第4話翻弄

 実習が始まって1週間、1週間のうち1日は休日、1日は学校に行かなければならないので実質5日ミスティアと一緒にいる。


 これだけいればある程度のことは把握することができた。


 分かったことはリベルタは医学学校以上にバカが多いと言うことだ。多くは小学を出て働くので当たり前かもしれないが、そんな基礎的な知識があるのかと問いたくなるような者が多い。一番驚いたのは何でも賭博にする連中だ。こいつらは毎日振る舞われる昼食のスープの中身でも賭けていて流石に呆れ返った。


 上層部になるに連れて知的な会話ができる者もいるが、大多数はそんな感じだ。


 またミスティアを目当てに医務室に来る男も多いことがよく分かった。ほんのちょっと枝に引っ掻けて怪我したや転んだなんかで治療に来る男が多い。実際、ミスティアがいない時にやってきた男はミスティアが不在と分かると唾付けとけば治ると言ってさっさと去ってしまったのだ。


 本当に環境が悪い。ミスティアは今までどうやってこんな男どもを躱してきたのかと頭を抱えたくなる。守らなくてはならない。ミスティアは俺以外の奴が触れることは許されない。


 ミスティアとは空き時間に他愛もない話をいくつかした。両親はリベルタの隊員で仕事で東の国で暮らしていたこと。その両親は昨年不慮の事故で亡くなったこと、そのいざこざでルスキニア医学学校を退学することになったこと。宛もなくなったミスティアだったが、ルスキニア医学学校の校長とリベルタ前隊長レオの配慮によりレグルス国立医学学校への編入が認められた。


 何故ミスティアがこんなところで医者をしているのか分かった。きっと彼女なりの恩返しのつもりなのだろう。実際ミスティアの卒業時、何故国立診療所ではなく、リベルタの医務室を選んだのかと学校中が真相を噂した。真実はこんな陳腐なものなのだ。しかし彼女ほど優秀な医者がこんな場末の医務室で終わるのはかなりの不利益だ。やはりどうにかして今からでも国立診療所、いや頭の固い奴らの巣窟ではミスティアは忌避されるだろう。何より男が多すぎる。いっそ俺が開業してそこで腕を振るって貰うのもいい。


 そんなことを考えてると、ノックもなにもなしに誰かが入ってきた。ミスティアは往診に行っていて今はここにいない。代わりに頼まれた薬草の選別を黙々と行っていたところだった。


「誰、だ――?」


 それは子どもだった。痩せっぽっちの金髪のハーフエルフで、麻のシャツとズボンから覗く四肢は細く弱々しい。表情乏しく入ってきたかと思ったら当たり前のように椅子に腰かけた。


 窓の外、林の中にミスティアも寝泊まりするという託児所があり、そこの子ども達が遊んでいて怪我しただのなんだのでよく医務室を訪れる。またそれかと少年を見るがざっと見たところ血が滲むところはない。


 迷子か、患者かそれともただ遊びに来ただけか。本当にただ遊びに来るだけの時もあって、ミスティアは手が空いていたらそれを快く受け入れたし、なんなら勉強の面倒まで見ていたりした。だからって俺は子どもの遊び相手なんて死んでもごめんだ。


