第14話:覚醒
「なんだあいつ、喋れるのかよ」
「……その、声は……あんた、なのかい? 太陽、あんた……正気を……!!」
魔王が口を開いた。その声を聴き、ルナの目が見開かれ、涙が流れる。
魔王の体が、まるで糸に吊り上げられているかのように起き上がる。
『どうして、ここに来た』
ルナを気遣う、優しい声。
空亡と声は似てこそいるものの、纏う雰囲気は全くの正反対。まさしく絵にかいたような、裏の無い好青年と思わせる声。
それがまるで、洞窟内にでもいるかのように反響する。
剣を構えたままな辺り正気に戻ったとは言い難い。ラグナと空亡は警戒を続ける。
『……僕は、この街を、君が美しいといった街を、森を、湖を護る。王国を護るんだ。そのために、魔王の呪いを引き受けたというのに。こうして船で愛する君から離れたというのに……なぜ来たんだ、ルナ!』
魔王が──太陽が、ルナに向かって叫ぶ。
ソル・ウィリデが美しい街、というのは人によるかもしれないが、森や湖なんてものはここには存在しない。数百年前に消えた過去の話。
だというのに、魔王は、太陽はまるで、今もそこに変わらず存在しているとでも言いたげな口調。
ルナは悲痛な面持ちで、首を横に振った。
「もうあんたが護るもんは何もない。森も、湖も、なにもないんだよ……終わらせに来たよ、太陽」
ルナの言葉に、太陽がたじろぐ。
『な、なにを言っているんだルナ!? 森はあるじゃないか。湖はあるじゃないか。まだ何も終わってはいない! 僕はこの国を護り続けてきたじゃないか!! あの森も、木々も、まだそこにあるじゃないか!! 船はこうして、湖を進んでいるじゃないか!!』
「……あいつ、何言ってやがる? どう見たって砂漠のど真ん中じゃねえか」
武器を構えながら、ラグナは思わず困惑の言葉が漏れた。
空亡もラグナも、森や湖なんてものは見たことが無い。
砂漠を走る船。木々はともかくとして森なんてもののない枯れた大地。太陽の語るものは、何もない。痕跡すらも、彼らの記憶にすらも、何も。
森や湖なんてものはここには存在しない。周囲に森なんてものも、本来ならば浮かんでいる湖も存在しない。長命種であるラグナすら知らなぬ過去の情景が、魔王にはまさに今も見えているかのようだ。
「錯乱して幻覚でも見えてるんだろうかねぇ。ボクが元居た世界にも、ああいったのよく居たよ。まああれは麻薬キメてからの幻覚から来るものだったけどさ、中毒者たちが結構道端に転がっててねぇ……いやあ中々酷いありさまだった」
「ろくでもねぇなあテメェのいた世界……」
空亡が懐かしむように語った元の世界のありさまを聞き、ラグナは心の底から引いた。少なくとも、そんな表情をしながら語るようなものではない。
それはともかく、魔王に憑りつかれたという太陽と会話はできるようだが……かといって話が通じるようではない。
ルナとの会話に、今いる世界の認識に齟齬ができている。
『ルナ! 目を覚ましてくれ! 僕たちの敵は、あの魔人達だろう!? なぜ奴らに協力しているんだ!?』
「……埒が明かないね。魔王になる際の特性までも忘れてしまうとは」
ルナが手元に魔力を集中させながら、残念そうに吐き捨てた。
なおもルナを説得しようとする太陽。だがそれも、彼女の放った光の矢によって中断させられる。
『……良いだろう。ならば君を、正気に戻してみせる。あの魔人共を倒して!!』
「……あんたの命も、宿命も、ここで終わらせる! 魔を晴らし貫け!!」
ルナが光の槍を放つのと、太陽が甲板を蹴り接敵してくるのはほぼ同時だった。
すれ違い船を破壊する光の槍を一瞥し、太陽はルナの腹を思い切り蹴りつける。
体が空亡とラグナの間を抜けて吹き飛び、手すりに激突する。
「ババア!」
ラグナがルナに呼びかけるものの、反応する様子はない。
戦力が一人減った……この強敵相手に。ただでさえ押されているというのにかなり手痛い状況だ。
『お前が、お前たちが誑かしたのか……ルナを!!』
