第2話 対等じゃない
諦めの気持ちが悔しさだとか悲しさといったマイナスの感情を上回ると、人は笑うしかなくなる。惨めだと思う自分の気持ちを隠すように、これ以上傷つかないようにする自衛本能が働くのだと思う。
堤さんは、ずっと作り笑いを浮かべている。
俺はどんな声をかけてあげればいいのか、わからなかった。
詩子も、楓先輩もそうだ。俺の周りにいた夢を追いかける人たちは皆、自分の才能を理由に諦める人がいなかったからだ。
励まし合い、影響を受けてきたことは多々あれ、俺は諦めようとする人にかけるべき言葉を持ち合わせていない。
俺自身もまた、夢を諦めたことがないからだ。
「ま……まだ諦めるのは早いんじゃない? 一回しか挑戦していないわけだし」
沈黙を避けるためになんとか言葉を紡ぐ俺に対して、
「あー、アホくさ」
今まで沈黙を貫いてきた侑里が、鼻で笑った。
「なんだよ。何がおかしいんだよ」
「いや、別に宗佑を笑ったわけじゃない。千紗都の漫画に対する思いって、そんなものなんだなって思ってさ」
俺に向けられた刃ではないはずなのに、首元にそれを突き付けられた気になった。
侑里はまさに今、堤さんを切り裂こうとしている。
「おい、侑里。言い方には気をつけろ」
「は? 良い子ぶるなよ宗佑。お前だって、千紗都のことを意志の弱い奴だなって思ってるんだろ? 諦めるって言った千紗都の気持ちが微塵もわからずに、なんて声をかけていいのか困ってるくせに」
不意に心の中を読み取られたようで、体が強張った。……俺は無意識のうちに、堤さんをそういう風に思っていたのだろうか?
「……わたしの漫画に対する気持ちを、侑里さんに決めつけられるのは不愉快です」
「そうか? 図星だからイラついてるだけだろ?」
堤さんの顔は瞬時に赤く染まった。
「……天才と呼ばれている侑里さんにはわからないでしょうね! やりたい道を見つけても限界が見えてしまったら、見切りをつけたほうがいいって考えるのが普通です!」
「
淡々とした口調なのに、侑里の声でその言葉を耳にすると俺まで背筋が伸びていた。
あいつの視線が俺に向けられたから、尚更に。
「いいか千紗都。才能って言葉を使って逃げるなんて退路は、宗佑はとっくの昔に絶っている。私どころか、お前は宗佑とも対等じゃない」
急に投げつけられたのは勢いのあるパスだった。ボールはなんとか受け取ったものの、侑里にも堤さんにもどう渡していいのかわからない。
「今、俺の話は関係ないだろ……」
「まあ、千紗都の人生だ。私がとやかく言う筋合いはないけどな。今日は北海道旅行を満喫して『良い思い出』を作って帰るといいよ。じゃあな」
「お、おい! 待てよ侑里!」
そう言ってその場を去ろうとする侑里を慌てて引き止めると、侑里は急に足を止めた。
「あ、そうだ。私さあ、『アートフェスティバル』に出そうと思ってるんだ。確か、締め切りは来月末だったかな?」
爆弾発言にも程がある。俺は咄嗟に言葉を発せないくらいものすごく動揺した。
「…………は、はあ⁉ 聞いてねえけど⁉ っていうかお前、受験は⁉」
返事もせずにあっさりとこの場を去って行く侑里を、俺は追いかけることができなかった。
「……小宮さん……わたし……」
侑里の発言に戸惑っているからではない。真正面から侑里と対峙して憔悴している堤さんを、こんな見知らぬ土地でひとりにするわけにはいかないと思ったからだ。
だからと言って今の心境で侑里と一緒にいさせたら、彼女の心が崩壊する。
「堤さん、大丈夫? 侑里の言葉は気にしなくていいよ。あいつはほら、元々口悪いし。気まぐれだし」
フォローの言葉が上辺だけのものになっていることに、俺は自分でも気づいている。
俺もそうだから、わかる。ずっと侑里を意識してきた人間にとって、あいつの言葉を気にしないなんて無理に等しいだろう。下手すれば堤さんは一生、あの鋭利な言葉を引きずってしまう。
蒼白する堤さんはその場にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。
夏の北海道は、内地の人間にとってはとても涼しく感じるらしい。夕刻の海辺に吹く風は堤さんにとっては、凍えるように冷たいのかもしれない。
……というのは、後付けが過ぎるだろうか。彼女の震えに気づかないようにするには、俺にも限界があった。
顔を伏せたままの堤さんに視線を合わせるために、俺もしゃがんだ。
「……とりあえず、場所を変えよう。ご両親との合流は十七時だったよな? 一旦札幌駅に戻って――」
最後まで、口にすることは叶わなかった。
堤さんに抱きつかれた衝撃で、俺は尻餅をつきながら俺の胸に顔を埋める彼女を見つめることしかできなくなったからだ。
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