第17話

 阿蘇カタストロフが発生すると、「日本国」の地球上における暫定首都機能は、北海道、十勝平野に作られた人工都市、新帯広市に置かれた。日本列島を脱出できなかった国民の大半はシェルターに退避し、収束後には順次、カナダやオーストラリア内陸部など、世界数カ所に設置された租借地と沖ノ鳥島近海、赤道直下のメガフロート、あるいは火星植民地に移住し、日本列島の環境回復を待つこととなっていた。


 しかしそれでも、残念ながら「日本人」全員を救うことは不可能だった。ルートを寸断されて避難が不可能な状況に陥ったり、あるいは避難を拒否したひとびとが命を失った。

 まるごと火山灰に埋もれて避難民が全滅したシェルターもある。被害が少なかった北海道でも、火山灰を吸い込んで肺を痛めたものが次々に死んでいった。


――しかし、真の混乱と破滅はこれからやってきたのだ。

 火砕流と火山灰に覆われた日本列島は、一応日本の主権が保証されていたが、地政学上も地質的にも極めて不安定な地域になった。

 火山活動が収束してからシェルターを出たり、海外に避難していた一部の住民が帰還を果たしたが、不毛の大地で生きるのは楽なことではなかった。

 備蓄食料倉庫は、襲撃されたり横流しに遭った。物資は法外な値段でやりとりされ、第二次大戦敗戦直後のような「闇市」が出現したのだ。


 そして、その備蓄分も使い果たす日がやってきた。

 変動した気候。荒れ果てた大地。天然資源は希少になり、代用食料が主流になった。安定した食料生産は工業的手段に任されるようになった。やがて「食事」すら手が届かないものになり、栄養補給を配給される高エネルギーパッケージで賄う階層が出現した。パッケージの原料がなになのか問うものはいなかった。

 しかし時間が経つにつれ、火砕流や火山灰に覆われた地も、草が生え、つぎに灌木が伸び、しだいにもとの植生を取り戻していった。しかし、いまだ続く気候変動のため、耕作しても噴火以前と同じものを作るのは難しかった。

 

 九州南部にはかつての巨大噴火で噴出した火砕流や火山灰で被われた土地が拡がっていた。姶良カルデラから噴出した火砕流である南九州のシラス台地や、鬼海カルデラから噴出したアカホヤと呼ばれる火山灰土は、保水力がなく農業に適さない不毛の土地を作っていた。

 そのような土地が、ほぼ日本全域に拡がってしまった。再び農地に戻すのは、相当な時間と労力が必要だった。

 結局、噴火後一年のあいだに、二千万人ものこの列島の住人が直接の被害や、混乱や飢餓によって犠牲にならざるを得なかった。もっとも、プロジェクト当初のシミュレーションでは半数以上――五千万人が死ぬことが想定されていたのだが。


 さらに西日本には、アジア一円に拡がった混乱と飢餓から逃れるように、ユーラシア大陸のひとびとが流入した。東南アジアの住民も沖縄から島伝いにやってきた。北海道にはさらに厳しくなった環境を逃れるようにロシア人が渡来した。

 不毛の地が数十年かけて徐々に緑を取り戻していくうちに、かれらの数は増えていった。やがて帰還した「日本人」と摩擦を起こすようになったが、追い返すことは困難だった。


 同じ「難民」である「日本人」と周辺諸国のひとびとは、次第に混ざり合って生活するようになった。

 二一七五年。大陸からの軍勢がサハリン島から北海道に侵攻した。瞬く間に北海道は占領され、「首都」である新帯広は陥落した。これをもって地球上の「日本」は滅亡した。

 地球上に「日本」は存在しなくなった以上、もはや「日本人」を助けられるのは、火星の「日本ひのもと」だけだったのだ。


 混乱の一途を辿る地球をよそに、新たな「日本」である火星植民地は着々とその領域を拡げていった。

 マリネリス峡谷の天蓋で覆われた部分の面積は増えていき、最初のうちは不安定だった気候も徐々に安定するようになった。余裕のある土地には草木が植えられ、水が湛えられた。エネルギーは潤沢にあったので、どんな問題でもエネルギーを投入して解決することがよしとされた。地球上では諸々の制約があってできなかったことだ。


 いくらあざ笑われようが、国家の機能を地球以外に移すのは正しい選択だったのだ。

 地球から火星を攻める軍備はどこの国も持っていないし、その余裕もない。どの国も侵略することはできない。


 むろん、地球を離れたところに人間の住める場所を作り出すのは容易な道ではなかったし、「日本人」を地球から呼びよせることにも様々な抵抗と困難が発生した。

 しかし地球での生活を諦めた「日本人」は、ぞくぞくと火星を目指した。

 二二五〇年、火星にも軌道エレベータが建造された。地球上の「日本」からの移民は、ますます増えていったのだ。

 

