第15話 あの日の雪乃
夜の街を、翔真はあてもなく歩いていた。
住宅街の路地を抜け、灯りの少ない細い道へ入る。
アスファルトに付いた黒い染みは、雨が降ってもまだ落ちきらずに残っている。
それが、自分が倒したアンノウンの血か、自分自身が吐き散らした血か、もう判別もつかない。
街灯の下に立ち尽くすと、そこにはコンビニの窓に映る自分の姿があった。
制服は所々破れ、乾いた黒い痕が広がっている。
首筋から胸元にかけて、硬質化した線がいくつも浮き出し、青白い脈がゆっくりと灯っていた。
目を細めると、鏡の中の自分の瞳が、どこか人間のそれではないように見えた。
(……俺、本当にもう、人間じゃないのかもしれないな)
気づけば、心臓の鼓動もひどく遅くなっていた。
冷たくなった血がゆっくりと体を巡る感覚だけが、辛うじて「生きている」という実感をくれた。
ふと、遠くで誰かが自転車のブレーキをかける音がした。
顔を向けると、道の向こう側に――雪乃がいた。
学校帰りだろうか。小さなカゴに入った鞄を押さえ、こちらをじっと見つめている。
その視線に、翔真は一瞬だけ背を向けそうになった。
こんな姿を見られたくない。
こんな自分が、雪乃の視界に入ってはいけない。
でも――体はなぜか動けなかった。
「……榊くん?」
小さく名前を呼ぶ声が、夜風に乗って届く。
胸の奥がひどく疼いた。
雪乃が恐る恐る近づいてくる。
その足取りはわずかに怯えていて、けれど決して逃げはしなかった。
やがて、あと数歩で触れられる距離まで来ると、雪乃は制服の裾をぎゅっと握りしめ、小さな声で訊ねた。
「……その、ケガ……してるの?」
翔真は咄嗟に首を横に振った。
「違う……これ、血じゃない。ただの……汚れだ」
その声は自分でも驚くほど掠れていた。
雪乃は不安そうに眉を寄せ、それからそっと手を伸ばしてきた。
白く細い指先が、翔真の頬に触れる。
「冷たい……」
そう呟く雪乃の声が震えていた。
自分が人間じゃないと、今にも気づかれそうで、翔真は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。
「……ごめん、汚いから……」
翔真は思わず顔を背ける。
けれど雪乃は小さく首を振り、そっとその顔を正面に戻した。
「汚くなんか、ないよ」
夜風が吹いて、雪乃の髪が揺れた。
「……榊くん、顔色悪いし……ずっと辛そうで……。何かあったなら、話してほしい」
話せるはずがなかった。
自分が化け物になりかけていて、もういつ理性を失ってもおかしくないこと。
戦場で、何度も何度も怪物を殺し、その血を浴びたこと。
自分がこの街にとって、守り手であると同時に最大の脅威かもしれないこと。
それでも――
(話してしまいたい)
目の奥が熱くなった。
雪乃の指が、そっと自分の手に重なる。
その温度が、人間としての心をかろうじて繋ぎ止めていた。
「……ありがとう」
情けなくかすれた声で、やっとそう言うのが精一杯だった。
雪乃は困ったように微笑んで、それでも手を握り返してくれた。
その柔らかい感触だけが、翔真にとって唯一の救いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます