第5話涙

 翌朝、リベルタの医務室にミスティアの姿はなかった。つまりまだ産まれていないということだろう。いつも受付で業務をしている副隊長のクロッカスがシエル家の屋敷に行くように、とミスティアからの言付けを預かっていた。荷物を医務室に置いてシエル家の屋敷を訪れた。寝室をノックしてドアを開けると、寝台には昨日よりは疲弊している奥方と、その手を握るミスティア、そしてそわそわと見守る隊長の姿があった。


「おはようございます」


「おはようオリバーさん」


 奥方の元を離れ、部屋を出たミスティアといつもと変わらぬ挨拶を交わす。しかしその表情には少し疲労が見える。きっとほとんど寝ていないのだろう。やはり押し通して残れば良かった。そんなことを考えてると入ってきた玄関が再び開いた。


「ユリウスさん!」


 いち早く反応したのはミスティアで、嬉しそうに声を上げた。久方ぶりにこちらに顔を出したユリウスは後ろにレンを従えている。


「ジルバから奥方が破水したと連絡をもらった。どうだ様子は?」


「やっぱり前のお産が昔過ぎて初産と変わらないくらいかかるだろうって産婆さんは言ってました。一晩で大分進んだと思うんでお昼頃には生まれると思ってます」


 お腹の子も元気ですと付け加えた。


「そうか。今日は医務室に詰めるからミスティアは気兼ねなく奥方の側に。レンはこっちの方がいいだろ」


「ま、男どもがいるよりかね」


 ニコッと笑ったレンが軽い口調で言い放った。


「ありがとうございます。レンさんもよろしくお願いします」


 早々に女二人で部屋に引っ込んで行くのを追いかけようとすると、急に首根っこを押さえられた。


「お前はこっちだ実習生」


 首が締まって喉が痛い。ユリウスは冷めた薄茶の瞳を向けた。


「え、でも指導医は……」


「国立診療所じゃ指導医は日毎に変わる。今日は俺が指導医だ。男のお前がいても役立たずにしかならん」


 俺は人使いが荒いから覚悟しとけよ、と吐き捨ててさっさと玄関へと行ってしまった。あまりの事態にすぐには飲み込めず立ち竦む。ユリウスのさっさと来いと言う怒声に覚醒して大慌てで追いかけた。





 気がつけば昼になっていた。しかしまだ昼だと言うのに1日、いや2日リベルタに居たような疲労感を覚える。


 人使いが荒いと自ら宣言したあの男は荒いところではなかった。薬草の選別ひとつにしても遅い、教本なんか開くな覚えておけと檄を飛ばした。他にも資料室からあの本を持ってこいだの、町の住民の誰それがそろそろ薬がなくなるかもしれないから聞いてこいだの、立ち止まっている暇がない。


 調薬を任されていたことを伝えて調薬を始めると、お前がやるのは10年早いと場所を奪われ、その代わり常備している薬草の残量を計るように指示される。極めつけは持ってこいと言われた資料室の本を差し出して「今日中にレグルス近郊で採れる薬草の名前と特徴、効能などを暗記しろ」ときた。


 確かに調薬はミスティアの言っていた通りとても早かった。いつもは午前いっぱいはかかる調薬が2時間ほどで終わってしまう。途中、母親に連れられて怪我をした子どもがやってきてその処置も行った。そうしてそれらが終わるとユリウスも向かい合って薬草の選別を始めた。


 無言で片していくそのスピードはかなり早い。もともとここで長年やってきたのだ、それくらいできるのだろう。


「これが終わってレンから知らせが無ければしばらく待機だ。さっき渡した本を読み込んでおくんだな」


「あなたは……」


「俺はもう一度出産に関する記述を読み返す」


 もう産婆は来ているし、医者の出る幕はない。ミスティアの優しさは美しく素晴らしいものだが、適材適所がある。ミスティアは医者だ。産婆ではない。こうして出産に関わることは産婆の仕事を奪うことになるのではないか。


「産婆がいれば大丈夫でしょう」


「お前、お産に立ち会ったことがあるか?」


 顔を上げたユリウスが真剣な面持ちでこちらを見た。弟がいて、その時にその場に居たのか居てないのかもう覚えていない。


「俺は3度だけある。お産に呼ばれるのはまず産婆だ。医者じゃない。それなのに俺が呼ばれるということは


 また目線を薬草の山に移してまるで仇のように茎から葉をブチブチと千切っていく。


「1人目は産まれた子の首に臍の緒が巻き付いていた。産声を上げなくて、俺が呼ばれた。なんとか処置をして産声を上げたけど3日後に死んだ。2人目は逆子だった。これも産声を上げなくてそれでそのまま死んでいった。3人目は無事産まれたが、母親の出血が止まらなくて呼ばれた。何から何まで血だらけで結局止血もできずに母親は死んだよ」


 苦い顔をして目の前を睨む。


「未だに医学学校も国立診療所も出産を産婆に任せきっている。だが、これを医療と言わずになんだと言うんだ」


「そうだとしてもそういう産婦もいるってことじゃ――」


「みんな出産を経験した産婦達だったよ。特に最後の母親は6人目だ。本人も馴れたものだって言ってたのにこれだ。――もう手の施し様がないと告げたときの、産声と母親を亡くして悲しむ上の子たちの泣き声が俺は忘れられない」


