第18話 黒瀬の忠告

 翌日。

 翔真はまた、あの冷たい診察室に座っていた。


 無機質な銀色の診察台の上で、無数のコードに繋がれた自分は、まるで展示される標本のようだった。


 青白い蛍光灯の下、ピッピッと機械が脈動を記録する。


 皮膚に貼り付いたセンサーが冷たく、時折電気的な刺激が走って胸が痙攣した。


 向かい側では、黒瀬がいつものように書類をめくり、端末のモニターを操作していた。


 その目はやはり冷たく、数字しか見ていない。

 翔真という“個人”には一切興味がないのだということが、痛いほど分かる。


 (……なんでだよ)


 自分はただ、人を守るために戦っているだけなのに。


 どうして自分が、こんな風に“化け物扱い”をされているんだろう。


「……榊」


 不意に名前を呼ばれて、翔真はビクリと肩を震わせた。


 黒瀬が書類を閉じ、椅子の背にもたれて腕を組む。


「――お前、最近誰かと親しそうにしているな」


「……は?」


「学校だよ。三ノ宮雪乃。あれはお前のクラスメイトだったか」


 胸がドクン、と大きく鳴った。


 (どうして……雪乃の名前が……)


 黒瀬は小さく鼻で笑い、指先でデータをスクロールする。


「街中の監視カメラは、国のネットワークに繋がっている。

 お前と三ノ宮が一緒に下校している映像も、握手会の時に偶然近くにいた映像も、全部記録に残っている」


 「……だからなんだよ」


 翔真はか細い声で、搾り出すように言った。


 黒瀬は目を細め、冷たく言い放つ。


「ヒーローは恋をするな」


 その言葉が胸に突き刺さった。


「ヒーローというのはな、結局“兵器”だ。

 感情に引きずられ暴走されては困る。

 守るべき対象を特別扱いし、任務を放棄されるのは国家として最も避けたいリスクだ」


 淡々と語る黒瀬の声が、金属の刃物のように鋭く響く。


 「でも……俺は……」


 唇が小さく震える。


 (雪乃と話すときだけは、少しだけ自分が普通の高校生に戻れたんだ。

  それなのに……)


 黒瀬は翔真を真っ直ぐに見つめる。


「君の身体はもう、人間の制御領域を超えつつある。

 少しの動揺が、すぐに自律神経系に乱れを生じさせる。

 つまり、恋愛感情――特別に誰かを守りたいという気持ちが、お前を壊す引き金になりかねない」


 (……壊す?)


 翔真は目を伏せ、胸を押さえた。


 脈動する青いコードの光が、シャツ越しに淡く滲んだ。


 黒瀬は椅子から立ち上がり、低い声で最後通告を下した。


「忠告はした。これ以上深入りするなら、あの子を保護対象として隔離せざるを得ない」


 ガツン、と何かで殴られたような衝撃が頭に広がった。


「……やめろっ!」


 思わず声を張り上げた自分に、黒瀬はわずかに眉を上げ、冷笑する。


「なら分かるな。お前が感情を抑えられないなら、周りを不幸にするだけだ」


 足元が崩れていくような感覚。


 自分は、ただ雪乃と少し話して、一緒に歩いて――

 それだけだったのに。


 そんなささやかな幸せすら、許されないのか。


 黒瀬は書類を鞄にしまい、淡々と出口へ向かう。


 扉が閉まる寸前、背中越しに冷たい声だけが残った。


「任務のことを忘れるな。ヒーローは“人間”じゃない。――君は、そういう存在なんだ」


 扉が閉まる音が、ひどく重たく響いた。


 静まり返った部屋の中で、翔真はひとり、床に崩れ落ちる。


(俺は……もう、ただの人間じゃ……ないのか)


 震える指先を見つめる。


 そこには、硬質化し黒く変質した爪があった。


 雪乃が優しく握ってくれたこの手は、もう彼女の手を取る資格なんて、ないのかもしれなかった。

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