 火星開拓が順調に進捗したのは、また、二一世紀後半に核融合が実用化されことも

大きかった。

 地球上で核エネルギーを利用するのにネックになっていた問題は三つある。事故発生の懸念。使用済み核燃料、高レベル放射性廃棄物の処理。最後が核物質の軍事利用やテロリストに奪取される可能性である。しかし、地球から十分離れた宇宙空間で使う限りは、これらの懸念は無用なものだ。

 しかし、大量破壊兵器として開発された経緯や諸々の核事故によってひとびとのあいだに培われた忌諱感を払拭し、宇宙空間で本格的に使われるようになるには、一定の時間が必要だった。


 まずは深宇宙探査に核分裂炉が使われ、月や火星、小惑星帯への有人飛行が行われるようになると、イオンロケットやヴァシミールロケットへの電力供給源として一般化していった。

 核分裂より効率的で安全性も高い核融合エネルギーは、主に宇宙空間で使われるようになった。

 核融合プラズマロケットエンジンを搭載した宇宙船が実用化されると、火星への道行きは、わずか数日にまで短縮された。

 そして、地球と火星の距離も、日本に幸いしたのだ。

 光速の制約で、地球と火星のあいだで通信を往復させると、最接近時でも約六分半のタイムラグが発生する。いちばん離れる外合時には四四分にもなる。リアルタイムでの情報流通はできないし、グローバル金融システムからも独立せざるを得ない。それが火星――「日本」を、地球とは別の経済圏として自立させることを可能にしたのだ。


 無論、簡単に攻めてこられる距離ではない。宇宙空間に日本を脅かすような勢力は存在しなかった。

 そのため、火星の「日本ひのもと」は地球圏の混乱とは無縁だった。他国の経済的な失策のせいで日本の経済が脅かされることはないのだ。経済は着実に成長を続け、国民すべてにベーシックインカムが支給され、一定レベルの生活を保障できる状況に至った。

 火星の住民は飢えることも欠乏に苦しむこともない。「戦争」も他国からの干渉もない。


 そして、西暦二二八七年。元号で言うなら、建和一〇年。

 火星、マリネリス峡谷の「日本ひのもと」に居住するひとびとは、一億人を超えた。


 天蓋が張られた峡谷ぜんたいの可住地面積は、かつて「日本にほん」が地球上にあった頃を上回っていた。

 地球の植生を移植して峡谷の斜面には「森」が育てられ、動物も放たれた。「日本にほん」の生態系を再現した様々な動植物が繁殖し、環境の恒常化に一役買っている。阿蘇カタストロフで擾乱された「日本列島」の生態系が再現されつつあった。


 峡谷最深部には水が湛えられ「海」も作られた。魚や海獣が放されて水産物の養殖がなされたり、フィッシングやマリンリゾートが楽しめる施設が作られている。

 それでも、大量の土地が余っている。平野には一大農産地が作られ、穀物などは激しい気候変動と政情不安定で食糧不足に見舞われている「地球」に輸出している有様だ。人口に比して利用可能な国土が狭く、食糧自給率の低さに悩まされていたかつての「日本」とは正反対の状況だ。


 かつて地球にあった都市と同じ字だが異なる読みの「東京(とうけい)」は人口三千万を超え、「日本ひのもと」の首都として、また混乱が続く地球を離れた人類文化の中心地として、揺るがぬ繁栄を築いていた。

 新生した「日本ひのもと」、その首都の名前に、これほど相応しいものがあるだろうか。


 また、天蓋のかかった峡谷内の「日本ひのもと」要所には地方都市が造られ、JR火星のリニア鉄道が都市間を繋いでいる。

東京とうけい」都心部や周辺部の「新都心」には巨大な高層ビルが針山のように立ち並んでいる。高いものは二千メートル上の天蓋に届きそうだ。

 火星の低重力とカーボンナノチューブをはじめとする新素材で、地球上の常識を覆すような建築が可能になったからだ。


 また、かつての地球時代を再現した建築物も多く、東京駅、丸の内、渋谷、新宿などは、地球の「東京とうきょう」そのままの街並みが造られ、その賑わいは二十世紀後半から二十一世紀初頭、絶頂期と呼ばれた頃の様相を呈していたのだ。

日本ひのもと」の「日本人ひのもとびと」は二〇世紀後半以来の繁栄期を迎えていたのである。


(第一章完)

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