第13話「好き」って、言わないで

「……まだ、“好き”って言わないでくれないか。ちゃんと応えられる自信がないんだ」


その言葉が、思ったよりも静かに、そして深く咲の心へ落ちたのがわかった。

夜の駅前、街灯が照らすアスファルトの上で、咲はそっと目を伏せた。


「……言ってないですよ、まだ」


「……うん。わかってる」


「でも、顔に出てたのかな。気持ち、抑えてるつもりだったのに」


「お前、隠すのが下手だからな」


そう言いながらも、相川の声は優しかった。


咲は、ほんの少し笑ってみせた。


「……実は、今日こそ言おうか迷ってたんです。朝からずっと。でも、やっぱり怖くて」


「……そうか」


「だから、相川さんが先に“言わないで”って言ってくれて、逆にちょっとホッとしたかもしれません」


「それは……変な安心だな」


「そうですね。でも、ちゃんと向き合ってくれたのが伝わったから。拒絶じゃないって、わかるから」


咲の言葉は静かで、でも力強かった。


「相川さんって、ずるいですよね」


「ずるい?」


「そう。優しくて、ちゃんと考えてくれて……でも、肝心なところは曖昧で逃げる。……でも、逃げきれないくらい、私のこと見てくれてる」


「……言いたい放題だな」


「はい」


咲は、まっすぐ彼を見ていた。

その視線を受け止めながら、相川は言葉を探す。


「俺は……自分が誰かに“好きだ”って言われる資格があるのか、わからないまま生きてきた」


「……そんなことないです」


「そう思えるようになるまで、時間がかかる。……でも、逃げたくないとは思ってる」


「……ありがとう」


しばらくの沈黙のあと、咲がふっと笑った。


「じゃあ今日は、“好き”って言わないでおきます」


そう言って、咲はくるりと踵を返して、数歩だけ先を歩いた。

そして、振り返る。


街灯の光が、彼女の髪をやわらかく照らす。


意地悪そうな笑みを浮かべながら、咲は言った。


「……明日は、言っちゃうかも」


その目は、確かな意思で相川を見つめていた。


「……そうか」


相川は、苦笑するように応えた。

心のどこかが、少しだけ、温かくほどけていくのを感じながら。


(まだ、応えることはできない。けれど、逃げない)


そう胸の奥で誓いながら、彼もゆっくりと咲のあとを追いかけた。

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