第10話-覚醒-

「臭ェんだよ、ブタ」


 成哉は目の前にぶら下がった、ジェイコブの耳へと噛みついた。

 奴は呻き声をあげて仰け反り、その隙に成哉は、その巨体の下から転がり出た。


「このガキ!」


 耳に刻まれた歯型から血を滴らせながら、ジェイコブが立ち上がる。

 成哉もまた身を起こし、手の平へ突き立てられた鉄釘を、再び指先に構えた。


 不思議だ。

 勝ち目なんてあるはずがない。

 今すぐ降伏し、拳の2、3発も受け容れ、奴の言いなりになる方が利口に思える。


 けど、そんなことは御免だと、成哉の頭の隅で訴える声がした。

 もう何者にだって、この魂を犯させたりはしない。

 絶対に。


「くくっ」


 笑いを噛み殺す。

 成哉には確信があった――俺なら、やれる。


「ブチ殺すッ!!」


 ジェイコブが怒りに全身を膨れ上がらせ、身を屈める。

 しかし、それより早く、成哉は動き出していた。


 ジェイコブが床を蹴ろうとする一瞬、その硬直の隙へ、成哉は突っ込んだ。

 釘を下手投げに放る。

 それはクルクルと縦回転しながら上方へ持ち上がり、そして再び落ちてくる。

 そして成哉は後ろに引いた右手を、真っすぐに突き出した。

 手の平が釘の尻を捉え、それを腕の延長としてジェイコブの身に叩きつける。

 鋭い切っ先が皮膚を突き破り、鎖骨の上あたりに突き刺さって、


「がっ……!」


 衝撃と共に、視界がホワイトアウトする。


 成哉の体は宙に浮き、そして床へと叩きつけられた。

 ジェイコブのイノシシもかくやという突進に、弾き飛ばされてしまったのだ。

 呻く成哉を見下ろし、ジェイコブは首筋付近に突き刺さった釘を引き抜いた。

 どばっと血が溢れ出して、醜い肉の上に赤い筋を引く。


「ふん……チクッとした。これが、お前の起死回生の一撃かい?」


 ジェイコブは鼻で笑い、引き抜いた釘を部屋の隅に放り捨てた。

 そして傷から血が流れ出るのも構わず、成哉に詰め寄った。


「ハハァ、残念でした! 俺の体に、こんなちっぽけな穴ぼこ開けて、それでお終いってかい。とんだ成果だ、虫刺されも同然だよ――おめでとう、虫けら!」


 叫んで、ジェイコブは拳を振るった。

 それが、成哉の頬を捉える。

 ガッという鈍い音と共に、成哉の体は横合いに投げ出された。


 目の前がチカチカする。

 殴られた頬が熱を発し、口の中に血の味が広がる。


 そこへ、ふたたびパンチが見舞われる。

 何度も、何度も。

 ジェイコブは執拗に、成哉を痛めつける。


 ……ボタボタと、血が床に垂れ落ちる。


「はは、これで身の程がわかったかい。俺の勝ちだぜ、ベイビー」


 ようやく満足したのか、ジェイコブは倒れる成哉を見下ろし、残酷に笑った。


「たっぷり、しゃぶらせてやる……へへへ……」


 成哉は、逆らわない……全ては、もう終わってしまった。


「へへ……へ……ぁ、あぁ……ぁ……?」


 ジェイコブの声が震える。


 ボタボタと、血が床に垂れ落ちる。


 ジェイコブの鎖骨付近に穿たれた小さな穴から血が溢れて、止まらないのだ。


「よっぽど頭に血が上ってたのか……どんどん力が入らなくなってることに、気づかなかったのかい? 最後の方のパンチなんて、まるで遊びみたいだったぞ」


 成哉は立ち上がる。

 もはや立っているのさえ難しいジェイコブを見上げ、その驚愕に歪んだ顔に向けて、手を振った。


「動脈を刺した。肉があまりついてない、皮膚の薄いとこを狙って。あばよ、変態」


 言い終わるや否や、ジェイコブは倒れ込んだ。

 出血多量によるショック死だ。


 俺が殺したのだ、と成哉は思った。


 そのことに混乱している自分がいる。

 今まさにこの手で命を奪ったという事実に、パニックを起こしている十和成哉が。


 けど、そんな思いをよそに、彼は部屋の出口へと向かっていた。

 数度、強くドアを叩く。

 すると向こう側の見張りが返事を寄越した。


「どうした、ジェイコブ?」

「はい。ジェイコブさんが、呼んでます」


 成哉の口から零れたのは、媚びるような声だった。

 か細く、弱々しい、甘えるような囁き――


「なんだって?」

「つまり……3人でシようって、ことらしいです」


 口を突いて出る誘い文句。

 それに誰よりも驚いているのは彼自身だ。

 俺は、いったいどうしてしまったっていうんだ?


