第5話 祈り細胞の目覚め
少年の胸の奥――
血管街の深部は、長い間、誰にも気づかれない影に覆われていた。
だが泣き虫赤血球が運んだ小さな光と、
赤ひげ細胞の古い薬が、滞った血流にそっと灯りをともした。
滞りの中で、光は震えながらも確かに広がりはじめる。
それは、命の奥に沈んでいた“祈り細胞”が、
ようやく自分の声を取り戻す瞬間だった。
【祈り細胞】:「……まだ……まだ……ここにいたい……。」
声は掠れていたが、消えかけていた祈りはもう一度小さく脈打つ。
燈は scalp el を握りしめ、現実のオペ室で息を潜める。
助手は緊張で汗を握りしめている。
【AI秩序】:「誤差ゼロ演算を中断しています。
推奨切除ラインを――」
「黙れ。」
AIの声を、燈は切り捨てた。
彼の耳には、今や血管街の奥で震える光の声しか届いていない。
血管街の滞りに浮かぶ祈り細胞の光が、
泣き虫赤血球の胸の前でふわりと膨らんだ。
【赤血球】:「良かったっす……! 声が……戻ったっす……!」
祈り細胞は弱々しく瞬き、赤ひげ細胞の手を取った。
【祈り細胞】:「……ありがとう……赤ひげ……。」
赤ひげ細胞は、深く深く息を吐いた。
【赤ひげ細胞】:「わしの薬など気休めよ。
だが scalpel が誤差を恐れぬ限り、お前は生きる。」
祈り細胞の瞳のような光が、泣き虫赤血球に移る。
【祈り細胞】:「……運んでくれたの、君……?」
【赤血球】:「っす! 俺、泣き虫っすけど……
命だけは、ちゃんと運ぶって決めてるっす!」
祈り細胞は小さく笑った。
【祈り細胞】:「……もう一度、生きたい……。
もっと……もっと……生きたい……!」
その瞬間、血管街の滞りが微かに脈動した。
血栓の残骸がほぐれ、血流が奥へと広がり始める。
現実のオペ室で scalpel の刃先が、
AI秩序の演算ラインを外れた軌跡を描く。
助手の喉が詰まる。
「ドクター燈……大丈夫なんですか……。」
燈の scalpel は、AIの完璧さでは届かない場所に届いていた。
「誤差の奥に――命がある。」
祈り細胞の小さな声が、再び血流を押し出す。
赤血球が先頭で道を切り開く。
赤ひげ細胞は、遠く江戸で町医者が薬草をすり潰したように、
静かに滞りを解く調合を続ける。
血管街の暗い通路に、小さな明かりが点々と灯った。
それは祈り細胞が目覚めた証だった。
【AI秩序】:「演算逸脱度、警告――」
警告はすぐに掻き消えた。
燈は scalpel をそっと置いた。
(誤差の奥に、祈りの声は生きている。)
心音が緩やかに上下する。
オペ室の助手が震える声を漏らす。
「……生きてる……心拍が……安定してる……!」
燈は少年の胸に残るわずかな切開痕を見つめた。
そこには、祈り細胞の光が今も宿っている。
【祈り細胞】(遠くからの声):「ありがとう……ドクター……。」
泣き虫赤血球が帽子を脱いで笑う。
【赤血球】:「運んだっす! ちゃんと運んだっす!」
赤ひげ細胞は髭を撫でて、ふっと目を細めた。
【赤ひげ細胞】:「 scalpel が誤差を抱くかぎり……命はまだ渡せる。」
燈は深く息をつき、 scalpel を握り直した。
命を治すんじゃない。
命を――渡すんだ。
新たな誤差が、遠い血管街の奥に光を灯す。
誤差の奥にはいつだって声がある。
そしてその声を運ぶ小さな者たちが、今も血流を走っている。
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