海の底へ愛を

れむすいみん

第1話都会の虚無

東京の夜は、ネオンで濡れている。

歌舞伎町の雑踏、ビルの隙間から漏れる光。

あまね(23歳)は、女性用風俗店の個室で微笑む。

薄ピンク色の壁、天井に張り巡らされた鏡を見上げると白い肌と長い黒髪、繊細な指先、虚ろな目をしたあまねが映る。


高校の教室。

長い黒髪、軽い笑い声。

「あまね、冗談きついって!」


「あめちゃん、、そこ気持ちいい」快楽に溺れ、源氏名を呼ぶ甘い声に、ふと我に返る。

客の吐息が、耳にまとわりつく。

香水の匂いが鼻を突く。

あまねの手が、客の太腿を滑り奥へと進む。

目を閉じて、客の肌を想い人と重ねる。

嘘でもいい。

この瞬間だけ、想い人を抱いていると。


店の控室。

化粧の匂い、煙草の煙。

同僚「あめ、また指名増えた?」

「増えたかもわかんない」

meQOSを片手にYに自撮りをあげる。

Limeを開いて一番下にあるトークをタップする。

「またね!」5年前に時が止まったまま。

「まだ時間あるからコンビニ行ってくる」

同僚「ヨーグルト買ってきて欲し〜」

オネダリをする同僚の顔が可愛くて微笑み頷く。

階段を降りてコンビニの明かりを目指す。

雨が、降っていた。

冷たい空気が、肌を刺す。

思い出に胸が締め付けられる。


深夜、仕事が終わり帰路に着くために階段を下りる。

雨は止んでいたけど痕跡が、舗道を濡らす。

ネオンが、赤と青に滲む。


ギラギラした光を映した水溜まりに人影が揺らめく。

「お姉さん!顔暗〜!ちょっと、気晴らしでもどう?」

男が指を指した先にホストクラブの看板があった。


店内に入ると、酒の匂いと流行りの音楽、客と男達の笑い声。

司(22歳)があまねに笑いかける。

「場内指名ありがとう。どこが気になったのか教えて〜。」

「顔かな〜可愛かったから」

他愛もない会話を繰り返す。

孤独を感じなかったし、退屈しのぎにちょうど良かった。


次に会いに来た時の事だった。

仕事の疲れからか酔ってしまって、自分の心の傷を司に打ち明けた。

司は親身になって最後まで口を挟まずに聞いてくれた。


「あまねちゃんは特別だよ。」


彼の目が、甘い。

更に酒が進む。

記憶と視界がぼやける。


ホテルのベッド。

司の手が、腰に滑る。


ここは何処。

頭が、ぐらぐらする。

酒の匂いと、司の香水が混じる。

腕が動かない。

脚が、まるで海の底に沈んだみたいに重い。


「つかさく、、んッ、、やめっ、、」

声は出るのに、身体が言うことを聞かない。

彼の手が腰に滑る。

熱い。

嫌なのに、どこか遠くで快楽が疼く。

意識が、ちぎれそうになる。

「大丈夫だよ。怖くないから。大丈夫だよ。」

司の声が、遠くで響く。

嘘なのに、優しい。

私の身体は、まるで私じゃないみたいに彼を受け入れる。

嫌悪感がないことに、恐怖が滲む。


司の腕の中で、あまねは目を閉じる。

彼の吐息が、耳にまとわりつく。

嫌いじゃない。嫌いになれない。

私の身体が彼を受け入れた瞬間、心が軽くなったような何かを失ったようなそんな気がした。


「普通になれた…かな?」

呟いた言葉に、司が笑う。

「お前、めっちゃ普通じゃん。」

その言葉が、胸に刺さる。

あの子の笑顔が、遠く霞む。

司は私を拒まなかった。

この身体を、汚いと言わなかった。

愛されている、と思った。

たとえそれが嘘でも、この瞬間だけは「普通」の女でいられた。


司と過ごす日々が増えた。

深夜のドライブ、Limeのハート、身体につけられる赤い痣。

「司は運命の人かも。」

あまねは必死だった。普通でいたい。

世間の目から逃れたい。


「司、私の事好き…?」

「司...だいすきだよ」


司の名前を囁くたび、あの子の顔が薄れる。

「俺も、あまねのことマジで好き」

司の言葉が私の心を軽くする。

普通になれたから、異物じゃない。


忘れたい一心で司の元へ何度も通った。

何度も、自分の身も心も捧げた。

彼しか居ない、私には何も無い。

彼が私を変えて、救ってくれた。

全部あげる。


数ヶ月後。

司の部屋。

司の冷たい視線を向けられていた。


「妊娠? マジで?」


拳が頬を打つ。ガラスが割れる音。

腹の痛みが、波のように襲う。

あの夜、司に抱かれた記憶が、

毒のように身体に広がる。

愛されていたと思った。

あの瞬間、普通になれたと思った。

でも、本当は違かった。

私の身体は、ただ使われただけだった。


目を開けると知らない天井があった。

横に目をやると点滴に腕が繋がれていた。

お腹が痛い。

何となく全てを察して、目頭が熱くなる。

産まれてくることの出来なかった命に謝罪を何度も繰り返す。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」

落ち着いた頃、カーテンを誰かが開けてきた。

汚物でも見るような目を向ける看護師が、医者を連れ入ってきた。


「流産です。」


短く端的にそう伝えられ、察してはいた事ながら絶望のその先へ突き落とされる。


誰もいない。

司は消えた。

希望が、消えどん底へと誘う。


あまねは呟く。

「もう無理」

地元の海が、頭に浮かぶ。

冷たい波、静かな浜。

あそこを見てから、終わろう。


都会のネオンが、背中に刺さる。

長い髪が、夜に揺れる。

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