「彼は、俺から貴方を誘えって。それが、逆らった俺への罰だそうです」

「しかし俺は、ここで見張ってなくちゃならんし――」

「いいじゃないですか。要は俺が逃げなきゃいいんでしょ。誰かが来たら、その人も混ぜたって構わない。ねぇ、いいでしょ? 可愛がってくださいよ」


 鉄扉の向こうで、男が唾を飲んだのが判った。

 開錠され、ドアが開いた瞬間、成哉は甘い微笑を浮かべて、顔を見せた男に抱き着いた。


 それは奇襲だった。


 あの鉄釘を、抱き着いたと同時に相手の首の後ろに突き刺したのだ。

 小脳を破壊された見張り役は、一声すらも無く死に至った。


「ふぅ……呆気な」


 成哉は見張り役の腰から大型のサバイバルナイフを取り、それを片手にぶら下げて、廊下の奥を目指す。

 足音をひそめて、素早く、猫のように走る。

 そして曲がり角に突き当たった時、その先からふたり組の足音が響いてきた。


 ――接触まで、あと4秒。


 成哉は、そう直感し、廊下に放り出してある木箱の陰に身を潜めた。

 間もなく鹿の頭を持つ男と、雀の頭を持つ男が談笑しながら、隣を通り過ぎる。


「くそぉ、いいよな、あいつら。若い娘の体を、さっそくさぁ……」

「当番は、お預けなんてなぁ。夜には回してもらえるだろうか」

「そんな頃には、もうアイツらに壊されちゃってるかもしれんぜ」

「まぁ、多少バカになってようが、あったかい穴にさえ突っ込めりゃ――」


 成哉は物陰から飛び出し、体当たりの要領で鹿の男をナイフで刺す。

 上手く肋骨の間に刃を滑り込ませ、心臓を貫くことができた。


「あ……?」


 刺された方も、それを傍らで見守った方も、何が起きたか判らないらしかった。

 片割れが倒れ伏した後も、雀の頭の若者は、呆然としたまま硬直している。


「騒いだら、殺すぞ」


 端的に言い、成哉は相手の喉元にナイフを突きつけた。


「さっき船に収容された男女は、どこにいる? 教えろ」


 雀男は、余さず喋った。

 ケントが船尾の独房へ連れて行かれたこと、女の方は大部屋に運び込まれたこと、そこへの行き方も、全て。


「た、助け――」


 雀男が声を上げかける。


 だが、その先は続けられなかった。

 奔ったナイフが彼の気道を切り裂いたからだ。


 ごぼごぼと、雀男の喉から血の泡が立った。

 苦しみに身を折る彼の後頭部にナイフを振り下ろして、成哉は引き出したばかりのルートを辿っていく。


 ……待て、俺は何をしている?


 淀みなく足を動かしながら、頭の片隅で、困惑の声が上がる。

 なんでこんな酷いことを? 