「チッ、気ぃ失ってやがる」
「おまけに魔王さんご立腹の様子……いやあ、ヤバいねえ」
ラグナは苛立ち気に舌打ちを鳴らし、空亡は絶望的状況だというのに楽しそうに笑う。
「となると婆さんの援護が期待できなくなるのは……ぶっちゃけかなり痛い……けどまっ、仕方ないか。無い物ねだりしたってね」
空亡はひとつ愚痴をこぼして、ルナという戦力がいなくなったことを割り切る。
今の状況で動けない味方に期待したところで今は無駄というもの。ならば最初から勘定に入れず動いた方が得策と判断した。
空亡はショートソードを鞘に収め、中心部分からぽっきりと折れた刀を構える。
ショートソードでは相手にダメージを与えられないので、最初からなかったものとして扱う。
『貴様らが、ルナを誑かしたから……貴様ら、がぁ!!』
「うわっとと!」
叫び、太陽が空亡に斬りかかる。
意識のない状態の時の、不規則ながらも目で追える動きとは違う、人間的で攻撃的な意思のある一撃。空亡は咄嗟に刀で受け止め、背後に飛んで受け流す。
意識の無い状態の動きに慣れていたからだろう、反応が少し遅れた。
『まずは貴様からだ! 僕と同じ顔をして、ルナを誑かした魔人め!!』
「かっ、顔は仕方なくないかなぁ!? 生まれつきのもんだしさあ!!」
太陽の理不尽な怒りを乗せた一撃に、思わず言い返してしまう空亡。
意思があるが故の苛烈な動き。勇者として称えられるだけはある技量、我流である空亡では逸らし、回避するので精一杯。反撃しようにも隙が見えない。
ラグナは照準を太陽に合わせる。銃で何とか援護をしたいものだが、それなり以上に動けると自負しているラグナですら、目で追うのがやっと。そもそもが太陽に当たったところでダメージになりはしない。精々一瞬動きを止めて、気を逸らさせるくらいだ。
それに対して空亡は一発でも体に当たれば重傷を負い、痛みで動きが止まったところを切り伏せられてしまう。なんとも理不尽な択。故に引き金を弾けない。空亡が死んだらあれを受けることになるからだ。
太陽の攻撃を避け続けていた空亡だが、逃げようとしたところで背中にマストが当たってしまう。
「空亡!」
目前に迫る刀、叫ぶラグナ。
援護に放たれた弾丸が太陽の体を貫くが、動きは止まらない。どちらへ逃げるか判断し足に力を入れる時間すら与えない。
空亡は力を抜いて、勢いよく尻もちをついた。
頭上を通り抜ける刀、髪が幾ばくか風に散る。そして、折れた刀を太陽の腹を切りつけた。
『ぐっ、あああああ!!』
断面から黒い靄があふれ出る。空亡はそのまま返す刀で太陽の足を切る。
指が何本か落ち、太陽の体が崩れ落ちる。
そして甲板に手をついてマストを蹴りつけ、太陽から距離を取った。
「柱に刀突き刺さってくれればよかったんだけど、早々上手くはいかなかったかぁ。ごめん、殺し切れなかった」
「いいやよくやった! これなら俺でも殺せるぜ!!」
ラグナが刀の切っ先を握って走る。
足という機動力を奪い、そして少なくないダメージを与えた。もはや俊敏な動きをすることはできぬ手負いの獣。元々ラグナが太陽に挑んだのは、滅茶苦茶にされた過去の自分への仇打ち。むしろ止めを譲ってくれたことに感謝するというもの。
だが、手負いの獣は恐ろしいものだ。
「ちょっ、ラグナ!」
「ぐえっ」
空亡は、刀の切っ先を構え突撃しようとするラグナの襟首をつかみ、無理やり動きを止めた。その瞬間、ラグナの目の前を通る巨大な爪。
途端にラグナの顔に冷や汗が浮かぶ。
「わっ、わりぃ……」
「……ごめん、追い詰めすぎちゃったみたい」
『貴様、魔人、魔人が……人間、風情が……!! よくも、よくもぉ……!!』
太陽の声が、血の底より響くような悍ましいものに、手足が巨大な爪へと変貌していく。
黒い靄のようなものが、どろりと流れる液体に変化し甲板を穢す。
額の肉が飛び散り、そこから漆黒の角が生える。
「形態変化とは、これまたゲームのラスボスみたいなことを」
