藤島監督
あれはまだコータローと結婚前の同棲時代だった。藤島監督はあのカンヌを取った神戸の午後を撮ってたんだ。映画が撮り終わればポスターも必要になるのだけど、どうにも藤島監督のお気に召さなかったみたいなんだよね。実写映画だから名シーンみたいなところを組み合わせて作りそうなものなんだけど、
「イラストで描いてくれって無茶やで」
これも何人かのイラストレーターに描いてもらったそうだけど、どれもこれも藤島監督のお眼鏡に叶わなかったぐらい。そうだ、そうだ。これだけでもわかると思うけど、藤島監督ってとにかくこだわりが物凄くて、出演した女優さんや俳優さん、さらにスタッフのグチみたいなエピソードがいくらでもあるぐらい。
ただ出来上がった作品があまりにも素晴らしするから誰も文句を言えないぐらいかな。あんだけ、次々にヒットを飛ばしたらそうなると思う。現代の黒澤明なんて評価もあるぐらい。
「黒沢監督の足元にも及びません」
でね、藤島監督はコータローの事をどこかで聞いたみたい。けどさぁ、コータローも他のイラストレーターが蹴られてるから乗り気じゃなかったんだよね。実写映画だから写真で十分だろうって断ってたんだ。
「ムチャするんやから往生したわ」
「あの節は失礼しました」
あの日はコータローとお出かけ、いやまだ同棲中だったからお買い物デートに出かけようとしてたんだよね。そしたらアポ無しで藤島監督が訪れて来たんだ。コータローはその仕事はもう断ってるからって追い払おうとしたのだけど、
「なにが三分や」
「ついつい・・・」
そうだった。三分だけ話させてくれって頼まれて了解したのだけど、それこそやめられない止まらないの大演説。だってだよ、子ども時代に藤島監督が映画とどうやって出会ったから始まるんだもの。十分ぐらいしても子どもの時の出会いの話が終わる気配もなかったぐらい。
これでは終わりそうにないとあきらめたコータローは部屋に招き入れたのだけど、お昼を過ぎても、日が暮れても、まさにエンドレス。仕方がないから、朝食も夕食も千草が作ったよ。最後はコータローも意気投合してポスター制作に合意してた。
「そうせんと次の日の朝までやらかされそうやったやんか」
「その気でした」
堪忍してくれよって話なんだけど、千草にも藤島監督がどんだけ熱い人か思い知らされた。あれだけの情熱で映画を撮ってるから名作が生み出されるんだろうって。けどね、これで終わりじゃなかったんだ。
だってだよ、ポスターが出来上がるまで日参したんだよ。千草が仕事から帰ったら出迎えられて仰天したもの。そして夕食の時にはひたすら映画の話だった。コータローも頑張って作り上げたから満足してくれたかな。
「あんなもん頑張らんと毎日来るやんか」
「でも良いものを手に出来ました。あれでカンヌを取れたようなものです」
それは言い過ぎだ。宣伝広告でポスターは大事だろうけど、ポスターがカンヌを左右するはずないだろうが。ポスターの評判が良かったのは認めるけど。そうだそうだ、さっきの挨拶でお世辞を言われたけど、あれにも往生した。
どこをどう気に入ったかの理由なんて不明だけど、次回作か何かのヒロインをしてくれってマジで口説かれたんだ。ホラーものかと思ったら、ガチガチのラブロマンスって聞いて揶揄ってるとしか思えなかったけど、
「出てくれていれば、ヴェネチアも取れてたはずです」
そうなるわけ無いだろ。あの時は千草も断ったし、コータローも断ったけど、あやうく押し切られそうになったぐらい。だからじゃないと思うけど、
「あんなもん贈られて返って迷惑やったで」
「小さすぎましたか」
「あのな・・・」
ハワイの結婚式に、これでもかのドでかい花束を贈ってくれたのよね。いや、あれは花束なんて代物じゃなかった。言っとくがハワイだぞ、ハワイ。どうやって手配したのかは謎だ。とにかく映画の事になるとキチガイみたいになる人だけど、
「どないして来たんや」
「バイクです」
もしかして、あのトライアンフだったの。宿の駐車場にモンキーを停める時に気になったけど、
「ちょっとしたシナリオハンティングです」
次回作かその次かはわかんないけど、温めてるアイデアがあるんだって。どうも津和野に関係する話みたいで、現地をその目で見てみたいぐらいらしい。それにしてもバイクで来てたのは意外過ぎたかな。
そうそう、ポスターの制作に関わったから試写会ってやつにも招待されたんだよね。そんなもの初めてだからイソイソって感じで出席したんだけど、あれはあれで驚かされた。どれだけ映画界でエラいんだって見せつけられたようなもの。
千草だって知ってる有名人がずらって感じで出席してたんだけど、藤島監督が舞台挨拶に現れた瞬間に試写会場が凍り付いたんじゃないかと思ったぐらいの緊張感が走ったんだもの。舞台の上の出演者なんか死人みたいに無表情になってたぐらい。
試写会が終わった懇親会もあったんだけど、それこそ誰もが争うように藤島監督に挨拶をしに行ってた。あれって挨拶じゃなく、天皇陛下ぐらいへの謁見にしか見えなかったもの。会場で知り合った若手俳優さんに聞いてみたんだ。それほど怖いのかって、
『怖いらしいですね。ですがボクたちのような若手は、たとえ端役でも出演させてもらうのが夢です』
ヒット作に出演したいぐらいと思ったのだけど、
『藤島監督に演技指導してもらえる価値は・・・そうですね、一生の財産、いや宝物になります』
もっとも礼儀作法とか、マナーとか、TPOみたいなものは鬼のように厳しいって・・・あのね、アポなしで訪問して来て、夜まで大演説をやらかし、昼飯どころか晩飯も食べて酒まで飲んでるのだぞ。ついでにデートまで潰された。
それもだ、毎日のように来て夕食を当たり前のように食べやがった。それも手土産一つなかったんだからな。それのどこに礼儀とかマナーがあるんだと思ったのは黙っといた。それぐらい強烈にその俳優さんがリスペクトしているのがビンビンに伝わったからね。
とにかくそんな人が藤島監督。とりあえず仲は良い。それとだけど、コータローはあれだけタメ口を叩いてるけど、藤島監督の方が一回り年上なんだ。これも良く知らないけど、あれだけ藤島監督にタメ口を叩けるのはコータローだけかもしれない。
でも楽しい時間になってくれた。昼間にあんな事があったから余計にそう思ったかな。旅先で出会いがあっても良いと思うけど、この世で一番とか二番クラスの会いたくない人はもう堪忍して欲しいよ。
「ああ、エエで。オレらも行くつもりやったし」
「是非ご意見を」
明日は一緒に津和野を回ろうって話になったんだ。
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