 ユリウスは黙り込んだ。押さえ込んだ怒りを噛み砕いているように見えた。そうだとしても産婆にできることを何故医師がする必要があるのかは理解できない。


 怪我や病は医者の領分だ。しかし妊娠出産はそうではない。女体が子を宿し十月十日育て、産むという言わば生理現象のものなのだ。それに目の前の医者は男で、逆立ちしても産婦のことなど分かりはしない。そんなことに時間を費やすのであれば薬草の新しい配合などを考え、実用化する方がよっぽど有意義だ。






 リベルタの医務室にシエル家の使用人が飛び込んで来たのはそれから幾ばくもしないうちだった。ユリウスは走って行き後を追う。シエル家の屋敷に着くと、隊長が部屋の前でやきもきして立っていた。閉ざされた部屋からは痛みに悶える声と励ます声が入り乱れる。


「ジルバ! どうだ様子は?」


「もう生まれるからって追い出された」


 ほら見ろ、結局男は入れない。お産のことを知ろうと思ってもこうなるから無駄だ。


「そうか。大丈夫だ。奥方様は2人も産んだ経験があるし、心配するな。何かあっても俺とミスティアが対処する」


 それからしばらく誰も喋らなかった。隊長はそわそわした様子で頭を掻き回したり、その場を歩き回ったりしていた。ユリウスはというと持ってきていた診療バッグを開いて中身を整理していたが、それもすぐに終わり、じっと扉を睨んで時を待った。


 そしてか細いがしっかりとした産声と共におめでとう、おめでとうと沢山の声が響いた。


「産まれた……」


 震える声で隊長が漏らし、扉を開けようとするが、ユリウスに押さえられる。


「まだ処置があるはずだ。呼ばれるのを待て」


 それから少しして薄く扉が開いた。開けたのはミスティアだった。白衣が少し血で汚れている。優しく笑って扉を開け放った。


「おめでとう、元気な男の子だよ」


 ミスティアが言葉とともに身体をずらすと、奥の寝台に埋まる奥方が変わらずそこにいて、その胸に覆い被さる小さな塊があった。レンはその足元でまだ処置を続けているのか産婆と共に忙しく動いている。


「ジルバ」


 しっとりと汗に濡れた顔を綻ばせて奥方が優しく呼ぶと隊長はすぐに駆け寄った。遠目からはよく見えないが、血と白いカスに塗れ、皺が目立つそれは可愛らしさとはほど遠い。


「ちいさいし可愛いなぁ」


 隊長の目にはそう映るらしく、大きな手が布に包まれた赤子を撫でた。


なんだ、全然大丈夫じゃないか。


 ユリウスの脅し文句もあってどんなものになるかと思ったが、母子ともに元気で、今も会話を楽しんでいる。やっぱりそんな大変なものじゃない。ユリウスの話した産婦も日頃の行いが悪かったからそんな事態に見舞われたんだろう。


「とっても上手に産まれてきました。奥方様も赤ちゃんもとても頑張りましたね」


 ミスティアがジルバの隣に膝をついて再び奥方の手を握った。


「ありがとうミスティアあなたが傍にいてくれて本当に良かったわ」


「いえ……」


 俯いたミスティアが空いたもう片方の手で頬を拭う。涙だった。


「良かった……もし、何かあったらどうしようってでも本当に良かった」


 緊張の糸が切れたのだろう溢れる涙を拭う姿が美しい。しかしその涙もすぐに止まり、小さく息を吐き出した。


「ジルバさん抱っこしてみる?」


「え……」


 隣の隊長にミスティアが笑いかけた。それに恐れ戦いたように立ち上がった隊長がミスティアと生まれたばかりの赤子を交互に見た。


「そうだよジルバ抱っこしないと。兄ちゃんなんだから」


 ユリウスと話をしていたレンが同じように笑ってそう言った。


「もう少し処置があるし、赤ちゃんを抱っこする人が必要なの。いいですか、奥方様」


「勿論よ。ほら、お兄ちゃんの方に行ってきなさい」


 和気あいあいと生まれたての子を挟んで会話が進む。奥方の胸の上から抱き上げられた赤子は一旦ミスティアの腕の中へ、すっぽりと埋まったそれをミスティアが優しくあやす。きっと彼女なら素晴らしい母親になると、その表情を見て感じた。彼女には生まれ持った母性がある。


 思い描いた未来を先取りした光景がそこにはあった。



おまけ

「はいじゃあどうぞ」


 簡単にそう言ったがこっちは生まれたてのふにゃふにゃの赤子なんて抱いた経験がない。持てる知識をフル稼働させてとにかく落とさない、首を支えるを徹底しないと、と持った結果、首の下と尻の下に手を置いてそのまま固まってしまった。思った以上に小さく、ずっしりと重く、そして温かく柔らかかった。


「ここからどうしたらいい」


 ミスティアは腕でちゃんと首を支えてそのまま身体全体をすっぽり腕の中に納めていた。


「おいここから」


「あははっ! ジルバを初めて抱っこした時のレオと一緒!」


 久々に聞いた母さんの笑い声よりも今の状況だ。ミスティアもじっと見たまま動かない。


「ふぇ」


 小さな声にひゅっと息が詰まる。そしてまだまだか細い声で泣き始めた。弟がまだ動き辛い手足を震わせて力強く泣いた。


「まっミスティア!」


 もう悲鳴と変わらない声が出た。後にミスティアは「あまりに初めて抱く抱っこだったので面白くてもう少し見たかった」と語った。

 

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