第4話 血管街の小さな光

血管街の奥――

燈の scalpel に導かれて、泣き虫赤血球が血栓の向こうへ光を届けたとき、

奥の奥に沈んでいた何かが、小さく瞬いた。


細く、壊れそうな、でも確かに温かい光。


それが祈り細胞の核――

この患者の、誰も知らない命の奥底に沈んだ“生きたい”の種だった。




燈の scalpel はまだ現実のオペ室にある。

AI秩序は変わらず警告を吐き続ける。


【AI秩序】:「推奨切除範囲を外れています。演算誤差を修正してください。」


「……誤差じゃない。」


燈の声は冷たくはない。

だが、どこまでも確かだった。


助手が不安げに scalp el を見ている。

誰も、燈が今どこを見ているかは分からない。


彼の意識は今、血管街の奥――

小さな光のほうを向いている。




「ドクター燈! こっちっす!」


泣き虫赤血球が血栓を抜けて、細い血管を走り抜ける。

その後ろを、弱々しく光る祈り細胞が追いかけていた。


【赤血球】:「こいつ、さっきまで声も出せなかったっす……!

でも今は……ちゃんと“生きたい”って言ってるっす!」


祈り細胞は小さく瞬いた。

声はとても小さい。


【祈り細胞】:「……生きたい……もっと……。」


赤血球は笑った。泣き虫だけど、笑っていた。


【赤血球】:「運ぶっす! 命の先まで、ちゃんと運ぶっす!」


血管街の分岐を抜けると、そこは暗くて冷たい血流の滞りだった。

血液は淀み、酸素は滞り、死んだ組織が静かに呼吸を止めようとしている。


AI秩序が告げる“許容誤差”の中で切り捨てられる場所。


祈り細胞の光がふわりと灯ると、

血の流れの奥で何かが動いた。


【?】:「……赤ひげだ……。」


奥の影から、小さな老人のような姿をした赤ひげ細胞が現れた。


鬱蒼とした髭のような繊毛を生やし、

古い薬箱を背負っている。


【赤ひげ細胞】:「誰が来たかと思えば……泣き虫赤血球に、誤差を抱えた scalpel か。」


泣き虫赤血球はビクッと震えた。


【赤血球】:「あ、赤ひげ細胞……!」


燈は scalpel を握り直した。


(赤ひげ……昔の伝承医学を守っている免疫系の長老だ。)


現実のオペ室では scalpel が患者の肺の奥をかすめている。

AI秩序の声が遠く霞む。


赤ひげ細胞が祈り細胞をじっと見つめた。


【赤ひげ細胞】:「その光、ここでは長くもたん。

滞りを溶かして道を開くしかない。」


燈は静かに尋ねた。


「お前にできるか。」


赤ひげ細胞は小さく笑った。

皺だらけの髭の奥の瞳が光る。


【赤ひげ細胞】:「できるとも。ただし―― scalpel が誤差を恐れぬならな。」


燈は頷いた。


「恐れない。」


赤ひげ細胞は小さな薬瓶を取り出した。

江戸の町医者の処方に似た配合――自然治癒力を促す“祈りの薬”。


祈り細胞が震える。


【祈り細胞】:「……生きたい……まだ……。」


赤血球が振り返り、大きく頷いた。


【赤血球】:「俺、運ぶっす! ちゃんと光が行き渡るまで、何回でも!」


赤ひげ細胞が祈り細胞に薬を渡した。

光がふわりと大きく膨らむ。


血の淀みが溶け、滞りの奥で新しい血流が生まれる。


現実のオペ室で scalp el が血管をなぞり、

AI秩序が最後の警告を吐いた。


【AI秩序】:「演算誤差許容範囲外――演算失敗。」


だが、燈の耳にはもう聞こえなかった。


光が流れ、血が動く。


少年の胸の奥で、息が細く強く繋がっていく。


【祈り細胞】:「ありがとう……。」


小さな声が血管街を照らした。


【赤血球】:「運んだっす! ちゃんと!」


赤ひげ細胞が、遠い昔の町医者のように笑った。


【赤ひげ細胞】:「祈りは流れれば生きる。

お前の scalpel は、いい誤差を抱えてる。」


燈は scalpel を下ろした。


(誤差の奥に――命の光がある。)


AIは黙り込んだ。


少年の胸が静かに上下を繰り返す。

まだ小さな光だが、確かに命はここに繋がった。


命を治すんじゃない。

命を――渡すんだ。

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