「……魔王目覚めてねぇかあれ?」
ラグナの言うように、ベースこそ太陽の面影があるが、あきらか人間のものではない。
あきらかな怪物、この世の者ならざるものに他ならない。
刀を捨て、剣を構える魔王。
そして駆けて斬りかかるは、ラグナでも空亡でもなくルナ──咄嗟に横に入ったラグナが、攻撃を斧で受け止める。
折れた腕も無理やり使ったせいだろう、膝から骨が飛び出る。
血液が吹き出し、ルナの顔にかかる。
「かっ、完全に……あいつの意識が無くなってやがるな。どうした、太陽さんよぉ、勇者様ともあろうものが魔王に飲まれやがって」
『貴様らのお陰で主導権を握り直すことができたのよ……クククッ、余計な手出しをしなければ無害な亡霊のままでおったというのに』
二人を嘲笑いながら、ラグナを押しつぶさんと力を籠める魔王。
力に自信のあるドワーフとはいえ、負傷しているただの人間であるラグナでは分が悪い。
大きく爪を振り上げ、もはや終わりかと思われたその瞬間──
『なにっ!?』
「仲間外れはよくないよぉ、ボクもいるんだからさ」
空亡が魔王の左腕を切り落とした。
ラグナを蹴り飛ばし、空亡に剣を振るう魔王。だがそれもからかうように笑みを浮かべながら避ける空亡。
空亡を追うため、魔王はラグナとルナから距離を離した。
ルナを起こすタイミングは、空亡が魔王相手にヘイトを稼いでいる今しかない。今起こさなければ、この勝負確実に負ける。
ラグナはルナの肩を掴み、激しく揺さぶる。
「おいっ、おいババア! とっとと起きやがれ……!! テメェがずっと言ってやがった魔王が覚醒しやがったんだぞ!!」
折れて皮膚を突き破った腕が激しく痛むが、今はそれを気にする余裕はない。
今唯一魔王に対抗できるのは、空亡を置いてはルナのみ。既にラグナは、ろくに腕も動かせない状態。足手まといにしかならない。
「起きろ、起きやがれ! 俺は嫌だぞ、ここまで来てこんなところで死ぬなんて! ババアと心中なんざよ!!」
ラグナの嗚咽の混じった叫び。ここに来るまでは死ぬことを覚悟していた者とは思えない嘆き。
だが下手に勝てるかもしれないという希望が見えただけに、そこから突き落とされた落差はあまりにも大きかった。
ラグナがルナに縋りついているのを眺めながら、空亡は魔王の攻撃を避け、冷静に頭を働かせる。
『くっ、貴様……ちょこまかと……!!』
魔王が憤り、一撃の速度が上がった。力自慢であるドワーフですらまともに受け止めたら骨が突き出るのだ。ドワーフに比べればひ弱に分類される空亡であれば、一撃でも受け止めたが最後命は無い。
だが、太陽の時のような繊細さはない。まるで獣のような動き、といえば驚異のように思えるが、その実はあまりにも読みやすい。避けるだけであるならば。
ことここに反撃を加えようとすると難易度が馬鹿みたいに跳ね上がるのが難点だが、ルナを起こすまで耐えきるのは容易に思えた。
とはいえ油断はできない。一度でも判断を誤れば、空亡という普通の人間は簡単に消し飛んでしまう。
『おっ、のれぇ! 貴様もっ、異世界からの外来種如きが!! 太陽も、貴様も!! 我の邪魔を!!』
「害をなしてるのは君じゃないかなぁ?」
『黙れ!!』
「あっヤバっ!」
魔王が手に闇を凝縮する様子を見た空亡は、咄嗟に魔王の腹を蹴って距離を取り、マストの影に転がり込んだ。影から身一つ出ることが無いよう体を縮こまらせる。
『逃げ場など無い! 死ねぇ!!』
だがマストは盾にはなってくれず、無数の闇の矢が空亡の体を貫く。
空亡の着物に無数の穴を穿ち、色鮮やかだった赤が黒く染まっていく。
判断を間違った。後悔が頭に浮かび、流れ出る血のように広がっていく。
「あらら、こりゃあ……ちょっと、不味い、かも」
視界が揺れる。頭が自分のものではないような感覚に陥る。
手に力が入らず、立ち上がることができない。
皮膚に張り付いた着物に手を当てる。
