第16話
阿蘇カタストロフで起こったこと。
噴出した火砕流は九州一帯を覆い尽くし、さらに海を渡った本州の山口県や広島県、四国の高知県西部、愛媛県松山市まで到達した。その厚さは熊本や八代では、一〇〇メートルにもなった。降り積もった火山灰は大阪で一メートル、東京でも五〇センチ、北海道の東部でも十五センチの厚さに積もった。
火山灰が多量に降り積もった地域では、灰の重みで木造家屋がことごとく倒壊した。コンクリート製の建物でも屋根が抜け、雨樋が詰まって水浸しになるなどで使い物にならなくなった。浄水場は灰に含まれた硫酸化合物で汚染されて使用不可能になり、下水道管は火山灰で詰まった。細かい灰はあらゆる隙間に侵入し、機械を故障させ、送電線は絶縁不良を起こした。飛行機やヘリは飛行できず、道路も鉄道も使用不能になった。都市インフラは崩壊した。
火山灰と硫酸ミスト、それに日照を遮られることで、山の木々は完全に枯れた。表土は火山灰ごと雨によって流出してしまい、山はごつごつとした岩が剥き出しになる不毛の大地になった。その回復には数世紀を要すると思われた。
大量の火山灰や土砂が流れ込んだ川は河床が上昇し、洪水が頻発するようになった。平野部は治水がなされる前の状態に戻った。
浅い海では海底に溜まった火山灰によって、海藻や甲殻類や貝などの生物が全滅し、それらを餌にする魚も姿を消した。
火砕流と火山灰は、山も川も人間の作ったものも、この弧状列島にあるものすべてを埋め尽くしてしまったのだ。
真っ暗な空に薄ぼんやりと太陽が輝く。その光はあまりにも弱く、大地を暖めるには頼りなさ過ぎた。
このまま、世界の終わりがやってくるのか――
そう思った日本人も多かったのだ。
地球の裏側でも、異変はあった。
カナダ、アルバータ州エドモントン近郊に作られていた難民キャンプには、噴火が警告されていちはやく日本を脱出した「日本人」およそ五万人が収容されている。
急ごしらえの住宅が並ぶ平原の向こう、山の彼方に陽が落ちる。
ひとびとは血のように真っ赤な夕焼けを見た。それは成層圏のエアロゾルが光を乱反射して作られるもので、恐ろしいほど、美しい光景だった。
しかし、地球にとっては、「日常」の範囲内の擾乱ではある。
地球の歴史を振り返れば、大陸を覆い尽くすほどのマグマが噴出するような巨大噴火はいくつも発生している。
二億年前、現在のシベリアで大規模な火山噴火が発生した。火山ではなく地殻そのものが割れておびただしい量の溶岩が流れ、ウラル山脈から極東までの広範囲に玄武岩となって堆積した。この噴火によって、地球上の九割以上の生物種が消滅するという地球史上最大の大量絶滅がもたらされた。現在その名残は「シベリア・トラップ」と言われている。
あるいはインドのデカン高原、西太平洋の赤道付近の海底にあるオントンジャワ海台など、地球内部から膨大な溶岩が噴出した形跡は、地球上のあちこちに残されている。そのたびに、地球表面の薄い膜である生態系は擾乱され、生物は大量に絶滅した。
それらに比べれば、今回の事態は、はるかにはるかに小規模なものである。
だが、地球上に拡がったホモ・サピエンスというサル類の一種の群れを、壊滅状態に陥れるには、十分すぎてあまりあるものだった。
シェルターを出てひとびとが目の当たりにしたものは、見渡す限り一面火山灰に覆われた大地だった。
樹々はすべて立ち枯れて、緑色のものは地上に存在しない。建物は灰に埋まってしまった。木造の建物はあらかた破壊されていた。
数日経って、青空が戻ってきた。しかしその色は、いままでの抜けるような青ではなく、やけに白っぽかった。それが何を意味するか、シナブン山の噴火で皆は分かっていた。
七月。
暦の上では北半球は夏である。しかし「夏」は一向にやってこなかった。空はどんよりと曇り、肌を焼く強烈な日差しは訪れなかった。気温は上がらず、それどころか、北京やローマでは、その曇り空から降ってくるのは雨ではなく雪だった。
温暖化した世界が急に冷やされたのだ。急激な気候変動は、食料生産に大打撃を与えた。
そして、噴火が発生した日本列島において、その影響は壊滅的だった。
事前の予測通り、火砕流と火山灰に覆われ、北海道北部と沖縄、小笠原を除く日本列島の全域は、不毛の地となった。さらに火山灰は偏西風に乗って太平洋を横断し、カリフォルニアでも降灰が観測されるようになった。
成層圏に漂う微粒子のため、タービンや機体が破壊される恐れがあり、ジェット機は飛行不能になった。北半球の航空は麻痺状態になった。