「お前と話すつもりないから別に話さなくていいよ」


 出ていくようにと喉まで出かかったのに、先に先手を打たれて黙り込んだ。まだ声変わりもしていない高い声には似つかわしくない言葉に苛立つ。


 子どもは嫌いだ。うるさいし、何もできないくせに分かったようなことを言う。


「怪我してるのか? それとも具合が悪い?」


 そうは思いながらも声をかける。これで何も無いなら本当に追い出せる。少年は何も答えないかわりにふっと鼻で笑った。その態度がとにかく気に食わなかった。


「何も無いなら出て行くんだな。ここは遊び場じゃない」


「女に鼻の下伸ばしてる奴に言われる筋合いはないね。それにお前に用はない」


「なんだと――っ」


 ミスティアに対する神聖な想いを、リベルタにいるバカどもと同じにされ感情が逆流する。少年は変わらず涼しい顔でこちらを見つめていた。


「ただいま、あらセレウスどうしたの」


 ミスティアが戻り、吐き出されそうになっていた言葉を一気に飲み込んだ。


に用があったから来ただけ」


 優しい言葉にセレウスと呼ばれた少年は変わらない口調で返す。子どもの言葉に耳を疑った。


「オリバーさん紹介するわ。弟のセレウスよ。――セレウス、ちゃんと挨拶した?」


「僕は姉さんに用があって、には用がないからいらないだろ」


「またそういう口の悪いこと言う!」


「だって僕こいつ嫌いだし」


 あまりの言葉に開いた口が塞がらない。


「あのね、初対面の人に――「別に嘘つく必要ないだろ。ずーっといる訳じゃないんだし、僕がこいつを嫌って姉さんはなんか困るの?」


「そういう問題じゃないでしょ!」


 こんなに怒ってるミスティアを見るのは初めてだ。しかしそれも慣れたものなのかミスティアの弟は椅子から飛び降りる。


「困るのは姉さんだし、勝手にしたら。――あと今日はもうリベルタにいた方がいい」


 それだけ言い残すとさっさと去ってしまった。


「あの子ったら……本当にごめんなさい。反抗期なのか最近ほんと口が悪くて……」


「いや……」


 またあとで叱らないと、とミスティアがぼやく。見た目も性格も全く真逆だ。あんな憎まれ口を叩くが、美しく優しい姉が俺に捕られることが嫌なんだろう。いけ好かない子どもだがそれでもミスティアの弟だ。将来のことを考えると仲が良いに越したことはない。まだ子どもだ、そのうち分かるだろう。


「変わりはない?」


「あぁ、調薬も終わったし」


 テーブルの上に並べた分包をちらりと見る。選別は話しながらもできるが、調薬はそうはいかない。往診に行けない分、その間に調薬を素早く終わらせて帰ってきたミスティアと仕事をしながら話をするのが日課になっていた。


「……ありがとう。じゃあもう少しここで選別してて貰える? 弟と話してくるわ」


 まさかの言葉に笑顔が消えそうになった。


「私も忙しくてあの子に構ってあげられてないし……。放っておいたらときどきとんでもないことをしようとするから」


 放っておいたらいいだろう! 心の底からそう思い、それが飛び出そうとしていた。あのガキ、用とはそれだったのか。俺が嫌いだからこうして俺とミスティアの時間を奪おうと言うのか!


「じゃあよろしくね」


 こちらの答えを待たずにミスティアが医務室から出ようとしたとき、勢いよく走ってきた男にぶつかりかけた。短く悲鳴を上げたミスティアはよろけて転びかける。慌てて肩を抱いた。


「ミスティアさん! あぁ、良かった! リベルタにいて……っ」


 それは血相を変えたシエル家の使用人だった。


「奥方様が産気付かれて! 今、他の者がジルバ様とあと産婆を呼びに言ってるんですが、その水が――」


「落ち着いて! どんなご様子? すぐに向かうわ」


「破水してそれから急に陣痛が来たみたいで……」


 それだけ聞くとミスティアは焦る使用人の手を取った。


「ありがとう。準備をしてすぐに向かいます。あなたは先に戻ってお湯と清潔な布を用意して」


「分かりました!」


 風のように走って消えていった使用人を見送るとミスティアはすぐさま往診のバッグを整え始めた。薬草や止血用の綿をありったけ詰めると立ち上がった。




 ミスティアと共にシエル家の屋敷に着くと、使用人達が慌ただしく動き、以前診察した奥方の寝室を行ったり来たりしていた。


 しかし部屋に入ると拍子抜けで、奥方はまだまだ痛みを感じさせぬ様子で寝台に横たわっていた。


「破水されたと聞きました。陣痛の間隔はどうですか?」


「まだそんなに痛くないの。ごめんね、みんなが慌てちゃって」


「いいえ、大丈夫です。私もついてますから。安心してお産を迎えましょう」


 この様子であれば出産も滞りなく終わるのではないか。出産は凄まじい痛みに耐える必要があると聞いていたが、奥方はそんな様子を見せない。それどころかまだ和やかに笑ってさえいるのだから大丈夫だろう。


