【第4話】黒い花が咲いた日

夜。

寄宿舎の自室にて、リョウは一人、鏡の前に立っていた。


裸の上半身には、奇妙な黒い“模様”が浮かび上がっていた。

炎のように揺らぎ、静脈と神経を模したかのように広がるそれは、異形の侵蝕にも似ていた。


(……昨日まではなかった)


痛みはない。

だが、じわじわと皮膚の下に「何か」が這い回っている。


《細胞適合率:41.2%》


端末の表示は、微増していた。


「制御しているはずだ」


低く呟く。だが、身体は答えてくれない。


右腕の関節が、わずかに金属質な音を立てる。


(……間に合わないかもしれない)


そのとき、またもあの“夢”が脳裏をかすめた。


漆黒の戦士。

蒼い光。

叫び、焦燥し、燃え尽きるように散った“彼”の背中。


――「ヒーローってのは、最期まで立ってるヤツのことを言うんだよ」


声は、確かに翔真のものだった。


リョウは拳を握った。


(俺は……まだ、その言葉の意味を知らない)


翌朝。


翔栄高校の校門前に、一台の黒いワゴンが停まっていた。


降りてきたのは、無表情な若い男と、仮面をつけた少年。


「ターゲット識別範囲に到達」


「識別コードΩ-01。潜入行動、開始」


仮面の下の眼が、ゆっくりと見開かれる。


白濁とした瞳――まるで“見る”という行為すら模倣であるかのように。


2年D組の教室。


授業中にも関わらず、リョウの視界はぼやけていた。


文字が滲み、音が歪み、誰の声も正確に届かない。


(……まただ。侵蝕が進んでる)


皮膚の黒い模様は制服の下に隠しているが、感覚は日に日に変質していた。


息苦しい。

喉の奥で金属片が擦れるような感触。


(俺は……人間として保てるのか?)


そんな思考を遮るように、突如、校内放送が入った。


『至急、教職員の方は体育館へ集合してください。全校生徒は指示があるまで教室待機となります』


教室がざわついた。


リョウも顔を上げた。


(……違和感。これは、偶然じゃない)


そのとき、ドアが開く。


「失礼します。新しい転校生を連れてきました」


担任がそう言うと、一人の少年が入ってきた。


白い髪。青白い肌。細身の身体。

そして、異常なほど静かな気配――


「……」


教室が一瞬、沈黙した。


その少年は、無表情のまま自己紹介をした。


「オウ……です。よろしく」


生徒たちはざわついたが、リョウだけが“別の何か”を感じ取っていた。


(……こいつ、“人間”じゃない)


まるで“何かが装っている”。

その不自然さに、リョウの神経は研ぎ澄まされた。


放課後、校舎裏。

リョウは、無言のままオウに声をかけた。


「お前、何者だ」


「……質問か」


オウはくるりとリョウに向き直った。


次の瞬間、瞳が爛々と赤く染まり、空気が変質した。


「なら、答えよう。俺は“Ω-01”」


「……!」


リョウの心拍が跳ね上がる。


(こいつが、Ωシリーズ……)


だがオウ――Ω-01は続けた。


「戦うために来たんじゃない。確認に来ただけだよ、“コード13”」


「なぜ、俺のコードを知っている」


「お前は俺の“兄”の残骸で作られた。翔真、という名の」


静かに、しかし抉るように告げられたその言葉に、リョウの目が見開かれる。


「お前は“翔真のコピー”。

けど、俺たちΩは……“彼”の憎しみから生まれた」


リョウは動けなかった。


Ω-01の言葉が、脳内を直接侵蝕してくるようだった。


「黒牙翔真は、“最後に裏切った”。お前には……その記憶、ないんだろ?」


その声には、哀しみすら滲んでいた。


「……次に会うときは、殺し合いだよ。弟」


そう言い残して、Ω-01は校門の外へと消えた。


その夜。


リョウは、再び鏡の前に立っていた。


黒い“模様”が、ついに左肩まで達していた。


端末の表示。


《細胞適合率:46.7%》


限界が近づいている。


「翔真……お前は、何を背負っていたんだ」


リョウの手が、震えていた。


次に出会うとき、自分は“人間”でいられるのか――

それとも、“黒い花”として咲き誇ってしまうのか。


彼の中で、“戦う理由”が、わずかに芽吹き始めていた。

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