地球上での太陽光発電は機能が大幅に低下した。エネルギーを得るにはこれまで忌諱されていた火力や原子力による発電に頼らざるを得なくなった。
巨大噴火で成層圏に噴き上がったエアロゾルは長期間漂って日照を遮り、地球の気温を数度下げ、異常気象をもたらした。大気の大循環に変動が生じ、海流にも変化が起きたため、激しい気候の変動が何十年も続いた。
太陽の輝きは弱々しくなり、亜熱帯でも雪が降るようになった。
ニューヨークでは噴火の五年後でも七月に降雪が記録され、その年の一二月はマイナス五〇℃を下回る異常低温に見舞われた。四季の巡りは消滅した。
寒冷化はヨーロッパで著しく、スカンジナビア半島は氷河に呑まれていった。グレートブリテン島、アイルランド島、ユトランド半島は不毛の地となっていった。ひとびとは南へ、南へと逃げていった。
北半球における農作物の凶作は深刻で、とくにモンスーンアジアの主力農産物であるイネは大打撃を受けた。
気温低下で、中国、タイ、ベトナムなどの米を主食にする地域では、稲作がほぼ不可能になった。海流の変化で水蒸気の蒸散が不活発になったため降水量も減り、アジア大陸は広範囲で砂漠化していった。
黄河、長江の流域は流域の砂漠化で慢性的に洪水が発生するようになり、二一六五年には長江中流に作られた三峡ダムが崩壊した。巨大な水と泥の怒濤が流れ下り、武漢、南京、上海など流域の都市は濁流に流され、泥に埋め尽くされた。約三億人が被災、死者は数千万にものぼったと言われる。共産党政府は重慶に首都機能を移転させたが、見捨てられたかたちになった華北華中の反撥は強まり、国家は分裂の様相を呈した。
地球上の人類文明は大ダメージを受けた。限られた食料と資源を奪い合い、文明レベルが顕著に後退する地域も続出した。それに伴って、あちこちで紛争が発生した。「国家」の力は大幅に弱くなっていった。
世界中のどの国も、自らのことだけで精一杯になった。もはや国際社会に亡国の民である「日本人」を助ける余力などあるはずはなかった。
二一世紀から続いた流動状態、そして「阿蘇カタストロフ」に伴う気候変動が駄目押しとなって、世界の形は大幅に変わっていった。
ヨーロッパ連合はこれまで「富」を貯め込んでいた北方諸国のドイツやオランダ、北欧が、イタリアやギリシャなどの南欧を圧迫する構図があからさまになった。そして押し出された南欧の住民は、難民となって中東や北アフリカに押し寄せるようになった。「北」から「南」への難民。かつてとは逆の現象だった。
ヨーロッパ人は次々に北アフリカに移住し、文明の中心は地中海沿岸に移っていった。
イスラム教国だったチュニジアでは欧州系がマジョリティとなり、「新(ノヴァ)カルタゴ」と呼ばれるようになった。長い戦乱で荒廃したパレスチナにも欧州系住民が入植した。
北アメリカ大陸も中西部の砂漠化と東部の寒冷化によって、何世紀にもわたる合衆国の圧倒的な国力に翳りが現れたのだ。
二一世紀から続く深刻な分断状況は限界に達し、アメリカ合衆国は内戦状態に陥った。それはやがて南北アメリカ大陸に拡がり、混乱の果てに合衆国の諸州にカナダとカリブ海諸国、中南米の一部を統合した、カリフォルニア州サンノゼを首都とする
東アジアでは中国の共産党政府が衰え、中国本土(チャイナ・プロパー)の他にモンゴルや東シベリアを勢力範囲とするゆるやかな主権国家の同盟である「中華同盟」が成立した。
韓国は阿蘇カタストロフの影響を蒙り、関係改善を果たしていた北朝鮮に多くの国民が避難した。
東南アジアの沖合には、スンダランドと呼ばれる陸地が数万年ぶりに出現した。マレー半島とスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島は地続きになった。海面上に出た平野は肥沃な大地になると思われ、領土争いが熾烈になった。
国土の大半が寒冷地だったロシアは前世紀の政治的失策も相まって国力を喪失し、中央アジアやシベリアの離反を防げなくなった。バイカル湖以東のシベリアは中華同盟の勢力圏になっていった。
オーストラリアはシナブン山噴火で流入したマレーシア、インドネシア系の住民がマジョリティになり、インドネシアと連邦を形成して中華同盟に対抗した。
各国は勢力争いにかまけて、宇宙開発は後退した。世界各国は、火星開発を放擲した。
「日本」だけが、火星に残った。
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