 間違ってる。

 やめてくれ、こんな真似はしたくない――


 だが、その警鐘は、あまりに弱々しく、遠かった。


 目当ての大部屋へ近づいていく。

 入口の大扉は開け放してあり、中の光が廊下に漏れていた。

 そこからは何人もの男たちの囃したてる声と、女性の涙声の絶叫とが漏れ聞こえている。


「そろそろヤッちまうか?」


 部屋の中では、20名あまりの海賊どもが相談を交わしていた。

 そして、痛めつけられて朦朧としている給仕の女性の頬を力いっぱいに張り、無理やり意識を取り戻させ、その細い肩を揺さぶる。


「寝てんじゃねぇ、嬢ちゃん。てめぇ、これから何人の相手すっか判ってんのかよ」


 成哉は息を殺し、素早く部屋へと踏み入った。

 成哉の足と手は意識の外で動いた。

 まるで、別の生き物のように。


 遠巻きにリンチを眺める連中から、片付けていく。

 頭の後ろにナイフを突き入れ、喉笛を切り裂いて、ひとりひとりを確実に、静かに始末していった。

 そして成哉は人垣の中心のひとりを見定め、その首へと斬り付ける。


「がぁ……!?」


 動脈を裂かれた男の首から、激しく血が噴き出す。

 それは周囲で幸せにニヤケていた連中に、文字通り水を差していった。


「なんだ、おい――」


 成哉は、さらに周囲の連中のノドを切り裂き、血の噴水を撒き散らさせた。

 そして、ようやく何人かが異常事態を察知する。

 慌てて懐の銃に手を伸ばした最初のひとりに、成哉は得物を投げつけた。


「げぅェ……っ!」


 ナイフの刃先が、彼の首を深々と抉る。

 そして投げる動作と並行して、成哉は隣の男の懐から拳銃を引き抜いていた。


 振り返りざまチャンバーを引き、トリガーを引き絞る。

 遠くの敵をヘッドショットで仕留め、盾に利用した手近な奴の顎下を撃ち抜く。


「てめ――」


 背後から撃鉄を起こす音がする。

 それを聞くが早いか、成哉は身を翻しながら、銃を持つ右手を、そちらへ振り向けた。


 トリガーを引く。

 こちらへ狙いを定めていた敵の頭が弾けた。

 次いで呆然と立ち尽くす奴や逃げ出そうとする奴に、立て続けに銃弾を見舞っていく。


 ……おかしい。

 銃なんて、生まれて初めて触れるのに。

 どうして、こんなに上手く扱える?


「――――」


 動く者がいなくなり、状況を見渡せば、血の海だった。

 そこいら中に死体が転がり、鉄と臓物の臭いが、辺り一面に充満していた。


 ……いや、ひとりだけ。


 給仕の女性だ。

 彼女は壁際に身を預け、呆然として成哉を見つめている。


「あの、俺はヘクター・ベガの飛行機に乗ってた……」


 成哉が近付こうとすると、女性はビクリと身を引いた。

 彼女の彼を見る目には、ありありと恐怖が浮かんでいた。


「怖がらないでください。あなたを助けに来たんだ」


 しかし女性は成哉の手を取らないばかりか、ますます身を竦ませ、壁際を這って遠ざかろうとした。


「あの、なんだっていうんです?」


 成哉は困って声を上げ、


 ふと、足元に広がる血だまりに映っているものに気づいた。


 それは、はっきりと見覚えのある、


 しかし同時に、一度だって見たことのない顔だった。


 爛々と輝く、冷たい瞳。

 笑みに歪んだ口元は、まるで大地に生じた亀裂みたいだった。


 これが……俺?


 けれど確かに、それは成哉だった。

 成哉ではない、成哉だった。

 十和成哉の顔を持ちながら、しかし、それは十和成哉の表情をしていない。


 誰だ、コイツは?

 俺は、いったい――


「――――、ぁ」


 パチン、と、またスイッチの切り替わる感覚。


 成哉はナイフを捨て、怯える女性にも背を向けた。

 海賊らの死体を漁り、使えそうなものをピックアップする。

 ハンドガンに予備のマガジン。

 大きなサバイバルナイフに、投擲用の小さいやつを何振りか。

 それらをサバイバルベストへと括りつけ、身に帯びる。


「身を隠せ。下手に動くな」


 冷たく命じて、成哉は大部屋を後にし、船尾へと向かった。

 時おり出会う船員をその都度、始末し、ついに独房へ辿り着くと、ふたりの見張りもナイフで黙らせた。


「セイヤ……!?」


 ケントが安堵と驚愕の入り混じった顔で、格子の向こうから見つめてくる。

 成哉は牢屋の鍵を開け、耳を澄ませた。

 ……上階が騒がしい。どうも、異変が察知されたらしい。


「上等」

「な、なにがだ? それより、お前、これっ……殺しっ」

「言い合ってる場合じゃない。これ、お前のぶん」


 成哉は見張りの死体から銃とナイフを取り上げ、ケントに渡した。


「基本はナイフで。銃は、いよいよとなるまで使うな。音で敵を呼び寄せてしまう」

「え――」

「扱い方は分かるんだろ、お前も」


 成哉はニヤッとケントに笑いかけ、甲板に続く階段を一歩一歩、上がっていった。

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