ぐっしょりと血で塗れた着物、ぽたぽたと血が流れ落ちている。
一気に血液を失いすぎたようだ。寒気がする。魔王の足音が近づいてきているが、どこか遠くのようにしか聞こえない。
このままでは失血死、する前に気を失ってしまう。そうなったが最後、魔王は確実に首を獲りに来るだろう。だが零れた血液は戻らない。今の空亡は、穴の開いたバケツだ。
ならば零れきる前に血を補充するしかない。空亡は袖から造血剤の入ったカートリッジ型注射器を取り出し、太ももに突き刺し薬剤を注入する。
「間に合わない、かなあ……」
いくら科学技術の進んだ世界から持ってきた造血剤とはいえ、その効果が出るには多少時間はかかる。効果が出るまでに命を獲ることなぞ、魔王からすれば簡単な事だろう。
近づいてくる足音、腕の骨が折れて突き出たラグナ、気を失ったままのルナ。おまけに当の空亡は全身穴だらけ。
現状考えられるだけの最善は取った。血を失った頭で考えるも、造血剤を打ち込む以上の、取れる手段が思い浮かばない。
ここから助かる方法が見えてこない。足掻ける手段をとにかく取りはしたものの、空亡は既に諦めの境地に入っていた。やれるだけはやった、それがこの結果なのだから仕方ないと。
やがて、マストの前で足音が止まった。空亡は動こうとするも、全く力が入らない。造血剤の効果は、まだ出ていない。
魔王の体から流れ出る血が、空亡の座っている場所まで広がる。
『これで終わりだ』
魔王が剣を振りかぶり、構える。
『忌々しい異世界人が──』
「──魔を晴らし貫け!!」
『──ぐうっ!?』
マスト越しに空亡を斬ろうとした瞬間、不意に横合いから放たれた光の槍が、魔王の腕を貫いた。
剣が甲板に落ち、黒い血液が飛び散る。
「ハッ、あいつの身体を好き勝手した罰だよ。聖なる尖兵よ!」
骨が折れているのだろう、脚が奇妙な形に折れ曲がった状態で、尚も不敵な笑みを浮かべ、魔王へと手を向け、ルナは魔法の矢を放つ。
刺さる。魔王の身体を貫いていく。
一発一発は致命傷にはならない、決して命を奪う程ではない。しかし、無視できるほどの痛みではない。
『貴様っ……このっ、くたばらないだけの屍が!! 死にぞこないの貴様が、我の邪魔を──』
魔王がルナを突き刺そうと、手元に闇の槍を呼び寄せる。
苛立ち、無為に足掻くのに嫌悪を浮かべた。下等生物が邪魔をするなと。
負傷し痛みにのたうち回りたいだろうに、ルナは魔王の表情に手を叩いて嗤う。
その様が更に魔王の癪を刺激し、闇の槍を握る力が増す。
しかしてその槍は放たれることなく、視界と思考が狭まったが故の死角から衝撃が走る。
「殺し合いによそ見は厳禁だぜ、魔王様よぉ!」
『か、とう、生物があ!!』
ラグナは折れた片腕を垂らし、魔王の腹を押し刺す。無事な手には剥き出しの刀の切っ先が握られており、ラグナの手から血が滴り下りていた。
魔王がラグナを蹴り飛ばすも、腹に刺さった刃は抜けない。
そして魔王もまた、空亡と同じように血を失いすぎていたのだろう。ダメージを受けすぎていたのだろう。自らが蹴った勢いを殺せず、たたらを踏む。びちゃり、と己が出した黒い血液が音を鳴らす。
マストの境界線を越えた。視界には空亡の姿。
「ハロー」
『立ち、上がっ』
魔王は刀を持っていた手を思い出す。ショートソードを握っていたのと同じ、右手。
膝立ちの状態の空亡の胴体を袈裟に斬り捨てることはできない。
斬り上げる予備動作、まずは腕だけを斬り落とす。
空を舞う右腕。魔王は嗤った。致命傷に近い傷を負ったものの、ここさえ凌げばなんとでもなる。
脅威となる武器を握った腕は斬り落とした。加えてこの出血量でろくに動けない。念のため距離を取って魔法で殺せる。
老いぼれ一人と己の実力を過信した馬鹿二人、無様なり人間よ。勝利を確信した魔王は三人をあざけ見下し笑い声をあげた。
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