ。記憶の回復に役立つかもしれない…手間をかけさせて申し訳ないけどよろしくね」
電話を切った後、京子は静かになった社長室でビールを飲みながら独りごちた。
「ロリコンの執着に比べたら、人工知能なんてかわいいものね」
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