「母さんの様子は!?」


 この慌ただしい様相にさらにもうひとり加わった。隊長も戻ってきたらしい。走ってきたのか汗を額に浮かべていて、息を切らしていた。


「ジルバ」


 優しく声をかけた奥方に隊長は少し固まると息を吐き出した。


「なんだ、もう生まれるのかと……」


「まだまだ。ごめんなさいね、みんな大慌てしちゃって。リベルタに戻ってくれてもいいよ」


 隊長は乱れた髪をかきあげると部屋に入って寝台に埋まった奥方の傍で膝をついた。


「いや、一緒にいる。きっと、そうすると思うから」


 そう言うと隊長は奥方の肚に優しく手を添えた。


「兄ちゃんは楽しみなんだ。元気に生まれてくるんだぞ」


 その様子にミスティアが微笑んだ。本当に優しい笑みだった。


「じゃあちょっと診察するから出ていって貰える? 終わったらまた呼ぶから」


 その一言に隊長は立ち上がると素直に部屋を出た。ミスティアと奥方だけになり、扉が閉められる。隊長は本当にずっといるつもりなのか扉の前で並んでミスティアの許しを二人して待った。


 凛々しい横顔に目の前を見据える姿を横目で見た。医学学校でもよく噂されていた。リベルタの若き隊長の容姿の良さ、それに薬草採集の授業では街の外へ繰り出すのにリベルタの護衛が付くので話したことのある者も多く、その気さくさは女どもの間では有名だった。きっと女なんて困ることもない人生を送ってきたんだろう。家柄も良く、何不自由もない。ただ顔が良いと言うだけで差が出るのは不公平じゃないかとすら思う。


「すまないな。もう今日は終わりの時間だろ。ミスティアには伝えておくから帰ってもいいんだぞ」


 突然声をかけられ思わず目を背けた。


「あ、いえ、大丈夫です」


 ミスティアと挨拶をせずに帰るなどできない。それにこれはチャンスではないか。出産に人手が必要だから残って欲しいとお願いされるはずだ。それを聞かずして帰るなどできない。


「隊長はミスティアとただの幼馴染みなんですね」


「……あぁ、ミスティアから聞いたのか。そうだな」


 頭をかき乱す隊長は少し困ったような顔をした。


「ほんの数回遊んだだけだ。ミスティアの両親は国外にいることも多かったし、ミスティアとはルスキニアに入ってからは会ってない。それに――「お待たせ、入ってもいいよ」


 ミスティアが扉から顔を出した。それに二人して振り返る。


「ありがとう。どうだ具合は?」


「破水してるけど、そんなに多く羊水は出てないし、陣痛の感覚もまだまだだから、ジルバさん仕事が残ってるならリベルタに戻っても大丈夫だよ。多分半日から1日は掛かると思う」


「そんなに掛かるのか!?」


 ミスティアは頷いた。加えて奥方の「そうよ、戻りなさい」としっかりとした声に隊長は唸りながらも考える。


「いや、書類仕事ならここでもできる。それにミスティアはここに詰めるんだろ? 食事とかは」


「ジルバさんの料理は食べたくないよ、美味しくないから」


 幼馴染みらしい、いかにも歯に衣着せぬ言葉に思わず吹き出しそうになった。隊長は少しは上手くなったんだぞと口を尖らせる。


「生焼けがちゃんと焼けるようになったくらいじゃない。私が何度も教えてやっと!」


 トドメを刺されたのか隊長は肩を落として黙り込んだ。それを放ってミスティアがこちらを見た。


「ごめんねオリバーさん、もう時間過ぎちゃってるね。また明日ね」


「俺も残った方がいいか?」


 さまざまな想いが巡る。好きな女と夜を明かす。これだけで心が高鳴った。


「大丈夫。ジルバさんもここにいてくれるみたいだし、実習生が夜間の実習をすることは禁じられてるでしょ? また明日」


 それだけ言うと気落ちしてる隊長の方へ向く。所詮まだ実習生の身だと痛感する。ミスティアは優しく笑って隊長と会話を続けているが、それが憎たらしい。やっぱりミスティアには想い人がいる立場で他の男と仲睦まじくしないと教え込まなければならない。


 気分が沈み込む。奥ゆかしいミスティアはこちらが何か言おうとのらりくらりと躱してしまう。そうかと思えば思わぬ表情を見せる時もある。まさかこんなに翻弄されることになるとは思ってもみなかった。

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